なぜ「子供をもたない」人は罪悪感に苛まれなければならないのか? その正体とは何なのか? 『産まないことは「逃げ」ですか?』著者の吉田潮氏、ネットニュース編集者の中川淳一郎氏、コラムニストのサンドラ・ヘフェリン氏が自身の経験をもとに本音で語りあった。9月20日「本屋B&B」で行われた同書出版記念トークショーから再構成する。
反響を呼んだ、〈なぜ私たちは「子供をもたない人生」を選択したのか〉に続く第二弾。〈第一弾:なぜ私たちは「子供をもたない人生」を選択したのか〉親や世間に対する「ごめんなさい」

中川(淳一郎:ネットニュース編集者) なぜ日本では子供をもたないこと、結婚しないことが罪悪感につながるのか。なぜ肩身が狭い思いをしてしまうのか。これって、吉田さんが今回の本(『産まないことは「逃げ」ですか?』)を書くに当たっての最大のテーマだったんじゃないかと思うんです。

吉田(潮:『産まないことは「逃げ」ですか?』著者) 「ごめんなさい」って思ってしまう自分がいました。それは親だけでなく世間に対してもです。

中川 世間的には「した方が良いこと」をしなくても罪悪感につながらないこともあるじゃないですか。たとえば包茎手術をしないとか、私立高校に行かないとか。それが何で「結婚、出産」に関しては罪悪感を感じないといけないんでしょうか。それに対する何となくの結論はありますか。

 「血のつながり」に縛られる日本人

吉田 やっぱり私たちの中に「血のつながり」みたいなものを大切にするベースがあるんじゃないですかね。

中川 「血」ってそんな大事なんですかね? というのも自分自身、親に会うのって多く見積もって年に1、2回なんですよ。

実はうちの父親は俺が4歳になるまでは一緒にいたんですけど、4歳から11歳までインドネシアに住んでいて。それで13歳の時にはアメリカに行っちゃうんですよ。14歳で俺も渡米して18歳までは一緒でしたけど彼はアメリカにそのまま残り、その後はマレーシア、オランダに住み続けたので、以後一緒に住んだのは一時帰国していた社会人1年目だけ。だから父親と一緒にいた時間って一生のうち10年ぐらい。しかも3歳ぐらいまで記憶がない。そう考えた場合に、別に今親が死んでも全然悲しくないんですね。ホント、ホント。

 今大事に思っているのはやっぱり小学館で仕事をしている相手だったりとか、それこそ吉田さん、サンドラさんだったりする。あとは友達、そして一番大事な存在である妻。

 でも実は自分のいとことか全員どうでもいいんですよ。3年に1回ぐらいしか会わない姉もねぇ、死んだら死んだで悲しいけど別にどうでもいいんです。名古屋に行っちゃっているから。

甥っ子もどうでもいんです。俺と妻が死んだ後の遺産は遺してやろうかと思うけど。産まれてからまだ5回ぐらいしか会っていないし。こういう「血はどうでもいい」思想っておかしいんですかね?

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写真左から中川淳一郎氏、吉田潮氏、サンドラ・ヘフェリン氏/下北沢「本屋B&B」にて私が「墓守娘」という感覚

サンドラ(・へフェリン:コラムニスト) でもやっぱり、お墓を守るべきという考え方がある。誰かが子供を産まないとその家が途絶えてしまう。「子供を産むべき」というプレッシャーを感じることはありませんか?

吉田 日本だとあるなと私は思っています。実は私は1人目の旦那さんは婿養子だったんです。なぜそうしたかというと父が1人っ子で、うちの名字を継ぐ人が他にいなかったから。姉もいるんですがその時は海外に行っていて、もう二度と帰ってこないだろうなと思っていました。でも父親は1人息子。その事実を私は勝手に背負ったんです。何となく私が「墓守娘」じゃないけど、そういう役割をしないといけないな。

そんなことを20代のときに考えていたんです。でも親から「うちの家を継げ」とは1回も言われていないんですよね。自分の中での勝手な正義感。そういう正義感を今もどこか捨てきれていないのかな。

中川 それは社会からの圧力という話ですよね?

吉田 そうですね。親からというよりも世間ですよね。

サンドラ テレビの影響とかはありますか?

吉田 う~んテレビっ子ではあったんですけど。なんとなく全体的な雰囲気です。でも中川さんとサンドラさんと話をしていた時に「墓守とか血のつながりを大事にする感覚ってそんなにないよ」と教えてもらって、驚きがあった。

ヨーロッパは「自分で産まなくてもいい」

サンドラ わりと中央ヨーロッパ、北ヨーロッパはそうなんです。ドイツに限らず、スウェーデン、デンマーク、オランダ、あとフランスとか。あのあたりは、日本的な「血のつながり」というのが薄くてあまり大事にされていない。

そういった意味では向こうの人達は結構ドライです。例えばどうしても子供が欲しいという時に、「じゃあ養子をもらえばいいんじゃない?」と言う人がすごく多い。何も自分の血じゃなくてもいい。本当に子供が好きなんだったら世界には困っている子供がたくさんいるので、その子を育てればいいじゃないという感覚なんですよね。

 ドイツの場合はビックリする歴史もあって。私は75年生まれですが、私と同年代の東洋人っぽい顔立ちのドイツ人女性をちょくちょく見かけるんです。どういうことかというとその人達のルーツは韓国。1970年代、まだ韓国が貧しい時に未婚のまま産んでしまった、あるいは不倫の末できた子供がドイツとかスウェーデンに養子に出されていたんです。そしてすでに子供が2人、3人いる夫婦がその3番目、4番目の子供として韓国から養子をとっていた。その子が大人になって、今40代くらい。要するにあまり養子に抵抗がない国なんです。

 日本だと「子供を産まないといけない」プレッシャーがありますし、あと産む時にもツイッターでよく見ますけど「無痛分娩はけしからん!」なんて言われたりする。

でもヨーロッパではそんなプレッシャーはない。

「そもそも自分で産まなくてもいいんじゃない?」という考え方です。北ヨーロッパとか中央ヨーロッパの国は、わりとそこら辺はドライです。「自分で産んでもいいけど、できなかったらできないでいいんじゃない?」という感覚の人が多いんです。南のイタリアとかスペインは保守的でまた違うんですけど。

「血」に縛られすぎない

中川 血の話で言うと、俺は祖父母が3人亡くなっています。で、1人目の東京の祖父が亡くなった時は葬式に行ったんですが、次からは親から案内がこないんですよ。2人目の九州の祖父が死んだ時なんて「うちの爺さん死んだから、いま羽田空港。アンタはこないでいいから。忙しいでしょ」っていきなり電話がくるんですよ。「そりゃ忙しいけど…早く言えよ!」と言うんですが、「いい、いい、いい…そげなもん」と言われる。結局祖父母の葬式は2回連続で行っていないんです。

 3人目となる父方の祖母が死んだ日も当日葬儀場でいきなりうちの母親は連絡してきて「死んだ」と言うんですよ。それってもう完全に「血筋なんてどうでもいい」と思っている証拠で。「アンタは今仕事頑張らなくちゃ、貧乏になるよ」ということを多分言いたかったんだと思うんです。俺がフリーライターになったばかりの時期なので。で、そこで葬式に行けなかったことを後悔しているかと言えば、なんにも後悔していないんですよ。ホントに。

吉田 中川さんはある意味ラッキーだったのかも。やっぱり日本の場合は、大した家でなくても「家を継ぐ、血をつなぐ」ことに重きを置かれて、みんな人生の主語を失ってしまうのかなと思いますね。

中川 でも、冷静に考えて自分は直属の上司の係長が大事だったりするわけですよ。この1年間生き抜くにはこの係長から嫌われない、クライアントから嫌われないことが重要かなと思うわけですよ。いとことかよりも。

 そりゃ、今いきなり俺が「実はお前は徳川家の18代目なんだぞ」とか言われたら、「家守んなきゃ」と思いますけどね(笑)。でもそんなことありえないわけですよ。そういう名家じゃなかったら別に血なんかどうでもいいんじゃないかと。サンドラさんも養子をとればいいという話をしましたけど。

吉田 血縁を切るとかではなく、中川さんぐらいのスタンスを持つというのはひとつ救いになると思いますね。

日本的な「家を守る」という意識。それが「子供をもたない」人々を苦しめているのかもしれない。対して、サンドラさんはヨーロッパの事例、中川さんは自身の体験から違った視点を提示した。何よりも重要なのは「自分が主語」の人生を歩むことだ。
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