いまも語り継がれる哲学者たちの言葉。自分たちには遠く及ぶことのない天才……そんなイメージがある。
そんな「哲学者」はいかに生き、どのような日常を過ごしたのか? ストックの語源ともなったストア派の祖・ゼノンの人生<前篇>。物思いにふけることを好んだ青年に訪れた……
「ストイック」な男が出会った「奇行」を取る師~ストア派創始者...の画像はこちら >>
 

「禁欲的」を意味する「ストイック」という言葉には、「ストア派的な」という意味がある。

 ストア派とは古代ギリシア哲学に生まれた学派の一つだ。快楽を避け、節制を重んじ、道徳的に生きることで、衝動や感情に揺り動かされない穏やかな不動の心を得た賢者の生き方こそが、人間にとって幸福な生き方だと考える、まさに禁欲的な哲学である。

 このストア派哲学の創始者となったのが、キプロス島のキティオンという街に生まれた哲学者ゼノンだ。
 ゼノンは背が高く痩せていて、浅黒い肌をしていた。民族としてはフェニキア人であるが、外見的特徴からすると西アジアやアフリカ人の血を引いていたと考えられる。

 ストイックな生き方のルーツとなるのにふさわしく、大変に慎み深く、穏やかで、真面目な性格だった。浪費をすることがなく、良く言えば倹約家、悪く言えばケチなところがあったとも言われている。
 宴席に呼ばれてもあまり参加せず、参加した時でも端の席に座り、ほとんど喋ることなく静かに過ごして、途中でそっと抜け出すことが多かったそうだ。大勢の人が集まる賑やかな場が苦手で、一人静かに物思いに耽る時間を好んだのだろう。 

 ゼノンの生家は裕福な貿易商を営む家だった。

父親は船でアテネに立ち寄った際、ソクラテスに関する著作を買い、持ち帰って息子に読ませていた。ゼノンは少年時代から、アテネの哲学に憧れ、熱心に学んでいたのだ。
 そんな彼が「アテネの哲学」と実際に触れ合うきっかけは偶然からだった。
 青年になったゼノンは、自らも船に乗り貿易の仕事に携わっていた。ある時、積荷を積んだ船がアテネの外港付近で難破してしまったため、期せずしてゼノンはアテネに上陸することとなり、そこで何気なく本屋に立ち寄る。

 ソクラテスのような人物にどこに行けば会えますか? その時…

 店先でクセノフォンが書いた『ソクラテスの思い出』を読み耽り強い感銘を受けた彼は、本屋の店主に「ソクラテスのような人物はどこに行けば会えるのか」と尋ねた。すると店主は「あの人についていきなさい」と外を指差した。店の前の道をキュニコス派の哲学者クラテスが歩いていたのだ。そうしてゼノンはクラテスに弟子入りすることとなるのである。 

 クラテスはいつもみすぼらしい服装で、妻である女性哲学者ヒッパルキアと公衆の面前で恥ずかしげもなくまぐわったりする生活をしていた。クラテスの師匠である哲学者ディオゲネスも、人々から「犬」と呼ばれ、街に置かれた酒樽に住み着き、やはりみすぼらしい格好で物乞いのような生活をしていた。

 ゼノンが弟子入りしたキュニコス派というのは、このように貧しく、他の人から好奇の目で見られるような生き方をすることで肉体と精神を鍛え、通俗的な幸福ではない幸福を追求する学派だったのである。

自ずと、そこで哲学を学ぶ者、探究する者たちは、世間一般の感覚からすれば奇人変人ばかりに見えたことだろう。

 弟子入りしたゼノンも同じように奇行をするように求められた。だが、もともと真面目でおとなしい性格のゼノンにはキュニコス派の奇行が恥ずかしく感じられたようで、上手く馴染めずにいた。そんな様子を見かねた師匠クラテスは、ある時、ゼノンに対して、豆のスープがたっぷりと入った鉢を持って人通りの多い道を通り抜けてくるように命じる。恥ずかしさを乗り越えるための、一種の試練だったのだろう。<後篇に続く>
【ソクラテス、クラテス……天才たちのおかしな日常に迫る連載】

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