現在開催中のラグビーワールドカップでは、イングランド、ニュージーランド、南アフリカに並びウェールズが準決勝に勝ち進んでいます。そんなウェールズを訪れて初めてウェールズ語を聞いた際、「あの母子の話している言葉がわからない」と衝撃を受けました。
ゲルマン語系の英語を話すイギリス人にとって、ケルト語系のウェールズ語はまったく理解できません。とはいえ、ウェールズ人全体でウェールズ語を話せるのは20%程度にすぎず、以前は「いつか消滅する言語」とも言われていたのですが、最近になって復活させる運動が起こり、現在、ウェールズの学校では必修科目となっています。
イギリスはイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドで構成されています。しかも、これらの国々は、州や県ではなく特殊な国として存在しているのです。
スコットランドにおいても、昔は英語ではなくウェールズと同じケルト語系の一種であるゲール語が使用されていました。今も、公用語は英語とスコットランド・ゲール語となっています。BBC(英国国営放送)のスコットランド放送局には、ゲール語専門チャンネルもあります。ちなみに、1931年までイギリスの一部だったアイルランドの公用語は、同じくケルト語系のアイルランド語と英語です。実際には、英語を話すアイルランド人が大多数にもかかわらず、公用語の順序がアイルランド語から始まるのは、彼らのプライドです。
なぜこのような状況になったかと言うと、ケルト人の島だったグレートブリテン島に、英語を話すゲルマン系のイギリス人が入り込み、現地の言葉や文化を禁止し、英語を強制した歴史があるからです。スコットランドの名物であるバグパイプやキルトなども禁止する徹底ぶりでした。そこには、ナショナリズム運動の高まりを押さえ込む目的があったと考えられますが、むしろ彼らのイギリスに対する反感を高めたともいえます。
そんな事情もあり、イギリスは「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」と、国名ではなく島の名前を正式名称とし、4つの国々がある程度の自治権を持ちながらひとつの連合国となり、微妙なバランスで存在しているのです。
各国のこだわりは強く、たとえばスコットランドでは、イギリスのポンド紙幣も使用できますが独自の紙幣も発行しており、そちらのほうが流通しているくらいです。
以前、僕がイギリス南部のボーンマス交響楽団を指揮した際、担当の事務局員に「チャールズ皇太子は、いつ王になるの?」と質問したところ、「僕はスコットランド人だから興味がないんだよ」という答えを聞き、そこまで徹底しているのかと感心しました。
スコットランドの独立問題再燃の可能性もイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの国々は、それぞれに独自の国歌を持つほど独立性を強く持っており、スポーツの世界でもそれが表れています。ワールドカップをはじめとした国際大会は、基本的に1国1チームの出場とされていますが、英国発祥のサッカーやラグビーでは、頑として一緒に戦おうとしないのです(オリンピックは除く)。
そのため、例外的に個別にナショナルチームで出場しています。そして、普段は自国以外では歌う機会があまりない自分たちの国歌を、選手も、応援している国民も一緒になって大声で歌い上げるのです。ラグビーワールドカップを見ているだけで、英国の複雑なバランスが見えてきます。
今、話題になっている英国のEU離脱問題においても、この特殊なバランスはいつ爆発するかわからない爆弾となっています。現在、イギリス下院ではEU離脱をめぐって議会が紛糾していますが、EU離脱に関しては、もともとイングランド以外の国々は反対しています。たとえば、EUに残留したいスコットランドでは、2014年にスコットランド国民による投票で否決された独立問題が再燃する可能性もあります。
そんななか、ウェールズの動きも関心を集めていますが、20世紀後半に独立闘争を繰り広げた北アイルランドなどは、経済的にメリットがあるEUに残留するために、ワールドカップでは、同じチームとして参加しているEU加盟国のアイルランド本国に戻ることも考えられなくはありません。
さて、今回のラグビーワールドカップで日本チームが、強豪のスコットランドとアイルランドの代表チームに歴史的勝利をしたことは今も大きな話題となっていますが、音楽でもこの3国は深いかかわりがあるのです。たとえば、『蛍の光』『アニーローリー』『ロンドンデリー』といった歌を小中学校で歌ったことがあるという方も多いと思いますが、実は、これらはスコットランドやアイルランドの民謡なのです。日本の『赤とんぼ』『夕焼け小焼け』ともよく似ていて歌いやすいという特徴があり、日本人に愛されてきた名曲です。
偶然にも、それぞれの国々の音階が5音で構成されていることが、親しみを感じる理由のひとつですが、いずれにしても日本の子供たちは、スコットランド、アイルランド、日本の歌を学校で歌っているのです。
偶然といえば、この3つの国々は現在、有名なウイスキーの産地となっています。日本でも愛されているウイスキーは、もともとはスコットランドやアイルランドのローカルなお酒でした。フランスのワイン、日本の日本酒、メキシコのテキーラと同じです。
しかし、1707年に大きく事態が変化する事件がありました。それは、エールビール愛飲国のイングランドがスコットランドを合併し、税金を搾取しようとウイスキーに重税をかけたことです。多くの醸造所が廃業するなか、地下に潜って密造する人々も現れました。彼らがウイスキーをシェリー樽などに入れ隠しながら長期間貯蔵していたところ、結果として熟成されて味わいがマイルドになり、樽の風味や色が移り、現在のような薫り高い琥珀色のウイスキーができあがったのです。このような思わぬ大進歩があり、世界に広まっていきました。
その後、朝の連続テレビ小説『マッサン』(NHK)で有名になりましたが、ニッカウヰスキー創始者の竹鶴政孝によって、日本でも1929年にサントリーにて国産第1号ウイスキー「白札」がつくられました。そして今では、ロンドン・ヒースロー国際空港の免税店のど真ん中に鎮座鎮座するほどまでに、日本産ウイスキーは本場スコッチウイスキーやアイリッシュウイスキーをしのぐほどの大人気となっています。
日本代表のラグビーチームが、これまではまったく歯が立たなかったラグビーの本場であり強豪国でもあるスコットランドやアイルランドを、今回のワールドカップで撃破した快進撃を見ると、日本の国産ウイスキーの進歩を連想します。
そしてこれはスポーツやお酒の世界だけではありません。もともとは日本のものではなかったクラシック音楽の世界でも同様です。日本のウイスキーメーカーであるサントリーが1986年に東京赤坂に開館したサントリーホールは、クラシック音楽の世界的殿堂となり、世界のオーケストラのあこがれのコンサートホールのひとつとなりました。また、日本のオーケストラも世界から高い評価を受けるようになっています。
(文=篠崎靖男/指揮者)
●篠﨑靖男
桐朋学園大学卒業。1993年アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで最高位を受賞。その後ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクール第2位受賞。
2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後、英ロンドンに本拠を移してヨーロッパを中心に活躍。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、BBCフィルハーモニック、ボーンマス交響楽団、フランクフルト放送交響楽団、フィンランド放送交響楽団、スウェーデン放送交響楽団など、各国の主要オーケストラを指揮。
2007年にフィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者に就任。7年半にわたり意欲的な活動でオーケストラの目覚ましい発展に尽力し、2014年7月に勇退。
国内でも主要なオーケストラに登場。なかでも2014年9月よりミュージック・アドバイザー、2015年9月から常任指揮者を務めた静岡交響楽団では、2018年3月に退任するまで正統的なスタイルとダイナミックな指揮で観客を魅了、「新しい静響」の発展に大きな足跡を残した。
現在は、日本はもちろん、世界中で活躍している。ジャパン・アーツ所属
オフィシャル・ホームページ http://www.yasuoshinozaki.com/