なぜ「究極の不平等条約」日本国憲法を「攘夷」もせず守り続けているのか? 世界に誇れる明治維新を達成しながら、現代の日本人はその本当の目的を忘れてしまっている――ケント・ギルバート氏は、最新刊『世界に誇れる明治維新の精神』(ベスト新書)の中でそう警告する。■明治維新は世界に誇れる大変革
幕末の志士・維新の英雄たちは、ふがいない子孫たちを見て泣いて...の画像はこちら >>
 

――新著『世界に誇れる明治維新の精神』を上梓したきっかけを教えてください。

 私は、日本で長く暮らしているアメリカ人として、江戸時代や幕末、明治維新に関心を持ってきました。アジアで当時近代化を成し遂げられた国は日本だけですから、日本には特別な何かがあったわけです。

 それは、さかのぼればさかのぼるほど不思議なのです。平和で教育と商業が発展した江戸時代の背景には、宗教を人々からうまく分離した流れがあり、さらにその背景には国民が互いに信頼し合える、天皇を頂点とした伝統的な国の仕組みがあったおかげです。今年は明治維新150年ですから、改めてまずその点からじっくり考え直したかったのです。

 結果、幕末や明治維新に対する私の敬意はますます強くなりました。ただ、同時にひどく腹が立ってきました。

――何に対して怒りを感じるのですか?

 明治維新150年を手放しで喜び、幕末の志士や維新の英雄たちを無邪気に賞賛している現代の日本人の姿に、大きな矛盾を感じてしまったからです。

 私が言うまでもなく、坂本龍馬や西郷隆盛をはじめとした若いヒーローたちが、幕末や明治維新では大きな役割を果たし、時代の主役として活躍しました。有名な人物だけではなく、さまざまな立場、考え方を持っていたヒーローたちがたくさん登場し、交錯し、手を組んだりぶつかり合ったりしたことが、この当時の歴史を楽しいものにしています。

 では、今の日本人は、彼らに顔向けができるのでしょうか? 彼らの作ってくれた国を守っているのでしょうか? 改憲を論じようともしないメディアが志士を持ち上げるドラマを放送するなど、茶番もいいところです。

 ■志士たちが今の日本を見たら激怒するに違いない
幕末の志士・維新の英雄たちは、ふがいない子孫たちを見て泣いている。
 

 志士たちは、黒船襲来と不平等条約という、西欧の軍事力・経済力を背景とした拒むことのできない現実を目の当たりにして、必死で国の行く末を考えたわけです。

 当初は幕府の対応が弱腰で国を危うくすると解釈し、尊皇攘夷運動が起こりました。しかし、当時の日本の力ではどうしても攘夷ができないとわかると、今度は大胆に、なりふり構わず西欧の文明を受け入れて、国を強くしようと考えました。

 この過程で国内では争いが起こりましたが、決して日本という国を潰すような動きになならなかったわけです。明治維新を経て「オールジャパン」でまとまり、本当に強い国を作ることに成功して、初めて志士たちが歯ぎしりしていた不平等条約をすべて解消することができたわけです。

――なぜ、志士は今の日本に幻滅すると思うのですか?

 どう考えても不平等な「日本国憲法」を、そのまま放置しているからです。

 特に、戦力の不保持は志士であれば絶対に受け入れられない条項です。考えてみてください。彼らは当時、持ちたくても戦力を持てなかった。財力も技術もなく、圧倒的な戦力差に歯ぎしりした。それでもいったんは攘夷をしてみたら、あっという間に実力の違いを見せつけられてしまったわけです。その悔しさを晴らし、国を決して奪われないために幕府を倒し、富国強兵に励み、実に50年の歳月をかけ不平等条約を解消したのです。そのとき、明治維新はやっと終わったのだと思います。

幕府を倒した目的を達成したわけですから。

 ところが、今の日本人は、不平等条約解消が何年のことだったのか、ほとんど知りません。そもそも明治維新の目的が何だったのかすら、忘れてしまっています。志士をチヤホヤし、一方的に尊敬するのは自由ですが、なぜ若い彼らが命をかけてあの時代を生きたのか、明治という時代になりふり構わぬ富国強兵の道を走ったのか、そこへの理解がなければ、明治150年などただのかけ声に過ぎませんよ。私は、この点を強く訴えるために本を書くことにしたのです。

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