勝者の声がほとんど聞こえなかった――。
9月26日、兵庫県の宝塚ホテルで行われた囲碁の第44期名人戦七番勝負(日本棋院、関西棋院、朝日新聞社主催)の第4局2日目。
しかし、芝野は局後のインタビューで、「先に3勝できたけど、もう1回勝たないといけないので、これまで通りがんばりたい」などと消え入りそうな声で話した。筆者にはシャッター音もあってほとんど聞こえなかった。負けたカド番となった張名人のほうが「悪くないかとも思えたこともあったが、打つ手が非常に難しかった。あきらめずにがんばるしかない」と朗らかに話していた。
第5局は10月7、8日に静岡県熱海市で開かれるが、芝野が勝利すれば囲碁史上で初めて十代の名人誕生となるのだ。これまでの名人誕生最年少記録は、全七冠制覇で国民栄誉賞も受けた井山裕太現四冠(30)が2009年に記録した20歳4カ月。2位ははるか昔、趙治勲九段(62)の24歳だ。19歳というのは井山が初めて名人戦に挑戦した年齢でもある。
「天下に二人と存在してはならぬ傑物」たる名人。ちなみに将棋の名人の最年少記録は、谷川浩司九段(永世名人資格)の21歳2カ月。あの羽生善治九段(永世七冠資格)でも名人になったのは24歳だ。飛ぶ鳥を落とす勢いの藤井聡太七段は現在17歳だが、名人戦は順位戦の年度ごとの昇級が必要なので、現在C1組の藤井が十代で名人になる可能性はゼロだ。
芝野が張名人から奪取すれば、囲碁、将棋併せても初の十代の名人誕生となる。19歳の芝野にとって、もちろん最初で最後のチャンスである。
華奢で気も弱そうなキャラクターそんな芝野は神奈川県出身。父親が人気アニメ『ヒカルの碁』のファンだった影響で、幼少時から囲碁を始めた。その後、東京都杉並区の洪道場(洪清泉氏主宰)で腕を磨くとすぐに才覚を表し、14年に初段。翌年には二段に昇段した。16年には棋聖戦のCリーグを4勝1敗としてBリーグに昇級、三段に昇段した。
毎年昇段しているだけでもすごいが、驚くのはここからいきなり七段に昇段することだ。
芝野はこの年のうちに王座戦の本戦決勝に進出、本因坊戦も最年少(17歳9カ月)でリーグ入りした。10月には新人王戦に優勝。11月は第43期名人戦の最終予選で一力遼七段に勝って、史上最年少で名人戦リーグ入りした。17歳11カ月は本因坊に続く最年少記録だった。
将棋と違い、囲碁は国際性がある。注目されたのは、昨年4月の「日中竜星戦」で柯潔九段に勝ち優勝したことだ。海外では日本のエース井山裕太も中国棋士相手に苦戦してきたなか、日本代表の優勝は初めてだった。しかも世界トップ級で井山も敗れていた柯潔九段に勝利したことは海外にも驚きを与え、中国メディアも「注目すべき若手棋士」と絶賛していた。
そして今期の名人戦リーグとなったわけだが、6勝2敗で河野臨九段と同率首位となっていた。プレーオフで河野九段に勝ち名人挑戦を決めていたのだ。
さて、兄の芝野龍之介二段(21)も最年少アマ本因坊の記録を持つ。「虎丸」という名前は実に勇ましいが、体は華奢で小柄。積極果敢な囲碁の攻めとは裏腹に、ちょっと気も弱そうなのだ。以前、対局中に相手の目を見たら睨み返されたので目が合うのが怖いとかで、今回の対局でも張名人と目を合わさないようにしていたらしい。
張名人がトイレに立った時に、ほっとしたような表情を見せて伸びをした姿に、この日、宝塚ホテルの一階で開かれていた大盤解説を、大橋成哉七段とともに担当していた女流棋士の佃亜希子五段が思わず「すごくかわいい」とコメントし、参加者を笑わせていた。
囲碁界では可愛らしい仲邑菫初段(10)が注目の的だが、子供ばかりが広告塔では情けない。ここは虎丸君との「可愛い二人」でファンを拡大させ、藤井聡太で人気沸騰した将棋にあやかりたいところかもしれない。
(写真・文=粟野仁雄/ジャーナリスト)