幕末から明治にかけて、日本という国は劇的に変化した。武家社会が終わりを迎え、一気に西洋化が進んでいく。明治維新後は文明開化といわれるように、近代的な生活スタイルが浸透。人々の暮らしは大きく変わっていった。
このような時代の幕を開けたのは、1853年の黒船来航ではないだろうか。アメリカからマシュー・ペリー率いる艦船がやってきて、開国を要求。以降、日本は激動の時代に突入することになる。
黒船来航は日本に大きな影響を与えたが、欧米諸国へ日本文化が伝わるきっかけにもなっていることを忘れてはならない。ペリーが日本から持ち帰った石は、アメリカの初代大統領の功績をたたえたワシントン記念塔に使われている。
この石は下田のもので、花崗岩石材とされる。花崗岩は御影石ともいわれ、耐久性に優れていることから、後世にまで伝えるための記念塔にはもってこいの素材だったといえよう。
ほかにも黒船は、横浜のツボスミレなど300種以上もの植物を持ち帰った。これらの標本はニューヨーク植物園に保管されている。
日本からもアメリカへ贈り物をしており、そのなかには日本原産の犬が含まれていた。その犬種は「狆(ちん)」である。現在はあまりなじみがないかもしれないが、その歴史は古く、奈良時代にはすでに日本に存在していたようだ。
◆犬公方、徳川綱吉も愛した狆狆 狆は小型で、ふさふさした肌触りの良い被毛をもつ。人懐っこい性格で、愛嬌があることから多くの偉人たちをとりこにしてきたという。室内で大切に飼われていたというが、当時としては珍しいことだ。
猟犬などの使役犬とは異なり、「抱き犬」として愛でられたことから愛玩犬のはじまりともされる。犬公方といわれた徳川五大将軍、綱吉にも愛された犬種としても知られている。
明治維新のころには、「江戸の豚 都の狆に追い出され」という川柳が出回っていたという。この豚というのは、“豚一公”ともいわれた徳川慶喜のこと。
さまざまな逸話を持つ狆を持ち帰ったペリーは、イギリスのビクトリア女王に献上。その愛らしいフォルムは欧米でも好評で、「ジャパニーズ・スパニエル」として日本犬では初めてとして犬種登録された(現在は「ジャパニーズ・チン」に改称)。
こうして犬が外交にも役立ったわけだが、これは現代でも行われている。2012年には、秋田県知事からロシアのプーチン大統領へ秋田犬の『ゆめ』が贈呈された。柴犬をはじめとする日本犬は海外でも人気があり、この出来事をきっかけにロシアで秋田犬を欲しがる人が増えたというニュースもあった。犬と政治は昔から意外なところで関係があったのだ。
雑誌『一個人』12月号では、「維新150年! 謎とロマンに満ちた動乱期“幕末・維新”の時代を歩く。」と題した特集を組んでいる。激動の時代の裏では、日本犬が活躍していた……というのは言いすぎだが、こうしたエピソードが幕末・維新に対する興味をもつきっかけになれば幸いだ。
〈雑誌『一個人』2017年12月号「幕末・維新を巡る旅」より構成〉