この連載では、「ヌード」や「セミヌード」になった地下アイドルを紹介している。彼女たちはなぜ裸になる選択をしたのか。
そして、裸になったことは彼女たちにどのような変化をもたらしたのか。地下アイドルが身近な存在である人もそうでない人も、ぜひ見てほしい。

今回インタビューをしたのは、シンガーソングライターとして活躍しているRano Rarakuさん(30)。
小柄で可愛らしい容姿のイメージ通り、おっとりとした雰囲気としゃべり方がとても魅力的。服を着ていてもわかる大きな胸も相まって、まるで漫画のキャラクターが現実になったかのような女性だ。

現在は名古屋を中心にライブをしたりYoutubeで歌を配信したりと精力的に活動している彼女だが、数年前までは「桜井真紀」名義で着エロアイドルとして活躍していた。
「80cmなのにGカップ」というキャッチコピーを武器に、過激な着エロ作品を次々にリリース。人気着エロアイドルとしての地位を築いていた彼女が、なぜ今はグラビアを引退してしまったのだろうか。

■声優を目指し養成所へ

「私、最初は声優になりたかったんですよ。その頃に流行っていたポケットモンスターが大好きで、見るだけじゃなくて出演もしたいなって考えるようになって。だから小学校6年生の時に名古屋にある声優の養成所に入ったんです」

そこの養成所では声優だけでなく、役者として芝居全体のトレーニングをした。

「養成所で学んでいくうちに、声だけじゃなくて芝居することに興味を持ちました。

けどやっぱり養成所だから人数もすごい多いし、なかなかオーディションとかも受からないんですよね。7年間レッスンを受けながら頑張ってきたけど、まあちょっと色々無理だなって。だから1回養成所を辞めて、リセットすることにしたんです」

名古屋ではなかなかうまく活動できないと思い、18歳で大阪へ引っ越し。そこで目ぼしいオーディションにどんどん応募し、ラウンドガールや舞台など、様々なことにチャレンジして経験値を上げていった。タレント事務所にも所属することとなった。

■東京でグラビア活動をスタート

「事務所にもらう仕事は、東京での撮影会が多かったですね。私服、ラウンドガール、水着などの衣装で撮影してました。水着になることはめちゃくちゃ抵抗ありましたが、それよりも“もっと人に見られたい”っていう気持ちが勝っちゃいました(笑)」

 撮影会は月2回。そのたびに大阪から東京へ通っていたのでは、交通費だけでかなりの出費になってしまう。そう思った彼女は、21歳の時に東京へと引っ越した。

「東京に引っ越したら、事務所からグラビアのDVDを出しませんかって言われたんです。サンプルで同じ事務所の子のDVDを見せてもらったんですが…え、これ服なの!?っていうものばかりで(笑)ただ事務所の社長が“最初だけ露出してファンを付ければ、あとは着ていけばいいから”って言うから、そういうものなのかなぁ…って」

 そのまま流されるようにDVDの仕事をスタート。

不安はあったものの、最初のDVDでは激しい露出は特になく、きれいに仕上がっていた。また売り上げも好調で、他メーカーからオファーが相次ぎ、あっという間に5本先までの撮影が決まった。

 ■DVDが廃盤。その理由は…

 仕事もファンも増え、着エロ業界の中で彼女の名前は有名になっていった。しかし、事務所の社長の言葉に反し、撮影をするたびに確実に露出が増えていくのは他人の目からも明らか。嫌になることはなかったのだろうか。

「そりゃ、気持ちが落ちることもあれば泣いちゃうときだってありましたよ。でも頑張って、気持ちがブレないようにしてました。だって一度落ちちゃうと、もう戻ってこれないじゃないですか」

 そう俯きがちに語る彼女。私は、その泣いてしまった時のエピソードを聞いた。

「…私、廃盤になっているDVDがあるんですよ。ファンの人が教えてくれたんですけど、私のポロリ映像がメイキングにばっちり映っていたんです。

明らかにNGなんですよ、あ、ごめんなさい!って私言ってるし。顔だってビックリした顔してたし。事務所の人がメーカーに抗議して廃盤にしてくれましたけど、あのままだったら…」

 メーカーはポロリがあった方が売れるため、できる限りカットしたくないもの。おそらくメーカーが意図的に入れたものだったのだろう。自分のポロリ映像が一時的にとはいえ、全国流通してしまった彼女の心の傷は計り知れない。

 ■彼女の脱ぎの限界は

 彼女のDVDのパッケージを見てみると、かなりの露出がある。Tバック、手ぶらは当たり前。中には乳首が透けていたり、全裸で大事な部分だけをギリギリ隠しているものまであった。彼女の“脱ぎの限界”はどこなのだろうか。

「隠すところはちゃんと隠す、って感じでしょうか。自分から見せることだけはしたくなかった。体のラインは見せてもいいけど、完全に大事な部分が透けて見えるような衣装はダメ。

あと見えるとNGなところを指だけで隠すとかもダメ。ちょっと色が見えるな、くらいまでですね」

 彼女は合計で12本のDVDを販売したが、自分の限界以上を求められることも多々あった。しかし、そのたびに彼女は自分でしっかりと断っていたという。そんな意志の強さがあったからこそ、彼女はくじけることなくグラビアを続けてこれたのだろう。

■グラビアを引退した理由とは
人気着エロアイドルが見つけた「本当の夢」の画像はこちら >>
 

 グラビア以外にも、彼女はさまざまな仕事をしていた。撮影会、舞台、アイドル…そして、Rano Rarakuとしてのユニット活動だ。関西のギターリストと組み、様々なライブに出演。声優を目指していた彼女にとって、歌もやりたかったことの1つ。グラビアと並行しつつ、積極的に活動をしていたのだが…。

「一緒に組んでいたギタリストの人が亡くなってしまったんですよね。Rano Rarakuの曲は、すべてギター1本でやる曲だったので、ボーカルの私だけじゃライブに出られない。

 だから、しばらく活動休止していたんです。

でもこのままじゃ、彼が残したかった曲とかユニットの曲がどんどん消えてく。そんなの、絶対に嫌だ!って」

 代わりのギターリストを探すことも考えた。でも他人に自分たちの曲を弾いてもらうのは絶対に受け入れられなかった。
「だったら、自分でギターを弾けばいいんだ!って(笑)一度始めてみたら、ギターを弾くのが楽しくって!へたくそですけど、大好きだから負けたくないって思えるんですよね。 

 今まではグラビアやってみたり、舞台やってみたり、アイドルやってみたり…変な言い方ですけど、数撃ちゃどれかヒットするだろって感じで活動してました。でも、ギターは違う。ギターは、死ぬまで弾いていたいって思えるんです」

 ギターと出会って数年後。彼女は、ブログでグラビア引退を表明した。その理由は何だったのだろうか。
「最初はグラビアをしながら、一人でRano Rarakuとしてライブに出演していました。でも、このままでは“グラビアアイドルがちょっとギターを弾いてみてる”と思われかねないし、自分もグラビアアイドルでいることに甘えてしまうかもしれない。そうならないためにも、グラビアを引退してギター1本でやってみたいと思ったんです」

 引退は彼女にとって、今までで一番の大きな決断になった。

■少しでもRano Rarakuの歌が広まるように

 最後に、グラビアをやってみて良かったかどうかを尋ねてみた。
「私は良かったと思います。自分がやるって決めたことだし、グラビアをやっていなかったら今ここにいる自分はいないって思う。グラビアをやったことで成長できた部分はすごいあるし、それがきっかけで出会えた人もたくさんいます。今自分がギターをやるって決めたのも、グラビアをしていたことの延長線上にあると思うんですよね。全然後悔してないですし、やって良かったと思っています」

 グラビアが今の自分を作ってくれた。グラビアがあったから、今のやりたいことに出会えた。そう笑顔で語る彼女を見て、私の心もなんだかじんわりと温かくなった。

「今は桜井真紀からRano Rarakuに名前を変えて、心機一転アーティストとして活動しています。Youtubeにも動画があるので、それを見ていいなって思ったら、ぜひライブに来てほしいです。少しでも、Rano Rarakuの歌が広まってくれたらうれしいです」

 人気着エロアイドルだった彼女の次のステージ。今後もしっかりと見届けていきたい。

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