『新潮45』廃刊をめぐる騒動の過程で、小川が自分の本のことを「拝著」と書いていたことが話題になった。「拙著」を「ハイチョ」と読んでいたようだが、この話がネットで広がると、小川の「秘書」がコメントを出した。
「(秘書投稿)びっくりです(笑)5ヶ月前の私の誤字を茶化すツイートが散見されます。何をどう間違えてああなったのか自分でもさっぱりわかりませんが、せっかくですので、皆さんに気晴らしして頂けたら幸いです。小川と違って私は吠えませんので、安心して安全地帯から思う存分罵りましょう」
「どうせ本人だろ」とネットではツッコまれていたが、読み間違いに基づくものなので「誤字」でも打ち間違いでもない。小川は「秘書」が間違ったという設定にしたいらしいが、秘書が投稿したなら「拙著」になるはずもない。それとも、小川の本は「秘書」が書いているのか?
要するに、捏造体質。生き恥を晒すとはこういうことだろう。
小川は今回の件について毎日新聞からコメントを求められたが、それが掲載されなかったと怒っていた。
そのコメントは以下のようなもの。
「署名原稿に出版社が独断で陳謝コメントを出すなど言語道断。
こんな文章が全国紙に載るわけがないだろう。とりあえず意味不明だし。「マイノリティーなるイデオロギー的立場に拝跪」って何?
その後、小川は大方の予想通り、陰謀論を唱えだした。
小川によると、『新潮45』の廃刊は「尋常ではない圧力を想定しない限り説明がつかない」のであり、「発売初日から、ツイッターの組織戦で小論の完全な誤読による悪罵を大量に流布された」とのこと。「全く異常な話ではないか」と言うが、異常なのは自分であることに気付いていない。
小川によると、自分の文章は「悪意があるか不注意か無能な読者でない限り、誤読しようがない」が、「本質的な拙論のストーリー」を理解した上での批判は「ただの一人も」いないそうな。
誤読しようがない文章を誰もが誤読したというのも奇妙な話である。
小川の親友である「洗脳、プロパガンダの専門家」が、今回の件は「司令塔なしに不可能なレベル」だと連絡を取ってきたとのこと。小川は「司令塔」という言葉をよく使うので、この「親友」が実在するのかは不明だが、要するに誰かが命令を出して、小川批判を書かせているというのだ。
小川は言う。
「早急に必要なのは、この事実上廃刊に至る新潮社の不可解な動きの裏で、社内外で連携した何らかの組織動員的な圧力、スキャンダル圧力などが新潮社執行部にかけられていなかったどうかの真相究明だ」
小川が「条件反射する言論人」として名前を挙げた竹下郁子、平野啓一郎、星野智幸、津田大介、武田砂鉄、池内恵、荻上チキ、岩永直子、高橋源一郎、村山由佳、中野晃一、青山ゆみこ、岩上安身といった人たちも、その「司令塔」とやらに命令されたんですかね?
少なくとも私のところには「司令塔」からの電波は届いていない。
そのうち、宇宙人の悪だくみとか、人工地震とか言いかねない。
結局、カルトは陰謀論に行き着くのだ。
■出版界のモラルの低下
新聞や雑誌に載る文章と便所の落書きの一番の違いは、編集者や校閲のチェックが入っているかどうかだろう。
大手出版社の本が売れるのは、最低限の品質が確保されているという信頼があるからだ。
しかし、最近の傾向だが、極端に頭が悪い人たち、ネトウヨのブロガー、デマゴーグの類が、言論界に入ってきてしまった。出版不況が続く中、ビジネスと割り切り、モラルを完全に投げ捨てる編集者も増えた。
宗教団体の教祖の本が売れるのは、教団が大量に買い上げたり、信者が組織的に紀伊国屋新宿本店や八重洲ブックセンターで購入することで、新聞の書評欄の売れ筋ランキングに載ったりするからだ。その本の広告を打つこと自体が、教団の宣伝にもなる。
小川がこれまで書いてきた安倍のヨイショ本も同じ構造である。
党が組織的に本を買い上げる。そしてその資金で大きく広告を打つ。
それこそ「窓割れ理論」である。
自分で原稿を書かないどころか、ゲラのチェックさえまともにしない外国人弁護士などに記事を書かせているうちに、『正論』『WiLL』『Hanada 』といった特殊な雑誌でしか通用しないライターが一般誌にまぎれこむようになった。
『徹底検証「森友・加計事件」朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』という小川の本がある。
「加計学園問題は更にひどい。全編仕掛けと捏造で意図的に作り出された虚報である」「今回は朝日新聞が明確に司令塔の役割を演じ、全てを手の内に入れながら、確信をもって誤報、虚報の山を築き続けてゆく」などと鼻息が荒いが、朝日新聞に逐一反論されていた。本文には「現時点では取材拒否が多く」とあるが、朝日新聞は「弊社の取材窓口にはもちろん、弊社の取材班にも、貴殿からの取材申し入れはこれまで一度もありません」と反論。
これも「司令塔」による陰謀論の類だ。
ではなぜこんな本が出てしまったのか?
「11月17日ごろ、自民党所属の国会議員のもとに、差出人が『自由民主党』とだけ書かれた書面と一緒に“ある本”が届いたんです。各都道府県にある自民党の支部連合会にも、段ボールに詰めて100部ずつ送られてきました(自民党ベテラン秘書)」「党が全部で5000部以上購入したようです。一緒に送付されてきた書面には『ご一読いただき、「森友・加計問題」が安倍総理と無関係であるという真相の普及、安倍総理への疑惑払拭にご尽力賜りたい』という旨が記されていた」(『FRIDAY』2017年11月24日)。
要するに、そういうビジネス。
小川は「朝日新聞よ、恥を知りなさい」 と言うが、恥知らずはお前だろう。
『新潮45』で漫画『プリニウス』を連載していたヤマザキマリは、こうツイートしていた。
「新潮45がいくら休刊になっても、この顛末の火種となった文章を書いたひとたちが今までと変わりなく、あのような考え方を懲りずにどこかで晒していくのだろうかと思うと、連載掲載の場が失われたことよりも、それがなにより残念だ」
この言葉に尽きるだろう。
小川は反省のかけらもなく、デタラメな陰謀論を繰り返している。
「私を非難した新潮社とリベラル諸氏へ」という記事(『iRONNA』2018年9月28日)には、変な日本語でいろいろ書いてあったが、一行にまとめると「オレは悪くない」。ネットには自分を擁護してくれる声があるのに、自分を責めるのは「恐ろしく傲慢な事」だって。
小川の妄想は止まらない。
「それにしても、なぜここまで事は急激に運ばれたのか」
「あの森友・加計学園問題を報じた朝日新聞による倒閣運動を日本社会は放置した。保守政権叩きでさえあれば、ファクトなど今の日本の大手メディアはもはやどうでもいいとの不文律が、これで出来てしまったと言える」
「朝日新聞と新潮社の『あまりに常識を逸脱した』行動で、日本社会はファクトもオピニオンの公平な提供も、全く責務として引き受けようとしない大手メディアによって、完全に覆われることになった」
「日本は平成30年9月25日をもって、『言論ファッショ社会』に突入したという事にならぬかどうか―。実に厳しい局面に日本の自由は立たされている」
実に厳しい局面に立たされているのは小川だろう。
もっとも、このようなおかしな人間はどこにでもいる。
問題は、特集を書いたライターの選択だ。特に、安倍のヨイショ本くらいしか書いたことのない経歴も怪しい自称文芸評論家に記事を書かせたことが致命傷となった。
そういう意味では『新潮45』の若杉良作編集長の罪は重い。
私は長年にわたり若杉編集長と一緒に仕事をしてきた。
2015年の大阪「都構想」の住民投票の際も、泊りがけで取材した。
彼は最後の最後まで熱心に動き回っていた。
信頼できる真面目な編集者だと思っていた。
しかし、今年になってから急に誌面が変わり、極端なネトウヨ路線になってしまった。
政権批判が多かった私の連載「だからあれほど言ったのに」も終了した。
今年になってからは、二度くらい一緒に酒を飲んで、「きちんとした右翼に原稿を依頼するならともかく、論外のネトウヨに記事を書かせたら、新潮社の名前を汚すことになりますよ」「引き返すなら今ですよ」と伝えた。
その時の彼の返事は明かさないが、がっかりして自宅に戻ったのを覚えている。
社会が甘く見たり、面白がったりしているうちに、オウム真理教は拡大していった。
変に物分かりがよくなってしまった人たちが、オウムの施設を追い出そうとする地元住民に対して、宗教弾圧だとか、オウムにも権利があると言い出した。小川が嫌う「人権思想」が、社会のダニを排除できない状況を生み出している部分もある。
しかし、出版業界は今回の『新潮45』の廃刊で気付いたのではないか?
便所の落書きを放置しておくと、自分たちのクビを絞める結果になると。
小川及びその周辺にいるいかがわしい連中に対し、出版業界は毅然とした対応をとるべきだ。今、日本にとって一番大切なことは、小川を逃げ切らせないことである。そして、あの手の連中の所業をすべて暴き出すことだ。
(敬称略)