日本によるパールハーバー奇襲はどのように準備され、実行に移されたのか。軍事的な時代背景とともに書き下されたオリジナル連載。

パールハーバー襲撃に際し、航空魚雷を用いようとした日本海軍。しかし、当時軍が所有していた「91式航空魚雷」は、水深の浅い場所で使用すると沈み込んだ魚雷が海底に突き刺さってしまうため、平均水深12mのパールハーバーでは普通に考えれば使用不可能だった――。
命中率は魚雷70%、水平爆撃80% 真珠湾攻撃前の日本海軍の...の画像はこちら >>
ハワイに向けて出撃すべく択捉島単冠湾に集結した空母赤城の飛行甲板上に置かれた91式航空魚雷。当時の魚雷は今日の巡航ミサイルのように高価な兵器であった。「月月火水木金金」の猛訓練で得られた信じ難い命中率

 そこで91式航空魚雷が抱える問題の解決が図られ、深く沈み込まない浅沈度魚雷と浅沈度投射法が急遽開発されることになった。これにかんしては、以前から浅沈度雷撃を研究していた「航空雷撃の神様」こと村田重治大尉を、パールハーバー第1次攻撃隊雷撃隊長に任ずることができたのは幸運だった。

 攻撃を実施する第1航空艦隊飛行機隊の搭乗員の練度は、当時、世界の海軍航空隊の中でも最高峰にあるといっても過言ではなかった。にもかかわらずさらに浅沈度雷撃をきわめるべく、パールハーバーに地形が似た鹿児島湾において、1941年10月から97式艦攻の実機を用いた浅海面雷撃訓練が「月月火水木金金」のハードスケジュールで開始された。その結果、作戦直前には魚雷の命中率約7割という驚異的なアベレージに達していた。

 空母に技術者を乗せ、ぎりぎりまで改修作業

 一方、浅海面雷撃に向くように91式航空魚雷の改良も進められ、魚雷本体の強化、空中姿勢安定用の脱落式木製框板の装着、安定器の搭載が行われた91式航空魚雷改2が完成した。ところが作戦開始までに100本を用意する手筈だったものが、大村海軍航空廠での調整が遅延。同じ九州の佐世保軍港に所属し作戦に参加することになっていた空母加賀がこれを運搬し、かろうじて間に合わせることができた。

 雷撃と同じく、97式艦攻によって行われる水平爆撃用の新型爆弾もまた開発された。それは、アメリカの戦艦の堅固な装甲を貫徹するための徹甲爆弾で、長門型戦艦の41cm主砲用91式徹甲弾を航空爆弾に改造。99式80番(800kg)5号徹甲爆弾と称された。

 ところがこの99式80番5号徹甲爆弾は、そのままの状態では97式艦攻の兵装懸吊架に装着できなかった。そこで作戦に参加する各空母に技術者を乗り込ませ、ぎりぎりのタイミングで搭載できるように改修を済ませることができた。ちなみに、作戦直前の97式艦攻の水平爆撃の命中率もまた約8割という恐るべき精度に至っていた。

 かくてアメリカ太平洋艦隊を屠るための「二つの得物」とその「使い手」の準備は万端に整い、あとは本番に臨むばかりとなった。

〈次稿に続く〉

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