最近、足立区の人気が急上昇を続けている。一昔前は「汚い」「危ない」といった負のイメージが定着していたが、近年では各種の「住みたい街ランキング」で北千住駅が上位に食い込む。

そのほか、西新井駅や綾瀬駅のような駅周辺も人気を集める。

 これまでは、そうした調査で足立区の街・駅がランクインすることはなかった。常連は港区や千代田区、渋谷区、目黒区、世田谷区、杉並区であり、いわゆる“西側諸国”ばかりだった。なぜ今、東京の“東側諸国”が人気を集めるという異変が起きているのだろうか。

「足立区が取り組み始めた中学校の『おいしい給食』が要因のひとつ」と明かすのは、足立区の職員だ。これは、2007年に足立区長に就任し、現在は4期目の近藤やよい氏の肝いり政策だ。導入当初は、周囲から理解されづらかった。単に「給食でおいしいごはんを食べさせる」と解釈されていたからだ。しかし、その政策はどんどん広がりを見せていく。前出の足立区職員は語る。

「足立区の給食は、近藤区長の就任前から“おいしい”と評判でしたが、近藤区政になってからさらに磨きがかかったと思います。給食というと、単におなかを満たすぐらいに思われるかもしれませんが、実際、職員も驚くほど副次的な効果を生んでいます。

 そのひとつが、給食残渣が減ったことです。近年、スーパーやコンビニなどでもフードロスをなくす取り組みが始まっていますが、学校給食も莫大なフードロスを出します。子供の場合はアレルギーなどの問題もありますが、好き嫌いによる食べ残しも大量にあります。おいしい給食に取り組んだことで、嫌いだった野菜を残す子が減り、それが給食のフードロス削減につながりました」

 おいしい給食が変えたのは、それだけではない。足立区は東京23区では低所得者層が集まるというイメージがあった。そのため、仕事に追われて子供の面倒を見ることができない親も多く、子供たちは非行に走りがちになり、学校へ行かなくなる。そんな児童は昼間に街をぶらつくことになるが、朝食も昼食も食べていないケースが多く、空腹をなんとかしようとスーパーやコンビニで万引きを繰り返す。そうした行為に手を染めるうちに感覚は麻痺し、しだいに犯罪行為はエスカレートしていく。

 そうした、いわゆる“問題児”に対して、足立区は「授業は退屈かもしれないけど、学校だったらおいしいごはんをたくさん食べられるよ」と呼びかけていった。これが奏功し、昼間に街をぶらついていた児童たちが学校に姿を現すようになる。当初は、おいしい給食を目当てにしていたかもしれないが、学校に通ううちに勉学にも興味を持ち始め、明らかに学習に対する姿勢に改善が見られるようになった。

「小中学校からはみ出す子を出さないことにより、足立区は文化的・教育熱心な街というイメージが広がりました。

そうしたことが大学の誘致にもつながり、区内には大学が増えたのです。また、大学が増えたことで若い世代が街を歩くようになり、それが地元経済に好影響を与え、地域振興にも結び付いています」(同)

 また、足立区のおいしい給食では地元産食材、地元で加工された食品を積極的に使っているので、地産地消にも結び付く。そのため、おいしい給食は足立区の地場産業を守る役割も果たしている。

他の自治体も模倣

 今後、足立区のおいしい給食で育った世代が社会人になっていくわけだが、足立区は社会人になった世代にも、おいしい給食の取り組みをつなげようとしている。

「最近、日本人の成人は塩分摂取量が多いことが指摘されています。そのため、足立区のおいしい給食では減塩メニューにも取り組みます。小中学生のうちに塩分の濃い食事に慣れてしまうと、社会人になってから減塩メニューを受け付けなくなるからです。

 減塩メニューに取り組むことで、小中学生の食生活が改善され、数十年後には区全体の食生活も変わります。これにより区民が健康的な生活を送れるようになり、ひいては医療費や社会保障費の削減にもつながることになるでしょう。かなり壮大なプランのように思えるかもしれませんが、こうした取り組みの一つひとつの積み重ねが街を変えていくのです」(同)

 足立区のおいしい給食は評判を呼び、レシピが単行本化もされた。それらはベストセラーにもなり、視察に来る自治体も相次いだ。足立区を模倣するようにレシピブックを出版する自治体も続出している。

 全国を見渡せば、小学校は給食でも中学校は弁当持参という自治体は少なくない。しかし、一人親や夫婦共働きの世帯が増えた現在、早朝に弁当をつくって子供を送り出すことができる家庭ばかりではない。そのため、学校給食の重要性が再認識されている。

 食育という言葉も定着し、食事は単に「空腹を満たす」「栄養を補給する」というだけの行為ではなくなっている。おいしい給食は「食育」のみならず、区政に大きな影響を及ぼす政策にもなり始めた。それらを早くから実践した足立区は、まさに時代を先取りしていたといえるだろう。

(文=小川裕夫/フリーランスライター)

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