幕末期の著名な刀工といえば、源清麿の名があがるだろう。酒に溺れながらも、数々の名刀を世に送り出した名匠はどのような人物なのか。
「幕末の名工、源清麿は酒好きで激烈な生涯を送ったことでも有名だ。
清麿は文化10年(1813)3月、山浦信友の次男として生まれる。美少年ともっぱらの評判だった清麿は、10代半ばで結婚したが刀鍛冶への志が強く、妻子を残し天保2年(1831)、松代城下で鍛刀を始めた。天保5年には、江戸に向かい、真田のつてで窪田清音のもとで学んだ。天保10年頃に独立。清音は、ひとり三両掛の武器講を集め、100口の応募があり、これを清麿に依頼していた。ところが清麿は仕事を放り投げて突然出奔、長州へと旅立つ。気分で作る名人肌の清麿にとって、毎月の作刀に縛られることは苦痛であったのだろう。1年間、長州で作刀した後、清麿は江戸へと戻り、清音に許され再び交流を始めた。
江戸での清麿は、四谷あたりで作刀し多くの弟子を取った。
自分の思う通りの作刀がままならなくなり、自らの命を絶った。それが自分が溺れた酒のせいだとしても、壮絶なる刀へのこだわりである。
〈『歴史人』2018年3月号「日本刀大図鑑」より〉