落語は生き物です。例えば古典落語の同じネタでも、演じる噺家さんによって表現方法が違ったり、微妙にニュアンスを変えてみたり…。

それが噺家さん独自の魅力になり、「この人の噺を聴きたい!」、「コイツが出るから寄席に行ってみよう」と客が集まるのです。さて、そんな落語ですが、談慶さんが入門してから20年以上経ち、談志師匠の言葉を受けて、「落語とは何か?」を問うこともあるようです。今回はそんな側面から、談慶さんが思う師匠、立川談志さんの魅力と、同じ時期に名人と並び称された古今亭志ん朝さんとの対比で語る『志ん朝と談志の違い――談志の魅力その2』を語っていただきましょう。

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■「解釈」より「解析」で精一杯
「志ん朝」と「談志」。何が違ったのか?の画像はこちら >>

 入門して20年以上が経過し、しかも師匠はもうすでにこの世を去ってしまったというのに、その遺してくれた言葉を時折反芻しても、いまだに解釈できない部分があります。

 いや、解釈は永遠にできないのかもしれません。せいぜいその思考の痕跡を追跡調査するだけという、「解釈」というより「解析」するのが精一杯なのが正直なところです。

 というのも、師匠は言動のみならず、思考までをもショートカットして処理する人だったからです。しかも「変幻自在」。時代の趨勢やらその折々の感性にまかせて、自分の理論も変化させてしまうのです。いや、変化というよりは、落語という生物を存続させるための進化というべきかな。

「落語は人間の業の肯定である」という歴史的な定義を世に問うたのは『現代落語論』執筆時。こんな全ての落語に存在意義を与えてしまったような心理の法則ですら、それに拘泥することは決してありませんでした。

■「唯虚論」

 私が入門した20年前は、当時懇意にしていた岸田秀先生の「唯幻論」をよりわかりやすくさせた、「唯虚論」を唱えていまいた。

「虚実っていうだろ?なぜ虚のほうが先にくるか考えたことがあるか?それはな、世の中の大半が虚だからだ」
 移動の電車の中で突然、言われたことがあります。
 いきなり落語の「ら」の字もわからない前座である私ごときを、実験台として反応を確かめていたのかもしれませんが、こちらとしては、ただ師匠の機嫌を損ねないようにうなずくぐらいの反応しか示せませんでした。
 あの頃は「事実といわれるものなんざ、すべてではなく、むしろこの世の一部でしかない。むしろ虚がすべてだ」といったアプローチで、落語にも最接近していた時期だったように思います。
 で、そのようなさらなる独自の理論を新たに構築するものと思っていたら、それを更地にするかのような、晩年の「イリュージョン論」へと飛躍させてしまいました。「人間なんかもともと意味不明なものだ」という洞察に基づいた落語の再々構築、晩年の集大成と言ってもいいぐらいの大転換です。
 この時期の代表的な小噺に「信号赤だよ」「女房に言うな」というのがあります。「お約束」という「予定調和」を完全に逸脱するので、聴衆の感情はどこに飛んでいっていいかわかりません。
 ここまでくれば、「ピカソのゲルニカ」です。まるで捕捉できないのです。つまり、捕捉できないから補足説明もできなくなります。


 ただし、一度この「躍動的なトリップ感を」味わった聴衆は、さらなる陶酔感を享受しようと、さらなる刺激を談志に求めることになります。で、本人はこの期待に応えようとして、さらなる強度な刺激あふれる落語を展開し続けていく・・・そんな「苦悩のスパイラル」の渦中にいたように思います。

■「俺の理論も、あくまで仮説だ」

 もし万が一、師匠が一旦確固とした「落語は人間の業の肯定である」という定義を金科玉条のように守るだけの人だったら、もっと長生きしていたに違いないと確信しています。むろん、当人はそんな安穏な生き方を猛烈に拒否していましたが。
「俺の理論も、あくまで仮説だ。俺を陵駕する理論、持ってこい。いつでも受けてやる」と、相手が前座ですら、ずっと言い続けていたのがそのなによりの証拠です。
 今思うと、師匠は『現代落語論』の末尾に「落語が能のような道をたどる危惧」を記していました。そんな自らの理論にまるで好んで自縄自縛するSM嬢のように、「能のような道をたどらせてなるものか」という気概も込めて、自ら確立、定義した哲学すら進化、深化させてしまうのも師匠の魅力でした。
 いや、「落語は人間の業の肯定である」という一番最初の理論を、より社会全体にも押し拡げ、より人間に寄り添った形で展開し、つなげようとしたのが「世の中の大半は虚である」という「唯虚論」なのでしょう。
 そしてついには、そんな「落語の理詰め」を究極までに追及した人だからこそ、「理詰め」では解釈分析できない世界を描くという「落語の『世界最終革命』」を、晩年の「イリュージョン論」にみようとしたのでしょう。

■志ん朝師匠が「リズム」ならば、師匠談志は「理詰め」

 師匠談志と並び称された落語家に古今亭志ん朝師匠がいました。

同じく名人である父親の志ん生師匠の血を受け継いで、軽快に流れるようなリズムとメロディで世の落語ファンをうならせた方です。私も大好きでした。
 余談ですが(つうか、この本はすべて余談ですが)、私が前座の頃、当時大塚にあった癌研病院にボランティアで落語をやりに行ったことがあります。高校時代の友人がそこの医師だった縁で、その企画は実現しました。
 あとで志ん朝師匠のお弟子さんにうかがったのですが、その時、ちょうど志ん朝師匠も入院していたのです。事情を知らない看護師さんがこともあろうに「美濃部さん(志ん朝師匠の本名)、よかったら気晴らしにロビーで落語でも聞きに行きませんか」と誘い、「おいおい、ダレるよ」と、志ん朝師匠はさすがに断ったとのこと。「ダレるよ」とは、噺家特有の気持ちを表す言葉で、「お互いが照れるよ、めんどくさいよ」など決まりが悪い気分を表現すると時に使います。
 そりゃそうですな。今振り返ると、お互い最悪のニアミスでしたが。
 話はそれましたが、ここで二人の名人、「志ん朝と談志の違い」を端的に表現する結論を得ました。すなわち、志ん朝師匠が「リズム」ならば、師匠談志は「理詰め」。
 よ、お見事(自分で言うなよ)!

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 談慶さんなりの深い分析、そして見事なオチでしたね。

落語の奥深さを感じさせてくれました。しかし、こういった見方や考え方というのは、何も芸事の世界だけに限ったことではありません。私たちが社会生活を送る、仕事をしていく上でも役立つはずです。一緒にいる人を、ただ傍観するのではなく「この人はなぜ、いつも他人を惹きつけるのか」、「どうして仕事で成功しているのか」と、様々な角度から分析してみると、魅力や能力がより深くわかるようになるかもしれません。そして、それが人間関係を潤滑に送るうえでの参考にもなるのです。ちょっとだけ試してみませんか。
 

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