6月の大阪の地震、7月の西日本豪雨、夏の猛暑、相次ぐ台風、そして9月に入り台風21号による被害と北海道の地震……
これだけ大きな災害が立て続けに起きると、日本社会に天罰が下されていると感じた人もいるのではないだろうか。だが、自然災害を天罰としてとらえるのは、決して善いこととは言えない。
社会学者清水幾太郎(1907~1988)は大正12年9月、中学3年生で関東大震災で被災した。10月に入ってようやく新学期が始まり登校すると次のような経験をする。
「第一時間目の授業は、野村先生担当の「修身」であった。「起立! 礼!」と私は号令をかけた。先生は何もおっしゃらずに、黒板に「天譴(てんけん)」と大書きされ、更に、「天物暴殄(てんぶつぼうてん)」と大書きされた。前者は「天罰」というような意味であり、後者は「贅沢三昧」というような意味である。つまり、地震は、私たちの贅沢三昧を戒めるために下された天罰である、というのが先生のお話の大意であった。」
清水は東京の下町、本所に住み、震災後の大火災の中を逃げ回るという経験をした。家は倒壊し、妹、弟ともはぐれたまま、千葉の兵営で避難生活を送る。焼け野原となった本所に戻ってからは、バラック小屋を建ててしばらく暮らしていた。
通っていた中学校は、目白台にあるエリート学校だった。なんとか入手した夏物の服とゴム長靴で登校した清水の姿を見て、級友たちは笑い転げた。山の手に住んでいた級友たちは、下町住まいの清水ほど凄惨な経験をしておらず、服装も清水以外の全員が震災前と同じ制服姿だったからである。
授業前にこのような経験をした清水は、教師の話に強烈な反感を抱いた。
「私は、平静な気持ではなかった。いや、仮に笑われなかったとしても、もし先生の説明を受け容れるならば、このクラスで私だけが天物暴殄の罪を犯して、私だけが天譴を受けたことになるのではないか。私のことなど、どうでもよい。貧しい、汚い、臭い場末の人々、天物暴殄に最も縁の遠い人々、その人々の上に最も厳しい天譴が下されたことになるのではないか。私は、先生の説明が一段落つくのも待たずに、右のような趣旨の質問をした。先生が何とお答えになったかは覚えていない。何とお答えになったとしても、私は「天譴」及び「天物暴殄」という観念を受け容れることは出来なかった。しかし、もし野村先生御自身が焼け出されたり、ご家族を失ったりして、それでも、「天譴」や「天物暴殄」のお話をなさったのなら、私は強く反対しなかったであろう。しかし、先生は何の被害も受けていらっしゃらなかった。」(清水幾太郎『流言蜚語』ちくま学芸文庫、303-304頁)
関東大震災を「天譴」として捉える見方は、当時の風潮として一般的だったようだ。特に、明治維新以来、文明を進展させ、対外戦争に勝利し、ブルジョワ的で退廃的な社会になった日本に対する「天の怒り」としてとらえる見方が多かったようである。
ブルジョワジー打倒を目指す改革論者、共産主義者の中には、金持ちや権力者に対して鉄槌が下され、一時的にでも貧しい生活を強いられることとなった状況に喝采する者までいた。
もし、震災がブルジョワ社会の腐敗に対する「天譴」であるならば、罰はその当事者だけに下されるはずだ。本来、「天譴」とは古代中国に端を発する「災厄が起きるのは為政者の「徳」が失われた証であり、災害などが起きるのは天による為政者への叱責である」とする考え方である。だから、「天譴」によって罰が下されるのであれば社会の中枢にいる者に対してであるはずだ。
■庶民の生命が失われ、「ブルジョワ」の被害は少なかったが… だが、実際には多くの貧しい庶民の生命が失われ、山の手に住む「ブルジョワ」の被害は相対的に少なかった。「天」は、腐敗した金持ちや権力者に罰を下すために、罪のない大多数の貧しい庶民の生命を奪ったのだろうか。
自然現象である自然災害に、本来意味はない。しかし、大きな被害を前にして、何かしら意味を見出そうとするのも、人間の自然な心理である。社会が被った甚大な損失を「天」や「神」のような超人間的な存在が人間に下した「罰」ととらえるのも、一つの解釈の形であろう。
だが、「罰」を受けるのが正当なのは、それに相応しい「罪」を背負った者だけだ。災害を「天罰」としてとらえることは、被災者がその「罰」に相応しい「罪」を背負っていたと主張することと等しい。
災害は、腐敗した者にも無垢な者にも無差別に襲いかかる。「罪」のない者に「罰」が下されるのはおかしな話であるし、もし「天」や「神」が本当に「罰」を下しているとしたら、そんな道理すらない「天」や「神」を信じる必要はない。
清水は、先の文章に、自らが訳出した哲学者ヴォルテールの、リスボン大震災に捧げた詩を付している。
如何なる罪を、如何なる過ちを犯したというのか、
母親に抱かれたまま潰されて血に塗れた子供たちは。
今はないリスボンの悪徳は、
享楽に耽っているロンドンより、
パリよりも大きいというのか。
リスボンは亡び、
パリでは踊っている。