昨年末以来、世間を騒がせた大手食品メーカー・マルハニチロホールディングスの子会社、アクリフーズの群馬工場で製造された冷凍食品から農薬・マラチオンが検出された事件は、2007年12月から08年1月に起きた中国製冷凍餃子食中毒事件を思い出させる。

 食中毒を引き起こした冷凍餃子は、中国・河北省の天洋食品で製造されたもので、毒性の強い農薬・メタミドホスを袋の上から餃子に突き刺して混入したとされ、事件から2年余り後の10年4月3日に逮捕された犯人は天洋食品の臨時工で、動機は給料など待遇面の不満から、個人的な鬱憤を晴らすために行ったと自供した。

 当時、国内では「日本では起こりえない犯罪」と受け止められ、対岸の火事のように見られていた。それでも、事件を奇禍として食品業界は「食品防御(フードディフェンス)」の考え方に基づき、「どんなに防御しても、悪意の混入はあり得る」との前提で、製造から販売までの対策を徹底し、安全管理体制を強化してきたといわれている。

●厳重に警戒していても、農薬混入を防げず

 しかし、それにもかかわらず、国内の食品工場で今回の事件が起きたのだ。フードディフェンスの限界を露呈させたのはもちろんだが、そうした理解だけでは済ませられない日本の現実を突き付けている。日本でも賃金への不満から、中国と同様の事件を起こす犯罪者が出現するところまできている、という現実だ。

 群馬県警が同工場の契約社員、阿部利樹容疑者(49歳)を偽計業務妨害の疑いで逮捕、これを受けマルハニチロの久代敏男社長とアクリフーズの田辺裕社長は1月25日に記者会見し、2人とも3月末で引責辞任することを表明した。阿部容疑者は当初、容疑を否認していたが、その後の取り調べで、年収が200万円前後であることなどに不満を持ち、自宅にあった農薬を混入させたと供述している。

 アクリフーズは12年4月から契約社員など準社員の給与体系を年功型から能力型に変更した。業績評価に応じて時給単価やボーナス額が上下する、いわば成果型に見直したのだ。変更後の給与体系は3段階で、阿部利樹容疑者は約8年4カ月間所属しており、契約社員の中では古株で上から2番目のランクだったが、13年のボーナスが前年度より減額になった。

 新聞報道で伝えられた同僚の従業員らの証言では、阿部容疑者は「給与への不満をよく漏らしていた」「昨年7月に自分のボーナスの額が、ある同僚の半額以下と知ると憤った様子だった」「給与が低いので仕事に熱が入らないなどとこぼしていた」という。不満は阿部容疑者だけではないようで、「家族手当などもカットされた」「会社に不満を持っている人はいる」との証言もある。


●フードディフェンス強化の弊害

 会社側は「給与は周辺地域の同種産業と比較して平均的な水準」と強調、容疑者についても「給与面や仕事面で特別大きな不満があったとは聞いていない」「勤務態度もまじめで仕事ができ、新入社員の面倒もみている」とし、半年ごとに行う契約更新の時期に当たる3月以降も雇い続ける予定だったという。「事件の動機は待遇への不満ではない」と述べるなど、火消しに躍起になっている様子がうかがえる。

 群馬工場の従業員約300人のうち、契約社員は約200人。会社側は「頑張って職責を果たせば正社員になれる」と説明するが、役職手当も付く「職場リーダー」や「班長」になることが大前提で、正社員になれるのは年間わずか3人程度らしい。阿部容疑者はそうしたポストには就いていなかった。

「損して得取れ」「一文惜しみの百失い」ということわざがある。今回の事件でアクリフーズは、製品回収による損失を35億円見込んでいるといい、マルハニチロも1月25日、14年3月期の連結純利益の予想を従来の70億円から45億円に下方修正、一転、減益(前期比17%減)になる見通しと発表した。

 フードディフェンスはあまり強化しすぎると、会社に対する従業員の“もう一つの不信感”を醸成する恐れがある。やはり、従業員の能力を十分に引き出して良い仕事をさせるには、経営者は従業員の不満を極力なくす努力をすることが王道なのだ。

 いずれにせよ、事件は長引くデフレが日本の企業社会の根幹を蝕んでいる象徴的な出来事と捉えることができる。仮に安倍晋三政権の掲げるアベノミクスが成功しても、一朝一夕に労使の信頼関係を元に戻せるはずもないのが現実だ。

 折しも、今春闘が2月5日の経団連と連合のトップ会談でスタートした。

時に乗じて新聞各紙がこぞって「人件費のカットに汲々とし続ける経営者たちは、『一文惜しみの百失い』のことわざの意味をかみしめ、交渉に臨むべきだ」などと論陣を張ってもおかしくない。

 しかし、新聞各紙は事件を事実として淡々と伝えはするが、日本の企業社会の変質を踏まえた視点からは論じない。もちろん、大新聞が正社員と契約社員や地方と都市の賃金格差、そして、雇用形態や労使関係などの問題を取り上げていないというつもりはない。国の政策という抽象的なテーマとしては論じているからだ。

 しかし、抽象的に論じても、読者の心には響かない。ネット時代の今、多くの人たちが関心を持つ、具体的な事件を前提として企業を批判する論を展開すると、想定もできない批判を受ける怖れがある。それを避けたいのだろうが、「事件は絶対に許されない行為」「犯人に情状酌量の余地はまったくない」などと、自らの立場を明示した上で論じればいいことであるのに、それすらしない。ジャーナリズムとしての使命を果たしているとはいえず、新聞から読者が離れていく傾向が加速しても当然ではないだろうか。
(文=大塚将司/作家・経済評論家)

●大塚将司(おおつかしょうじ) 作家・経済評論家。著書に『流転の果て‐ニッポン金融盛衰記85→98』上下2巻など

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