図1は、吉原の妓楼の宴席の場面である。
客の男の右にいるのが花魁。三味線を弾いているのは、宴席に呼ばれた芸者である。
豪華な料理が置かれているが、これは台屋という仕出料理屋から取り寄せた物で、台の物といった。もちろん、法外な値段だったが、こうした台の物を気前よく取り寄せるのが男の見栄でもあった。
客の男は美酒と美食を楽しみ、芸者や幇間の芸を楽しんだあと、花魁と床入りし、性を享楽したわけである。

いっぽうの花魁にしてみれば、こういう気前のいい客をとりこにすれば、自分も美食にあずかれたわけである。妓楼が提供する粗食など、人気のある花魁はほとんど無視していたろう。
図2は、仕出料理屋の調理場の光景。かなり繁盛しているようだ。
吉原にはこうした台屋がたくさんあり、豪華だが高価な料理を妓楼に届けた。
いっぽう、図3は、説明しないと状況がわかりにくいかもしれない。

これは、お茶を引いた、つまり客の指名を受けなかった遊女が深夜、宴席の料理の残飯あさりをしている光景である。
残飯あさりと言ってしまえば、たしかにみじめな光景である。だが、当人たちにとっては切実だった。
というのも、前回「階級によって大きな格差……遊女の食事事情」で述べたように、妓楼が提供する食事の惣菜は貧弱だった。こうして栄養補給をしないかぎり、体が続かなかった。残飯あさりは、彼女たちなりの知恵だったのである。
戯作『遊子娯言』(文政3年)に、遊女の残飯利用の場面があり――
と、昨夜の宴席の残りの刺身を隠しておいて、翌朝の食事のとき、火鉢の火で焼いて、唐辛子をふりかけて食べるつもりなのだ。
なんとも、いじましいと言おうか。
しかし、妓楼が遊女や奉公人に出す惣菜には、魚介類や鶏卵などはなかった。動物性たんぱく質の欠如を補うため、残った刺身を隠しておいたのは、一種の本能なのかもしれない。
こうした栄養補給で自己防衛をしないかぎり、吉原の妓楼では生き残っていけなかったのである。