20代未婚の男女の交際率は10年前に比べると、なんとそれぞれ10%ずつ落ち、男性22.3%、女性33.7%。30代になるとその数はぐっと減っていまや誰の目にも「日本人の性的退却」ははっきりとした数字で示されている。
「なぜ日本人は性愛から退却していくのか?」話題の新刊『どうすれば愛しあえるの』を上梓した社会学者の宮台真司氏とAV監督で著述家の二村ヒトシ氏が、日本人の「セックスレスの増加」という最大の謎について語った。「セックスレスの増加」と「精子の減少」

宮台 若い世代の性愛が最も盛んだったのは援交ブーム以降の10年間です。日本性教育協会が74年以来ほぼ6年毎に実施してきた「青少年の性行動全国調査」によれば、男子大学生の性体験率は99年に63%とピークを迎えた後、2011年には54%と9ポイント減ります。

 他方、女子大学生は2005年に61%とピークを迎えた後、2011年には47%と14ポイント減る。男の性体験率は90年代後半に、女の性体験率は5年ほど遅れてゼロ年代前半に、ピークアウトした感じ。若い男の性的退却は20年前から。女は15年ほど前からでしょうか。

 明治安田生活福祉研究所の2016年6月公表のデータを見ると、20代未婚男の交際率は、2013年の33・3%から、2016年の22・3%へと激減します。20代未婚女の交際率も、42・6%から、33・7%へと激減します。わずか3年で男女ともに10%ずつ激減した勘定です。

 同じリサーチデータで、30代未婚男の交際率を見ると、2013年の17・1%が、2016年は18・0%と、ほぼ変わっていませんが、30代未婚女の交際率は、2013年の36・8%から、2016年の26・7%へと、やはり10%以上も減っています。

 日本家族計画協会が2016年の「第8回 男女の生活と意識に関する調査」で、1カ月以上セックスしていない状態を「セックスレス」と定義した上で、既婚者を調べたところ、セックスレス夫婦の割合が47・2%に上りました。

10年前の31・9%から大幅な増加です。

 これらを僕は「目に見える性的退却」と呼びます。交際率の男女差に見たように、性的退却は男に顕著です。なぜなのでしょう。個人的な経験も踏まえていろいろ考えてみると、大きな問題が浮かび上がってきます。これから二村さんと一緒に考えていきましょう。

 要は、90年代後半から性的退却が急速に進んでいるのです。僕が今の大学に赴任したのは93年ですが、90年代の半ばには交際相手がいる学生が4割近くにも及んだのに、今は1割台前半の学生にしか交際相手がいません。

 性的退却は、交際率だけでなく、交際の仕方にも及びます。交際相手がいる学生に話を聞くと、「セックスは2カ月に一度くらい」と答えるカップルが珍しくない。セックスレスに近い状態です。僕が大学生の時代の標準的なカップルは週に2回はしていた。

驚くべき変化です。

 夫婦のセックスレスの割合は、いろんな人の話を聞く限り、実際には47 ・2%という数字よりも多いだろうと思われます。いずれにせよ、夫婦の半分がセックスレスというのは国際比較をすると異常ですが、それも過去10年でセックスレス夫婦が増えた結果なのですね。

二村 そのような「性愛からの退却」が進行しているにもかかわらず、宮台さんも僕も、もういい年だというのに、どうしてこんなにセックスの話やセックスそのものが好きなんですかね。

宮台 国際データ的には僕らがむしろ標準なので、若い世代の退却理由を考えたほうがいい。複数の要因が考えられます。生物学的要因もあるでしょう。50代男性だと精液1㏄あたりの精子数は1億ですが、20代前半だと5000万前後。どの国でも若くなるほど精子が少ない。

 北欧では4400万に減り、4人に1人は体外受精で生まれます。最近では精子数減少が哺乳類全体に及ぶことも分かりました。ダイオキシンなど化学物質の世代をまたぐ影響を指摘する声がある一方、遺伝的にプログラムされた哺乳類全体の寿命だとする見方もあります。

二村 それがもう全地球規模で起きていることだとすれば、男性の個々人が亜鉛のサプリを飲んでなんとかなる段階の話じゃないですね……。しかし「生物としての繁殖欲」と「享楽や快楽への欲望」とは、実は関係ないのでは、という考え方もあるでしょう。

 昔は「恋愛やセックスができない男」は地位が低かった
30代未婚の交際率は男18.0%、女26.7%。宮台真司&二...の画像はこちら >>
イラスト:たなかみさき

宮台 小中学校での性教育の悪影響を指摘する声もある。20年前の援交全盛期以降、性教育の場で性感染症や妊娠のリスクを強調し、「性愛に関わると自分をコントロールできなくなって受験や就職活動を棒に振る」と脅してきたことが、学生たちからの聴き取りで分かっています。

 こうして、性愛に関わるのは踏み外しだとの意識が拡がる一方、それを背景に、性愛にハマると教室でのスクールカーストを急降下するようにもなる。その延長線上で、2010年ころから大学生女子の間で、性愛にコミットすると「ビッチ」と陰口を叩かれるようになります。

 大学生時代の僕らは、彼女や彼氏がいないことを本当に寂しいと思っていて、友達とよくそういう話もしました。寂しさから抜け出すために、必死で女とつながろうと努力したし、一人ぼっちの後輩がいたら、なんとか助けてあげたいと思ってあれこれ伝授したりしました。

 ところが今は孤独の埋め合わせツールがいろいろあります。インターネットもそう。AVもそう。だから現実に寂しさを感じないで済む。

それで、誰もヘルプミーとは言わないし、周りが助けてあげようと思うほど困った表情も見せない。だから知恵もシェアされない。

 僕ら世代は、寂しいのは嫌だと思ったから必死で恋人を作ろうとしたし、寂しくて困っている仲間がいたら助けてあげようと女を紹介してあげた。でも今はかつてほど寂しいと思わず、助け合う仲間もいなくなって、伝承線が切れました。性的退却の背景の一つですね。

二村 逆に言えば、僕らが若いころの「恋愛やセックスができない男」は明らかに地位が低かった。そういう意識の傾向は皆に内面化され、今も残っているかもしれません。

 かつて自分が地位の低い側の青年だったからか、僕は必ずしも「全ての男女が恋愛やセックス(や結婚)をしなければならない」ということが必修課目だとは思っていません。むしろ恋愛もセックスも、相手に依存する可能性が高いぶん非常に危険なものなのだと。これからの時代は、恋愛もセックスも結婚も、それが危険物であることを承知して、乗りこなす技術を理解している者だけが敢えて手を出す〈趣味〉になっていくのだろうなと。

 自著『僕たちは愛されることを教わってきたはずだったのに』で、少女マンガの古典でありエロBLの濫觴(らんしょう)である竹宮惠子の『風と木の詩』を分析しました。二人の主人公のうち、セックスでしか他人に触れられず、しかも暴力的で被支配的でフェチ的な、相手のことを心の底では軽蔑しているようなセックスに耽溺(たんでき)してしまうメンヘラ美少年ジルベールは、悲劇的な最期をとげます。

もう一人の主人公セルジュは、ジルベールとの性愛以外にピアノの演奏でも変性意識を得ることができたから生き延びられたのだ、というのが僕の解釈なのですが。

『どうすれば愛しあえるの』より構成)

宮台真司 みやだい・しんじ
社会学者。映書批評家。首都大学東京教授。1959年宮城県生まれ。東京大学大学院人文科學研究科博士課程修了。社会学博士。権力論、国家論、宗教論、性愛論、犯罪論、教育論、外交論、文化論などで多くの著書を持ち、独自の映書評論でも注目を集める。著書に『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(幻冬舎文庫)、『いま、幸福について語ろう 宮台真司「幸福学」対談集』(コアマガジン)、『社会という荒野を生きる。』(KKベストセラーズ)、『正義から享楽へ 映書は近代の幻を暴く』(blueprint)、『反グローバリゼーションとポピュリズム』(共著、光文社)など。

二村ヒトシ にむら・ひとし
アダルトビデオ監督。1964年東京都生まれ。
慶應義塾幼稚舎卒、慶応義塾大学文学部中退。監督作品として「美しい痴女の接吻とセックス」「ふたなりレズビアン」「女装美少年」など、ジェンダーを超える演出を数多く創案。現在は、複数のAVレーベルを主宰するほか、ソフト・オン・デマンド若手監督のエロ教育顧問も務める。著書に『すべてはモテるためである』『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』(ともにイースト・プレス)、『淑女のはらわた』(洋泉社)、『僕たちは愛されることを教わってきたはずだったのに』(KADOKAWA)など。
編集部おすすめ