江戸時代、女の結婚年齢は低かった。
さらに、武士や庶民を問わず結婚には必ず仲人を立てるが、結婚を成立させると謝金(手数料)をもらえるため、いい加減な仲人も多かった。とくに見合いもせず、仲人の言葉だけを信じて、事前に顔を見ることもなく結婚する男女は少なくなかったから、往々にして悲劇もおきた。
仲人のいい加減さが招いた悲劇が『新著聞集』に出ている。
寛文元年(1661)、八丁堀にすむ六十余歳の医師が妻を迎えたが、十六歳の娘だった。新妻は亭主が高齢なのを知って愕然とし、隣家の老婆に訴えた。
「相手がこんな年寄とは夢にもしらなかったのです。仲人にだまされました。かといって、いまさら親の元に帰るわけにはいきません。わたしは首をくくって死んでしまうつもりですが、どうやってやればよいのかわかりません。わたしが死んだら、手箱に二十両あるので、この金を差し上げますから、首のくくり方を教えてください」
初めのうちこそ老婆は、「夫婦は縁だからね。これも結びの神の引き合わせだよ。
「それほどまでに言うのなら、教えてあげようかね」
老婆は桶を積み重ねて、その上にのり、天井の梁に縄を結びつけた。縄の端で輪を作り、首にまわして言った。
「こうすればよいのさ。簡単だよ」
その言葉が終わらぬうち、重ねた桶がぐらりと揺れ、足を踏み外した。天井から老婆の体がだらんと垂れる。
「きゃー、誰か来てー」
女が悲鳴をあげた。声を聞きつけて近所の人がやってきた。光景を見て、あわてて縄を切って老婆をおろしたが、すでにこと切れていた。
老婆の子供は、「女が母を殺したも同然」として、奉行所に訴え出た。奉行は女から事情を聞き取ったうえで、訴えて来た老婆の子供に言い渡した。
「そのほうの母親は大欲非道の者じゃ。金を取り、首くくりの方法を教えた罪は軽くはないぞ。生きていたら処罰するところだが、死んだとなれば致し方ない。代わりにそのほうを罰する」
そして、百日間の入牢を命じた。
また、夫である医者を呼び出し、「年がいもなく若い女をめとるなど、不届き至極である。早々に女房を親元に送り返せ」と、叱りつけた。
なかなかの名判決と言えよう。
また、奉行の判決から、もともと医師が仲人に、「若い娘がほしい」と頼み込んでいたのは明白である。