世界的な自動車ジャーナリストでレーシングドライバーのポール・フレールさん(以下、PFさん)の人生を描いた『伝記 ポール・フレール』の日本語版が発刊され、グランプリ出版での販売が開始された。今回は、本書の翻訳者の簡単なご紹介、マツダと私のPFさんとのご縁に関してお伝えしたい。

 本書は、ベルギー人の作家で若い頃からPFさんと親交のあったセルジュ・デュボアさんが執筆し、英語版が2014年に出版された。日本語版の刊行にあたって翻訳を務めたのは、熊本市在住の比類なきクルマ好きの医師で、イギリス一周燃費ギネス記録の4冠を達成、PFさんともご縁のあった宮野滋さんだ。

 宮野さんは、英語版の出版直後にPFさんの次女・マルティンさんに会う機会があり、その折に「この本を日本で出版して日本のPFファンに読んでいただけないだろうか」と相談されたことがきっかけとなり、臨床医の仕事をしながら10カ月かけて翻訳したという。

比肩するモータージャーナリストは皆無

 PFさんは、1917年フランス生まれのベルギー人。1946年に2輪から始まったレースへの参画は、1948年のスパ24時間レースへのMGによる参戦を皮切りに4輪にシフト、1954年からル・マンへの参戦を開始する。1960年、フェラーリで念願のル・マン優勝後にヘルメットを脱ぎ、91歳までモータージャーナリストとして活躍された。

 欧米メディアへの貢献はもちろんだが、日本のカーグラフィック誌との関係も深く、それは1966年まで遡る。フェアでどこにもおもねらない適切な技術的洞察を伴う記事は世界各国のファンを魅了した。今日、PFさんに比肩するモータージャーナリストは皆無といってもいいだろう。そして、2008年2月23日、91年の生涯を閉じられた。

伝記の内容と日本語版の特色

『伝記 ポール・フレール』の内容は、「若き日々」「ドライバーとしての日々」「ジャーナリストとしての日々」「賛辞」など240ページにもわたるが、宮野さんの尽力により、日本語版には自動車評論家の小林彰太郎さんが別冊カーグラフィックに書かれた賛辞、ホンダ「NSX」のLPL(ラージプロジェクトリーダー)だった上原繁さん、レーシングカーデザイナーの由良拓也さんなどから寄せられた賛辞も収録されている。

 また、イラストレーターの大内誠さんによるヤマハ「OX99-11」の素晴らしい透視イラストや、宮野さんの発案による「QRコードによる追加情報」は、英語版はもちろん一般の書籍にもない大きな魅力だ。

マツダにとってかけがえのない恩人

 PFさんは私の古巣であるマツダにとってかけがえのない恩人であり、私との最初の出会いは1976年に遡る。4年間の米国駐在から帰任した直後に海外広報への異動を命じられた私は、その最初の仕事がモータージャーナリストの山口京一さんのご紹介によるPFさんの招聘プログラムだった。

 当時、マツダは第一次オイルショックで壊滅打撃を受けた米国市場の復活と欧州での基盤拡充を目指していた。そんななか、開発中の後輪駆動初代「323」の三次試験場における目の覚めるような走り、技術的アドバイス、欧州市場に対する貴重なご意見などに関係者一同が深く感銘を受け、それ以来ほぼ毎年のように(奥様の体調が良好なうちは)ご夫妻で来日いただき、「FF323」「FF626」、歴代「RX-7」など、多岐にわたる各種新型車を開発段階で評価いただくことができた。

 また、「欧州での実車評価こそが大切」という進言を受け、たくさんのテストチームが欧州に出向き、多くの場合、PFさんの参画も得て南フランスの公道やドイツ・ニュルブルクリンクなどにおける評価を実施した。マツダの三次試験場の評価コースの一部は、PFさん推奨の南フランスの山間路のコピーだ。

 開発技術者を対象にしたドライビングスクールも開催し、家族ぐるみのお付き合いもさせていただいた。欧州市場におけるマツダブランドの定着、マツダのブランドコンセプトである「Zoom-Zoom」の原点は、PFさんのお力によるところが大きいと言っても過言ではない。

ささやかな恩返し

 1991年末、PFさんからお電話をいただいた。「1992年はじめの75歳の誕生日に際して、ル・マンで走ったクルマの助手席に孫たちを乗せてサーキットを走りたいが、協力してもらえないだろうか?」というものだった。優勝車「787B」はすでに日本に持ち帰っていたが、8位に入賞した「787」が1台だけ、マツダのル・マン挑戦をサポートしてくれたフランスのレーシングチーム「オレカ」に残っていた。そこで、オレカ社長のユーグ・ド・ショーナックさんに電話で相談すると、即座に「PFさんのためなら」と無償での全面協力を約束してくれた。

 1992年2月はじめ、PFさんは助手席(?)に急ごしらえのシートを装着した787にお孫さんほか17名を次々に乗せてポールリカールサーキットを69ラップも走られ、奥様のスザンヌさんによると「おじいちゃんは本当は75歳ではないことが証明できた」と、亡くなる直前まで喜んでいただけていたという。これは、マツダからPFさんへのささやかな恩返しといえるだろう。

(文=小早川隆治/モータージャーナリスト)

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