〈連載「母への詫び状」第六回〉
TBSのドラマ『陸王』を観ていたら、挿入歌で「ジュピター」が流れてきた。歌っているのはリトグリ(Little Glee Monster)。
この「ジュピター」、うちの田舎の新潟県長岡市では特別な意味を持つ歌である。以前、母とぼくのケータイの着メロが同じ曲でぎょっとしたと書いたが、それが「ジュピター」だった。
ただし、着メロの一致は“親子ゆえのシンクロニシティ”などではないと、あとでわかった。父のケアマネージャー(介護支援の専門家)の着メロも、母の友達の着メロも、みんな同じ。あっちでも、こっちでも、電話がかかってくると高頻度で「ジュピター」が流れる。長岡という町のテーマソングと呼んでもいい。
【前回記事:「花火の町」長岡と、直径10センチの三尺玉】中越地震の翌年上げられた復興祈願の花火様々な人の思いをのせて。花火「フェニックス」なぜ、そうなったのか。これには地震と花火が関係している。
2004年10月、マグニチュード6.8の新潟県中越地震が起こった。震源地の川口町(現・長岡市)では最大震度7を観測するなど、甚大な被害をもたらした大地震だ。
うちの家でも、テレビが吹っ飛び、窓ガラスが割れ、母が大事にしていた高価な茶碗もいくつかダメになった。あの地震以来、まともに開かなくなった戸やふすまがある。
父にも悪影響があった。「おとうちゃんの認知症、地震の後に急に進んだみたいなんだて」と、母がいつか話していた。精神的なショックが大きかったのか。
大地震の翌年、長岡まつりの花火大会で「フェニックス」という復興祈願の超大型スターマインが打ち上げられた。この花火には音楽が付けられていて、それが平原綾香さんの歌う「ジュピター」だった。
初めて披露された音楽と融合した花火に、地元民の95%が感動のあまり涙をこらえきれなかったという都市伝説が残っている。災害に立ち向かう意志を示した大掛かりな花火と、それに合わせて流れる歌声が、大地震で弱ってしまった長岡市民の心に突き刺さった。
「ジュピター」が選ばれた理由フェニックスに「ジュピター」が使われたのは、中越地震の直後、この歌が地元のラジオ局に多数リクエストされたことが背景にある。アメリカの911の後は、エンヤのCDが癒やしの歌として売り上げを伸ばしたと聞くが、長岡では被災者を勇気づける曲として「ジュピター」が選ばれ、町を包んだ。
だから長岡の人間は「♪エヴリデイ~」という歌い出しを聞くだけで、中越地震にまつわる諸々の記憶や、そこから立ち上がろうとした誓い、願い、祈り、さまざまな感情がいっせいにこみ上げてくる。
フェニックスはその後も、長岡花火の目玉プログラムとなり、規模を拡大しながら打ち上げが続いている。当初は10年で終わりとされたが、10年たった今も、横幅2キロメートルに渡って、壮大な絵巻が夏の夜空に描かれる。
ちなみにフェニックスという名前は、花火の内容にも反映されている。一連のスターマインの最後に、手塚治虫の「火の鳥」に出てくるような、金色の不死鳥の模様が浮き上がるのだ。ドン、ドン、ドドンドン! と、尺玉が連発されたラストに、きらりーんと何羽もの不死鳥(=フェニックス)が翼を広げて夜空に飛ぶ。
花火の曲線が死者の御魂と重なるフェニックスが人の心を打つ理由は、ほかにもある。
いくつもの曲導が死者の御魂(みたま)に見えることも、涙腺をくすぐる理由になっている気がしてならない。
花火を打ち上げる際、下からしゅるるるる~と、白い線が夜空に昇っていく、あのイントロ部分を「曲導」と呼ぶ。色は白に限らないが、「昇り曲導つき八重芯変化菊」などというふうに使う。
フェニックスには、白い曲導がしゅるるるる~、しゅるるるる~と、左から順番に、横一列に上がっていくパートがある。
ひとつ、またひとつと、夜空へ向かって昇る白い火の玉。ごく平均的な死生観を持った日本人なら、そこに死者の存在を重ねる。旅立った人の魂が天に召されてゆく隠喩として、その光景を受け止める。
母が亡くなった後、ひとりで見たフェニックスは、最後に飛ぶ不死鳥よりも、空に昇っていった白い御魂の残像がいつまでも焼き付いて消えなかった。
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