この週末、愛知芸術文化センターに行ってきた。ここは、今話題の芸術祭「あいちトリエンナーレ」のメイン会場になっている。

 せっかくなので主な展示も見てきたが、私の主たる目的は、コンサートホールで行われたオペラ鑑賞だった。演奏した愛知祝祭管弦楽団は、愛知県内のアマチュア演奏家が集まってつくられたオーケストラだ。このオケの公演は、過去には「トリエンナーレ」のパートナーシップ事業となったが、今年はオケが申請しておらず関連は一切ない。

トリエンナーレから外されたオペラ公演


 演目は、ワーグナーの4部作『ニーベルングの指輪』のフィナーレ『神々の黄昏』。地元出身者を中心に、今のオペラ界で活躍する旬のプロ歌手を呼び、毎年1作ずつ4年間かけて夏に上演してきた。プロのオケでも演奏が難しいこの大作を、全曲上演するアマオケがあるのは、世界でもおそらくここだけではないか。今回はその集大成。音楽を愛する人たちが、1年間みっちり練習しただけあって演奏のレベルは高く、音楽への愛と熱意があふれた、実に感動的な公演だった。

 このオケは、2005年に行われた愛知万博をきっかけに県内の音楽愛好家が集まって演奏会を開いたのが始まり。その後も演奏活動を続け、2013年に初めてワーグナーのオペラ『パルジファル』を上演し、以後、ワーグナー作品に取り組んできた。ワーグナー・オペラの本場ドイツ・バイロイト音楽祭の合唱指導などの経験もある、指揮者の三澤洋史氏の指導や新進気鋭の演出家・佐藤美晴氏などの協力もあり、音楽評論家にも一目置かれる存在に成長。地域での文化創造のひとつの形をつくってきた。

 県が取り組む大がかりな文化イベント「トリエンナーレ」も、美術だけでなく、音楽プログラムもあり、前回まではメイン事業としてオペラ公演を行っていた。2010年の第1回にはオッフェンバックの『ホフマン物語』、2013年はプッチーニの『蝶々夫人』、そして前回2016年にはモーツァルトの『魔笛』を上演した。こちらは地元のプロオケである名古屋フィルハーモニー交響楽団の演奏で、演出もキャストも実に魅力的な人ばかりだ。

 しかし、今年はオペラ公演がなくなった。

「トリエンナーレ」の企画アドバイザーを務めていた批評家の東浩紀さんは、芸術監督の津田大介氏との対談で、オペラ中止は「かなり強引に津田色を出した」結果、と明かしている。津田氏も、「もうオペラはいいんじゃないのという空気をびんびん感じて、軽い気持ちでやめちゃいました」と応じていた。

 語り口が軽いのが気になったが、芸術祭にはいろんなやり方がある。メイン事業のひとつを取りやめるほど、「トリエンナーレ」は芸術監督に自由な裁量、強力な権限と責任を与えているのだと、私は肯定的に受け止めた。

 この芸術監督の権限と責任については、企画展「表現の不自由・その後」が開幕3日目で中止となった企画展の中止を決めた後、「トリエンナーレ」実行委員会会長である大村秀章・愛知県知事が定例記者会見で次のように述べている。

「私はトリエンナーレ実行委員会の円滑な運営、全体の管理・運営、予算面での対応等々、全体を円滑に進めていくということです。そのなかで芸術監督を決めた以上は、そこで作品の中身についてはお任せをする。基本的には芸術監督の責任で仕切ってもらう、という立て付けになっています」

 企画展についても「中身については芸術監督の津田監督が全責任を持ってやっている」と、津田芸術監督が全責任を負っていることを大村知事は強調した。

 ところが……。

芸術監督の権限と責任とは


 津田氏が15日に発表した「お詫びと報告」を読んで驚いた。

 この企画展に、どの作品を展示し、どの作品を展示しないかは、芸術監督である自身ではなく、元NHKプロデューサーの永田浩三・武蔵大教授やフリー編集者の岡本有佳氏ら5人による「表現の不自由展実行委員会」(不自由展実行委)が決定権を持っていた、と書かれているのだ。

 いったいどういうことなのか。とりあえず、津田氏の主張を整理しておく。

 津田氏によると、近年の公立美術館で展示拒否に遭うなどした他の作品を加えるよう提案したが、了承されたのは3作品のみ。東京都現代美術館から撤去要請された会田誠氏の『檄』や、警察からわいせつ物陳列にあたると「指導」を受けた鷹野隆大氏の男性の裸体写真、逮捕・起訴されたものの裁判でわいせつ性を否定されたろくでなし子氏の『デコまん』シリーズなどについても、提案したものの受け入れられなかった、という。

 会田氏については、不自由展実行委が「拒絶」。会田氏は、都内の美術館で開かれた個展が、「性暴力性と性差別性に満ちている」として激しい抗議を受けたことがある。同氏のツイッターによれば、抗議をした側のひとりが不自由展実行委のメンバーで、彼女の反対で出展は実現しなかった、という。もっとも、今回の『檄』は性的な作品ではなく、なぜ拒絶されたのかは明らかにされていない。

 ろくでなし子氏については、津田氏の説明では「スペースの都合で」とされているが、彼女の『デコまん』シリーズは、それほど大きいわけでもない。

鷹野氏に関する説明も要領を得ず、不自由展実行委がなぜ受け入れなかったのかは、判然としない。

 いずれにしても、「表現の自由」の問題では、定番とも言うべき「わいせつ表現」が問題にされた作品の展示の機会は消え、慰安婦、天皇、憲法9条など、もっぱら政治色の強い課題をテーマにした作品展となった。

 さまざまな懸念が予想された少女像の展示について、津田氏が「実現は難しくなる」と伝えると、不自由展実行委は強く反発。「少女像を展示できないのならば、その状況こそが検閲であり、この企画はやる意味がない」と断固拒否した、という。

 それなら、不自由展実行委が会田氏の作品を拒絶したのは、「検閲」に当たらないのだろうか。こうした矛盾に対しても、芸術監督は何もできなかったのだろうか。

 昭和天皇の写真を含むコラージュが焼かれるシーンが問題視されたのは、大浦信行氏の映像作品『遠近を抱えてPartII』。かつて富山県立近代美術館が購入した、同氏が制作した昭和天皇の肖像を用いたコラージュ作品『遠近を抱えて』が、県議会などの批判を浴び、同美術館は作品を売却、図録を焼却処分とした。『PartII』は、その体験を経てつくられた新作だった。

 新作の出品は、公立の美術館で検閲を受けた作品を展示する企画展のコンセプトになじまない、と津田氏が指摘したが、大浦氏からは、ひと続きの作品であり、『PartII』が展示できないなら『遠近を抱えて』を取り下げると通告された。これについても、「不自由展実行委の判断を優先しました」と津田氏は書いている。

 その理由を、彼は長々と次のように説明している。

<そもそもの企画が「公立の美術館で検閲を受けた作品を展示する」という趣旨である以上、不自由展実行委が推薦する作品を僕が拒絶してしまうと、まさに「公的なイベントで事前”検閲”が発生」したことになってしまいます。(中略)この2作品を展示作品に加えた場合、強い抗議運動に晒されるリスクがあることは理解していましたが、自分の判断で出展を取りやめにしてしまうと同様の事前”検閲”が発生したことになります。芸術監督として現場のリスクを減らす判断をするか、”作家(不自由展実行委)”の表現の自由を守るかという難しい二択を迫られ、(中略)最終的には僕は出展者である不自由展実行委の判断を尊重しました>

 この長い文章を読み返せば読み返すほど、腰の定まらない感じがするうえ、「芸術監督」の権限と責任とはなんなのだろう、という疑問も膨らむ。

「お詫びと報告」には、抗議電話対策についても書かれ、「限界がありました」とされているが、本当に考えられる対応をやりきっているのかは、かなり疑問だ。

 不自由展実行委の岡本氏は、週刊誌「アエラ」(朝日新聞出版)の取材に答えて、対策の不備を訴えている。たとえば、設置を要望した自動録音や番号通知機能のある電話の配備も一部にとどまり、「現場の最前線に立たされる人への対応が不十分」と感じた、という(本稿を書くにあたって、私も不自由展実行委にも事実関係を確認しようと努めたが、回答は得られなかった)。

 電話回線を増やすだけでなく、企画展のやり方そのものについても、考えるべき点があったように思えてならない。

 たとえば、警備や電話対策に人や経費を集中的に投入するため、企画展は60日間の「トリエンナーレ」の期間いっぱいやるのではなく、展示期間を最初から短く設定する、というのもあり得ただろう。

 少女像について言えば、かつて東京の美術館で撤去されたのはミニチュア版であり、本企画のコンセプトに照らせば、等身大のものではなく、ミニチュア版の展示にする、という方法もあったと思う。

 また「わいせつ表現」とされた性表現関連の作品を含めれば、強烈な政治色が薄まるという以上に、観客の視野が広がって、アートにおける「表現の自由」についての議論につながったのではないか。

 不自由展実行委は、そういう妥協は許せないと納得せず、自分たちの企画を引き上げたかもしれない。そうであれば、芸術監督自身が作家と個別に交渉し、会田氏やろくでなし子氏らにも声をかけ、集まった作品で企画展を実行すればよかったのではないか。

そういう権限と責任は、芸術監督にあるのではないか。責任と権限を持った者が、妨害に対する最大限の対応を準備したうえで、やり抜く覚悟をもって開幕しなければ、今回のような困難なイベントは無理だろう。

 しかし、責任と権限の所在がはっきりせず、覚悟もあいまいで準備も不十分なまま、本番になだれ込んでしまった。極めて日本的な出来事だったようにも見える。そこには、なんとかなるだろうという楽観的な思いはなかっただろうか。

 主催者側の問題については、検証委員会(座長=山梨俊夫・国立国際美術館長)が発足し、会合も始まったので、詳細な事実経過が明らかになるのを期待したい。

“愛国的行動”が生む逆効果


 同時に、今回の出来事は、韓国や天皇などが絡む問題について、日本では人々が感情を沸騰させやすく、異論に対して極めて不寛容な状況にあることを内外に示した、といえる。

 広場や公園などに展示され、そこを通る人の目にいやでも飛び込んでくるパブリックアートとは異なり、「トリエンナーレ」は限られた閉鎖空間で、しかも期間限定で行われる催しだ。そういう場合、展示物が不快なら、見に行かなければいいだけの話だ。

「トリエンナーレ」を訪れても、企画展には立ち寄らなければよい。各企画は、それぞれ別の部屋で展示されているので、この企画展だけを「スルー」するのは容易だ。報道やSNSで企画展についての情報が流れてきても、無視すればよい。

少女像や昭和天皇の写真が使われたコラージュが燃える映像で心が傷つくなら、テレビのチャンネルを替える。ツイッターであればミュートやブロックなどの機能を利用して、そういう情報ができるだけ自分の所に入り込まないようにすればいい。

 わざわざ抗議の電話やファクスを入れた人たちは、そういう「スルー力」が弱いのではないか。文化的寛容さとは、結局のところ、不快なものをどれだけ「スルー」できるかにかかっていると思う。

 最近はさらに、こうした「反日」的な催しはとっちめなければならない、という使命感をたやすく煽られて、抗議などの行動に出る人たちも増えているようだ。

 当人たちは、それを愛国的行動だと思っているのだろうが、逆の効果を生んでいる。まず、展示中止となった少女像はスペインの事業家が購入し、バルセロナに開設する美術館に展示されることになった。ヨーロッパに、また慰安婦を象徴する少女像が拡散したことになる。

 企画展中止に抗議して、「トリエンナーレ」に作品を出している海外アーティストが、次々に自分の作品の展示をやめたり、企画の変更を申し出たりしている。「トリエンナーレ」のポスターやガイドマップにも写真が使われている、いわば今回の看板作品であるウーゴ・ロンディノーネ氏(スイス)の45体のピエロ像も展示室の閉鎖が検討されている、という。

 声を上げたアーティストによって、今回の出来事は各国のアート界に伝わる。企画展の閉鎖が報道された国もあるので、日本の表現の自由に懸念を抱く人たちもいるだろう。

 日本では今、来年の東京オリンピックに向けて、さまざまな文化関連行事が行われている。そのコンセプトは「文化でつながる。未来とつながる。」。これが発表された時の声明にはこう書かれていた。

<東京はアートの力を信じている。
 それは私たちのこれからを描く力だ。
 それは違いを受け止め、通じ合おうとする力だ。
 2020年。
 東京はその力を世界に示したいと思う。(以下略)>

「私たち」の「違いを受け止め、通じ合おうとする力」のありようは、その理念とはずいぶん違うことを、今回の出来事は示してしまった。「電凸」攻撃に加わった人たちには、自分たちの国柄を自分たちが毀損していることを、しっかり自覚してほしい。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)

●江川紹子(えがわ・しょうこ)
東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か – 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。
江川紹子ジャーナル www.egawashoko.com、twitter:amneris84、Facebook:shokoeg

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