ティーガーIの実戦部隊への配備は1942年8月から開始された。本車は、それまでの支援戦車とは一線を画する重戦車だったため、独立重戦車大隊に装備され、天王山とされる戦いに最先鋒として投入することが考えられた。また一部のエリート装甲師団には、本車を装備する重戦車中隊が配属された。
これら独立重戦車大隊や重戦車中隊はエリート部隊とされ、熟練の戦車兵たちが送り込まれた。そのため、本車の優れた性能とも相まって、多数の戦車エースが誕生している。
・・・・1944年3月17日、東部戦線のナルヴァ戦区では戦線が錯綜していたが、そんな中、ドイツ軍が「オストザック(「東の袋」の意)」と称する橋頭保からソ連軍の攻勢が開始された。一帯を保持していたのは、それまでの戦いですでに弱体化が著しかったドイツ第61歩兵師団で、この攻勢を受けて総崩れとなった。
状況はまさに危機的だ。
ソ連軍は、タンクデサント(戦車跨乗歩兵)を鈴なりに乗せた多数のT34を先頭に立て、それに徒歩の歩兵が従っていた。すでに頼みの味方歩兵の姿がどこにも見えない中、カリウスとケルシャーは敢然と反撃を開始した。
「正面のT34に徹甲弾をかましてやれ!」
カリウスが咽頭マイクに叫ぶ。
鋭い発射音とともに8.8cm砲のマズルフラッシュが閃く。一瞬ののち、餌食となったT34の車上からタンクデサントが吹き飛ばされ、ガクンと停車すると同時に黒煙を噴き上げた。
隣ではケルシャーのティーガーIが立て続けに2両のT34を撃破。
「通信手、イワンどもを薙ぎ払え!」
カリウスの乗車の車体銃が火を吐き、逃げまどう歩兵や、戦車から脱出した戦車兵を次々とその火網に捉えた。
かくて数日間に及ぶ阿鼻叫喚の激戦の末、カリウスとケルシャーはソ連軍に大損害をあたえ、見事に戦線を守り抜いたのだった・・・・
このように、ここに紹介したカリウスの他にも、武装SSの至宝として著名なミハエル・ヴィットマンを筆頭に、クレメンス・フォン・カゲネックやヘルムート・フーデルといったティーガー・エースが多数活躍している。
ティーガーI。