負け犬の遠吠え

 札幌に決定した東京五輪のマラソンと競歩。11月5日に会見を行った日本陸上競技連盟強化委員会の麻場一徳強化委員長は、「あってはならない決定」とし、河野匡長距離・マラソンディレクターは「IOCは非常に高圧的。

理解不能な移転。私はこのことについては、たぶん死ぬまで心から消え去ることはない」と怒っていた。山下佐知子女子マラソン五輪強化コーチも「アスリートを馬鹿にすんなと思う」と啖呵を切った。瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーは「3年間、東京を目指してやってきた。急に札幌と言われても」と話す一方、「駄目といえば、五輪からマラソンをなくすということになるという思いがあった」と吐露した。

 こんな会見をするなら、なぜIOCのJ・コーツ調整委員長の滞在中にしないのか。陸連は談判を申し入れることも抗議もしていない。「敵」が消えてから吠えている。

 陸連内の意思疎通も滅茶苦茶のようだ。河野氏はIOC調整委員会に提出するために、選手や監督、コーチなど現場の意見を集めたという。しかし、風間明事務局長は「調整委に出すためとは思わなかった」と、集めた意見をIOCに提出していなかったことを明かした。陸連への批判をかわそうとして開いた、空しい会見となった。

 降ってわいた移転騒動に、選手や監督たちも神経質だ。五輪代表に内定した選手を指導するある監督も、札幌案に当初は「今さらという感じ」と批判的だったが、筆者の取材に「決められた所に合わせて調整してゆく」と発言変更した。

「札幌ありき」の茶番劇

 筆者は10月30日から開かれた東京でのIOC調整委員会を取材した。初日、コーツ委員長に続く挨拶で森喜朗東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長と橋本聖子五輪担当相は日本語で話したが、小池百合子都知事は英語で話して自分で訳すという「通訳無視」を行った。森氏は長々とラグビーの話をした。皮肉っぽく「ワンチーム」を強調した小池氏には、IOCの決定よりも森氏が先に札幌案を知っていたことが不快だった。経緯は略すが、小池知事と森氏は政治家として「犬猿の仲」だ。小池知事が札幌案を知ったのはIOC発表前日の10月15日、森氏は7日だったとみられる。橋本大臣も小池知事より早く知った。「『小池知事に早く教えればマスコミを使って猛反対され、難しくなる』と森氏がIOC側に示唆し、小池知事が蚊帳の外にされたようだ。

 調整委でコーツ委員長は冒頭から「札幌に決定した」と発言、小池氏は終了後に「デシジョン(決定)とおっしゃったが」と反論した。この前日、「都民ファーストの会」の都議2人が特派員協会で会見をし、「ドーハの世界選手権の大量棄権は選手の準備不足」「朝5時スタートなら問題はない」と東京開催を訴えた。

参加した筆者は「なぜ、代表選手を選考するMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)を最も暑い時季にしなかったのか?」と訊ねた。都議は「選手たちは一番暑い時季にやってほしいという声が強かった。9月15日になったのは政治的理由です」と答えた。

「すでに行事で土日祝祭日は埋まっていた」(スポーツ紙記者)そうだが、MGCは朝スタートしている。どうしても9月15日なら、日中に実施すれば8月初旬の朝に近い温度になるはずだ。酷暑時季に開催してドーハと同じ事態になれば、すべてが終わることを恐れたのでは。

 さて、来年の知事戦を控える小池氏は、札幌案に「はい」とはいえない。一方、森氏はすでに代議士を引退し、北海道出身の橋本氏は口にこそしないが札幌への移転は大歓迎だろう。だが「合意なき決定」と英国のEU離脱騒動をもじった言葉を発した小池氏は早々にコーツ氏に「札幌で了承」と伝え、抵抗しているポーズを取っただけだ。それが証拠に2日目にはさっさと晩餐会を開いている。決裂するかもしれない真剣勝負なら、宴会の予約はできまい。 

 最終日は取材者にオープンにしたが、1時間ほどのシャンシャン

コーツ委員長と森氏による記者会見で司会者は、記者が名札を付けているわけでもないのに「はい、●●さん」と名を呼んで指名していた。「安全牌」たる懇意の記者しか選ばない「出来レース」だった。

 1984年のロス五輪では酷暑でふらふらになって完走したスイスのG・アンデルセン選手が称賛されたが、ドクターストップをかけるべき危険状態だった。あのようになる前にもストップをかけられる体制が東京五輪でできているのか。そんなことも検討された様子はない。「初めに札幌ありき」だった。

巧みなIOCの4つの決定事項

 最終日には4つの「決定事項」が配られ、コーツ氏が形だけ是非を問うた。

(1)決定権はIOCにある

(2)札幌移転にかかる費用は東京都に負担させない

(3)すでに使った費用のうちで別の用途に使えないものは、東京都には負担させない

(4)マラソンと競歩以外の競技の移転はしない。

(1)は「何を騒いでるんだ。わかってないのか」と言わんばかり。(2)と(3)は小池知事の「都民の税金を他都市へ使いません」という発言を意識したもので、巧みだ。費用をIOCが持つとは言ってない。

(3)については、「パラリンピックに使う」とか「ミスト(霧)や遮蔽熱歩道で都民も涼しくなる」などとしてしまえる。

(2)  意見を聞かれた山下泰裕JOC会長の発言なども、毒にも薬にもならない。IOCに東京を選んでもらったJOCが、物申せるはずもなかろう。前会長の竹田恒和氏をめぐる誘致合戦中のIOCへの贈賄疑惑を、フランス検察当局が捜査中だ。「福島第一原発はアンダーコントロール」と主張して立候補してくれた日本は、IOC幹部にとっては「カモ」だった。

 IOCのT・バッハ会長の使命を帯びた「真夏五輪死守」が、コーツ氏来日の最大の目的だった。巨額の放映権料がIOCの主たる収入。秋開催では、米国のスーパーボウルや野球のワールドシリーズと重なるため、五輪の視聴率が落ちる。

都市立候補も死守 

 五輪を国別立候補にすれば今回のような問題は起きないが、IOCは都市別での立候補を崩したくない。他の競技も移せば「都市開催」が崩れる。だからこそIOCは、マラソンと競歩以外の競技の移転はしないと明言した。国内で各都市に誘致合戦を行わせることによって、各国のオリンピック委員会は潤う。

あからさまな「賄賂」はなくても、接待を受ける。そして頂点に君臨するIOCの実入りも計り知れないが、国別立候補なら、うまみは減殺される。

 ボルダリング、ボーリング、スケートボードなど、スポンサーのつく競技を次々と増やして五輪が肥大化し、開催できる都市が限られるようになり、2024年のパリ五輪、28年のロス五輪がすんなり決まるなかで、今回のマラソン移転騒動ではからずもIOCの「選手ファーストを隠れ蓑にしたマネーファースト」が露呈した。

 商業五輪が行きつくところまで来た今、思い出すことがある。A・ブランデージIOC会長のアマチュアリズムが厳しかったその昔、1972年の札幌五輪では男子アルペンスキーの三冠王候補だったオーストリアのカール・シュランツ選手が、スキー板にメーカー名が書かれていたため規定違反で失格し、出場できず泣く泣く帰国した。彼が昨今の「金まみれオリンピック」をどう思っているのか、一度聞いてみたい。

(写真・文=粟野仁雄/ジャーナリスト)

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