『歴史人』2月号の 特集『戦国武将の家紋の謎』において「家紋の歴史と基礎知」というテーマで執筆した。
そこでは、家紋と戦国武将との関係についてさまざまな角度から分析を加えたが、紙数の関係から語り尽くせない部分もあった。
ということで、家紋や家系についての余談を紹介してみたい。
私の姓である外川(とがわ)の発祥の地は甲斐国都留郡船津村であり、現在の行政名では山梨県富士河口湖町にあたる。
河口湖畔の禅寺が外川一族の菩提寺のようであり、私が生誕する20年以上前に都内で病没した祖父の墓もその寺にある。
子どものころ、墓参に行くと、花屋や民宿など町中自分と同じ姓だらけであることに対し、不思議な感覚になったことを今でも覚えている。
先祖発祥の地にまつわる写真のなかでデジタル化された唯一のカット。
外川一族は、武田の旧臣らしく、家紋は下り藤という。下り藤ということは、源平藤橘のなかでは、藤原ということになるのだろう。
その割には、武田信玄を執筆する機会があっても、テンションが上がることなく、どちらかというと、家族に犠牲を強いるタイプであったことから、好きではない戦国武将として認識している。

塩山市内の温泉銭湯の入浴のため、下車したついでに撮影。信玄ではないとされる肖像画を元に作成される。
歴史アナリストと名乗るからには、一般的な日本人よりも、家系や家紋には興味はある。
ただし、自慢するほどの家系でもなく、祖父の代に分家し、3代目の私で無嗣断絶となりそうなこともあり、自身の家紋や家系について語るのは、これが最後の機会になるだろう。
家紋や家系を祖父母から聞き、そして子や孫に伝えることは大切なことであり、『歴史人』のこんな特集が家紋や家系の伝承につながるきっかけとなることを願っている。