「経営陣 株主が選ぶ」

 建築材料・住宅設備機器業界大手・LIXILの経営陣が、2人の元トップ・潮田派と瀬戸派に分かれ、互いに取締役候補を提案。株主の支持を得た瀬戸派の提案がおおむね承認され、2019年6月27日の「日本経済新聞」は「経営陣 株主が選ぶ」との太字見出しを付けて報じた。

 ん……? ちょっと、待った。そもそも経営陣って株主が選ぶものなんじゃないの? それがなぜ、わざわざ「経営陣 株主が選ぶ」が見出しになるの?

 この「日本経済新聞」では、「『株主側の取締役選任案が通るのは、この規模の会社では初めてだろう』と大和総研の鈴木裕主任研究員は指摘する」とのコメントを寄せ、「会社側の言い分が通ることがほとんどだった日本の株主総会。経営陣などを『株主が選ぶ時代』への転換点となりそうだ」とまとめている。

 LIXILは株式会社なので、当然、株主は存在するし、今までも存在していた。それなのに、なぜ株主の意見が今まで通らなかったのか? 日本企業の多くは株式会社形態をとってはいるが、特に1部上場クラスの大企業では、株主の意見が通らなかった(と、大和総研の主任研究員は指摘しているわけだ)。では、日本企業の株主とはいったいどのような者から構成されており、かれらはなんのために株式を保有していたのだろうか?

個人から国内法人、そして外資系へ

 終戦直後の日本では、株主の圧倒的多数が個人株主によって占められていた。戦後日本を占領したGHQ(連合国軍総司令部)は財閥解体を実施し、財閥家族や持株本社が所有する株式をはき出させる一方、「証券民主化」といって、庶民層に広汎に株式が行き渡るように指導したのだ。

 しかし、株価の暴落や必要資金の調達などで、庶民は簡単に株式を手放してしまう。その一方、高度経済成長期によって企業が急成長してくると、企業は資金調達のためにたびたび増資を行い、個人では買い支えられないほどの株式が市場に出回ることになる。結局、膨大な株数を定期的に消化できる購買力を持った者は企業しかなく、企業の株式を企業が購入することになる。

 より具体的にいえば、A社の株をB社が買い、B社の株をA社が買うという、「株式持ち合い」全盛の状況である。その結果、1960年代中盤には、個人株主よりも法人株主の所有株式のほうが上回る状況となった。

 ところが、1990年代前半のバブル経済崩壊で、所有株式を売却して利益を捻出せざるを得ない企業が続出。株式持ち合いが崩壊し始めた。いわゆる「持ち合い崩れ」である。しかし、株式は誰かに買ってもらわなければならない。そこで、日本企業に代わって株主の主流派に躍り出てきたのが、外国人株主。特に投資会社などの外資系金融機関である。外国人株主は1990年代中盤には10%を超え、2000年代前半に20%超、そして現在では30%前後を保有している。

 今、日本が「株主が選ぶ時代」への転換期を迎えている背景には、こうした株主構造の変化が横たわっているのである。

 これまで主流を成していた日本の「持ち合い株主」と、今や主流派になった感がある外国人株主には、大きなスタンスの違いがあった。そして、昔は少数意見でしかなかった外国人株主の声が大きくなり、「持ち合い株主」もその声に押されつつあるというのが、現在の状況なのだ。

 外国人株主の意見は分かりやすい。株式会社は利益を出し、配当として株主に還元せよ、それが出来ない取締役は、会社経営から身を引け。

内部昇進者で取締役会を固めるな、外部から取締役を選任して、開かれた取締役会を構成しろ――というものである。きわめて教科書的な、企業経営の原理原則にのっとった主張であり、わかりやすい。

 では、今まで主流を成していた日本の「持ち合い株主」のスタンスはどんなものだったのか?

株式持ち合いの状況

 先述した通り、株式持ち合いとは、A社の株をB社が買い、B社の株をA社が買って互いに持ち合っているという状況を指す。しかし、「じゃあ、互いに100万株ずつ持ち合いましょう」といって持ち合うかといえば、それほど単純なものではない。

 株式持ち合いの第一目的は、浮動株(安定した所有者のいない株式)を減らすことにある。

 ある程度の拘束力がないと、売った株式は瞬く間に転売されてしまい、誰の手に渡るかわからない。「お宅が100万株売って現金化したんなら、ウチも100万株売ってやる」なんて言っていたら、共倒れである。では、株を売っても転売しない“忠義者”は誰かというと、それは商売相手であろう。

 例えば、造船会社にとって海運会社は重要顧客である。海運会社が「また、お宅から船買いますわぁ。それはそうと、今度増資するんやけれど、株持ってくれまへんか」なんて言われれば、もう断れないし、転売なんて恐ろしくて出来ない。その一方、造船会社も海運会社を使って海外から原材料を仕入れたり、製造した機器を輸送したりするので、ここにも逆の顧客関係が発生する。

で、「少し株持ってくんなはれ」ということになり、結果的には株式持ち合いになる。

 その結果、造船会社が海運会社の株式を5%くらい持って、海運会社が造船会社の株式を0.05%ほど所有するという形のアンバランスな「株式持ち合い」が成立する。持ち合いというからには「等分を持ち合う」と思われがちだが、とんでもない。そして株式持ち合いは、資金的に余裕のある銀行や生命保険会社が大量の株式を所有する構図へと移行していく。

 ある企業の株式を、複数の銀行が2~5%くらいずつ、複数の生命保険会社が3~10%ずつ持って、その残りの株式を信託銀行、損害保険会社、総合商社などが持った、そのまた残りを取引相手の企業が少しずつ持って株主構成が定まる。そんな感じである。

 だから、バブル経済崩壊で銀行と生命保険会社が不良債権で苦しめられ、株式を買い支えるだけの体力を失うと、株式持ち合いは維持できなくなってしまったのだ。

株式持ち合いの原理

 経済学者の多くは、持ち合い株主の株式所有目的を「企業支配」のためだと考えている。本当だろうか? だって、5~10%では相手企業を支配できないではないか。

 では「支配」とは何か? 企業における支配という場合、経営への大きな介入、究極的には経営者の更迭を意味する。

 しかし持ち合い株主は、経営者を更迭するなんてことは考えていない。経営者を更迭する理由としては、「経営がうまくいっていないから」「利益が出ていないから」とったことが考えられるわけだが、そもそも持ち合い株主は、当該企業の利益には興味がない。

だって、取引のために株を持ってるんだから。問題は、その企業に利益が出ているか否かではない。その企業との取引がうまくいっているか、将来的にも続けられるかである。

 冒頭で紹介した日本経済新聞の記事では「持ち合い株を保有する投資家は会社側に反対しにくい。ある生保関係者は『持ち合い先との関係を考えると、会社案に反対するとみられたくはない』と明かす」との記述がある。生命保険会社は団体保険・企業年金の契約取得のために株式を持っているので、変なところで相手企業にヘソを曲げられては困るのである。金融機関の商品は、他業種に比べて技術的な差異が少ないため、契約を乗り換えられやすい。本来、株主は企業に対して強いはずなのだが、持ち合い株主は顧客企業に対しては低姿勢にならざるを得ないのである。

 ただし、である。日本経済新聞の同記事はこう続ける。「17年に改訂されたスチュワードシップ・コード(機関投資家の行動指針)で国内勢も以前と同じようには動けなくなった。議決権行使の結果を個別の案件ごとに開示しなければならなくなり、株主の利害に反する『なあなあの判断』をしていると、年金基金などから運用資金を引き上げられてしまうからだ」。

 持ち合い株主は、取引さえ円滑に行っていれば文句を付けない、超優良株主だった。そして、かれらは仮に当該企業に不満があっても、ビジネスの場で内々に納めてくれた。株主総会で反対票を投じるなんて“大人げない”ことはしなかったのである。その持ち合い株主の多くが、「持ち合い崩れ」によって関係を解消しつつあり、残る株主も金融機関の比率が多いので、スチュワードシップ・コードで制約を受けてしまう。

 思えば、バブル経済で暴走しがちだった金融機関を諫めておけば、バブル経済崩壊後に金融機関が不良債権で苦しめられることもなく、「持ち合い崩れ」も起きなかっただろう。しかし、あの時、諫めることができなかったのは、日本国中がバブル経済に浮かれていたという理由だけではなく、そもそも金融機関の株主も物言わぬ「持ち合い株主」だったからだ。どのみち、今に至る道は変えることはできなかったと諦めるほかない。

(文=菊地浩之)

●菊地浩之(きくち・ひろゆき)
1963年、北海道札幌市に生まれる。小学6年生の時に「系図マニア」となり、勉強そっちのけで系図に没頭。1982年に國學院大學経済学部に進学、歴史系サークルに入り浸る。1986年に同大同学部を卒業、ソフトウェア会社に入社。2005年、『企業集団の形成と解体』で國學院大學から経済学博士号を授与される。

著者に、『日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく』(平凡社新書、2009年)、『徳川家臣団の謎』(角川選書、2016年)、『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』(角川選書、2017年)など多数。

編集部おすすめ