第1回は、1985年発売の「AIR JORDAN 1」。
前年の'84年、ナイキはNBAドラフトでシカゴ・ブルズに指名されたマイケル・ジョーダンと契約する。その決め手となったのはシグネチャーモデル、エアジョーダンを彼のために用意するということだった。
後に伝説を築くことになる
AJの記念すべきファーストモデル写真を拡大 こちらはアメリカ限定カラーの黒×グレー。AJ1のプロモーションには、シカゴの夕焼けをバックにウィンドミルダンクをするMJの写真が使われた。NBAが黒×赤を禁止したその話題性が神話の始まり
マイケル・ジョーダンがエアジョーダン神話を始める礎となったAJ1。バッシュで初めて、ユニフォームとカラーコーディネイトしたド派手な黒×赤バッシュは、'84年9月のプレシーズンマッチで初登場した。その当時のインパクトを、シカゴ・ジャーナルではこう報じている。 「今のNBAで最も信じられないこと、最もカラフルで最も驚くべき存在。
で結局、AJ1はどうなったのかというと、ナイキCMでジョーダンの味方となった世論の後押しと、ナイキがユニフォーム規定に譲歩した白×黒×赤をジョーダンに履かせるという条件で、その使用をOKにする。こうして晴れてジョーダンはNBA公式戦でAJ1を履き、様々な「伝説」を築いていくのだ。
そんなAJ1は、当時ナイキのデザインチームにいたピーター・ムーアと、AF1も手がけていたブルース・キルゴアが共同開発したもの。ジョーダンとの契約交渉時間の短さから、既存のソールに彼のプレイスタイルに合わせたアッパーを組み合わせる作戦で短時間にデザインを仕上げたという。とはいえ、薄いソール、当時の他のナイキ・バッシュよりエレガントなディテールは、MJをよく表現したデザインだと今でも感心してしまう。
ベースモデルにフィットラップを追加し、ホールド性を向上
つま先の補強部分からシューレースにかけてのデザインは、同時期にリリースされたダンクとほぼ同じ。ただし、AJ1では甲の補強パーツが太く、アンクルパッドの横に比翼状のフィットラップが追加されている。シューレースホール3つ分の幅を持つ甲の補強パーツは、MJのステップワークに対して強化された。
アウトソールのパターンは、フォアフット中央にピポッドポイントを持つタイプだが、これはそのままダンクにも流用された。また、ミッドソール内部はかなり薄くなっており、ヒールはエアユニットを収めるだけの厚さしか確保されていない。フォアフットに関しては、インソールのすぐ下がアウトソールだ。なお、オリジナルはシューレースホールが9つのハイカット仕様だが、復刻後にデビューした〈レトロプラス〉はシューレースホールを一つ減らしたミッドカット仕様になっている。

1985年のオリジナルリリース時に発売されたレギュラーカラーは全部で16色。このうち日本で正式発売されたのは、最もメジャーな「白×赤×黒(シカゴ)」や2016年に7度目の復刻モデルが発売された通称ブルズカラーの「黒×赤(ブレッド)」を筆頭に、「白×ナチュラル」「白×黒」「白×メタリックブルー」、そしてこちらも'16年に“幻のカラーが31年ぶりに復刻”と話題となった「白×青(ストームブルー)」の6色のみ。他、「黒×青(ロイヤル)」「黒×グレー(シャドウ)」「白×黒×赤(つま黒)」「白×ノースブルー」の4色はアメリカ限定カラーとして発売された(「黒×青」は2001年復刻時で日本正式発売)。
AJ1、最初の復刻は1994年。その時はブルズカラーのホーム用(白×赤×黒)とアウェイ用(黒×赤)の2色が発売された。以降、21世紀に入ってからは、2001年の2度目の復刻を契機に、幾度となく多種多様な復刻モデルがリリースされており、現在に至っている。
*参考文献『スニーカーJack Premium「まるごと1冊エアジョーダン23周年』(小社刊)