興味深い数字をお見せしよう。表1は神社・寺院の数が多い都道府県を示したものである。数が5000以上の都道府県に限って示したものだが、愛知県には抜きんでて多い8014もの神社仏閣がある。二位の新潟県より400以上も多い数値になっている。京都府(4838)、東京都(4335)、大阪府(4131)、奈良県(3224)などと比べると、愛知県がいかに多いかが一目瞭然である。
表2・表3は神社・寺院別の数を示したのだが、神社の数では愛知県は四位、寺院の数ではやはり断トツの数値を示している。表2・表3の数値を単純にプラスしたものが表1の数値になっている。データは平成二一年版の『宗教年鑑』(文化庁編)の都道府県別の「宗教団体(宗教法人を含む)」によっている。「宗教団体」は「宗教法人を含む」とされているが、両者はほとんど変わらない。「宗教団体」の方が「宗教法人」より一パーセント多い程度であり、ほぼ同数と考えて差し支えない。
なぜ愛知県に神社や寺院が多くあるのかこれまで愛知県にこれほど多くの神社や寺院が多くあることに多くの人々が気づいてこなかった。
まず神社だが、これには宗派なるものが明確にあるわけではなく、あえていえば「神社本庁(神本)が九九パーセントを占めているため、一括して考える以外にはない。まず考えるべき点は、奈良県(1387)、京都府(1764)に比べて、圧倒的に新潟県、兵庫県、福岡県、愛知県、岐阜県などが多いということである。
ここには二つの理由があると考えられる。
一つは、これらの地域には奈良・平安時代に先駆けて多くの文化が栄えていたことである。私たちは日本の歴史をともすれば奈良・京都を起点にして考えがちだが、それ以前から日本列島には各地に多くの人々が住んでおり、自然発生的な信仰の生活を営んでいた。むしろこれらの地域には奈良・平安以前の文化が広がっていたと考えていい。
二つ目は、これらの地域は都からある程度離れており、中央権力が及びにくかったことである。奈良・京都は政治の中心であることから、権力が神社などを統括していった。そのため大きな神社は数多くあるものの、小さな神社は統合される運命にあったと考えられる。
それにしても、なぜこれほどまで愛知県には寺院が多いのだろうか。
これには尾張徳川家が寺院を保護したことが大きい。江戸時代には徳川家は基本的に浄土宗を推奨して保護したことはよく知られている。浄土宗の寺院のいちばん多いところは京都府(567)で、二番手に愛知県(553)が上がってくる。(数値は『全国寺院名鑑』による)
名古屋では東区にある建中寺(浄土宗)が有名で、尾張徳川家の菩提寺として代々の信仰を集めた。建中寺の山門は200年以上前に再建されたものだが、一見して江戸で将軍の菩提寺として保護された芝の増上寺(浄土宗)の山門を彷彿とさせる。
〈『名古屋地名の由来を歩く』(著・谷川彰英)より構成〉