大相撲初場所で横綱照ノ富士を下し、3回目の優勝を果たした関脇御嶽海。大関昇進を決定づけた一番は、関脇で3回目の優勝という大相撲史上初の快挙でもあった。

大相撲の歴史を紐解くと、過去には一度も優勝していない横綱もいる。そこで、優勝にまつわる珍記録を振り返ってみたい。

関脇で2回以上の優勝は過去3人

 大相撲の長い歴史において、関脇優勝は過去に31回ある。このうち20回の優勝者は、大関昇進の目安である「3場所合計33勝(昭和初期は30勝)」をクリアして、優勝の翌場所に大関昇進を果たしている。

 関脇で2回以上優勝したのは、朝汐(1956年春場所、57年春場所)と照ノ富士(2015年春場所、21年3月場所)、そして御嶽海の3力士だ。

 朝汐は最初の優勝時が3場所合計29勝で昇進できず、二度目の優勝時に合計30勝で大関昇進。照ノ富士は15年春場所の初優勝(12勝3敗)で3場所合計33勝となり大関に昇進するも、2年後にケガで序二段まで陥落。復活を果たした21年春場所、関脇で12勝3敗=3場所合計36勝で大関に昇進した。

 御嶽海は18年名古屋場所、関脇で13勝2敗の初優勝を果たした際が3場所合計29勝。大関昇進がかかった翌場所も9勝6敗で、昇進を果たせなかった。二度目の優勝時(19年秋場所)も3場所合計30勝。「本気になります」と優勝インタビューで答えたが、翌場所は6勝9敗と負け越し。

今回の前2場所は9勝・11勝。3場所合計33勝で、ようやく大関に昇進できた。

 過去の関脇優勝経験者は27力士。このうち24力士が大関に、16力士が横綱に昇進している。関脇優勝を果たした力士名を挙げると、栃錦、大鵬、輪島、北の湖、千代の富士など名横綱の名がずらりと並ぶ。関脇で2回の優勝をした朝汐と照ノ富士も横綱に昇進しており、御嶽海にかかる期待は大きい。

関脇で優勝も大関になれなかった2人

 関脇で優勝した力士のうち、大関昇進を果たしていない力士が2人いる。1972年春場所の長谷川と、2019年初場所の玉鷲(現役)だ。

 大相撲史上2位となる関脇在位21場所の記録保持者(1位は元大関琴光喜の22場所)である長谷川は、関脇在位15場所目の1972年春場所に12勝3敗で初優勝。この時点で3場所合計30勝となるが、翌場所で8勝7敗に終わり大関昇進ならず。関脇21場所中、2ケタ勝利はわずか3場所だった。

 当時は柏鵬時代(大鵬・柏戸)から輪湖時代(輪島・北の湖)へ変わる端境期で、一人横綱である北の富士の力が衰えていた。

同年は初場所が栃東(11勝4敗 前頭5)、春場所が長谷川、夏場所が関脇輪島(12勝3敗)、名古屋場所が高見山(13勝2敗 前頭4)と、6場所中4場所で関脇以下が優勝していた。

 もう一人は2019年初場所の玉鷲だ。関脇在位6場所目は序盤に2敗を喫したものの、6日目以降10連勝。一度も勝ったことがなかった横綱白鵬を破り、誰も予想しなかった優勝を果たした。しかし、翌場所は5勝10敗で関脇から陥落した。今場所は6日目に横綱照ノ富士を破るなど、相撲巧者ぶりを発揮した。もう一度光り輝き、御嶽海らを苦しめてほしいものだ。

史上唯一“平幕優勝2回”の力士とは

 1958年に年6場所となって以降、平幕優勝は22回。およそ3年に1回の割合だ。平幕優勝にはいくつかの特徴がある。まず、下位の番付だと横綱・大関と対戦せずに優勝することもある。

 また、上位陣が休場したり負けが込むのも特徴で、同じ年に集中するケースもある。

横綱白鵬を筆頭に上位陣の休場が多かったここ3~4年は、栃ノ心(2018年初場所 前頭3)、朝乃山(19年夏場所 前頭8)、徳勝龍(20年初場所 前頭17)、照ノ富士(20年名古屋場所 前頭17)、大栄翔(21年1月 前頭1)と、5人が優勝を果たしている。

 いくつかの偶然が重なる平幕優勝を2回果たしたのが、琴錦(最高位関脇)だ。一度目は1991年秋場所。北勝海と旭富士の東西両横綱が休場した場所で、前頭5枚目の琴錦は13勝2敗。関脇貴花田(後の横綱貴乃花)と前頭3枚目の若花田(後の横綱若乃花)に敗れたものの、大関の霧島と小錦を破って初優勝。翌場所も小結で12勝を挙げ大関昇進が期待されたが、関脇昇進の翌々場所は7勝8敗で関脇から陥落した。

 琴錦は小結と関脇で2ケタ勝利を8回も挙げ大関候補と期待され、負けが込むことも多かったが、ここ一番では強さを発揮した。前頭12枚目と番付を落とした98年九州場所では、初日から11連勝。12日目に横綱若乃花に敗れたが、13日目に2敗の横綱貴乃花を下し、14勝1敗で二度目の平幕優勝を果たした。関脇在位は同じ部屋の長谷川と並ぶ史上2位タイの21場所。「史上最強の関脇」と称されている。

1人だけ存在する、優勝回数ゼロの横綱

 大相撲における優勝回数ベスト10は以下の通りだ。

1位 白鵬 43回

2位 大鵬 32回

3位 千代の富士 31回

4位 朝青龍 25回

5位 北の湖 24回

6位 貴乃花 22回

7位 輪島 14回

8位 双葉山 12回

8位 武蔵丸 12回

10位 曙 11回

 当然ながら、すべて横綱である。大相撲の歴史において横綱は73人。この人数は江戸時代も含む数字であり、1場所15日制となって以降、33人の横綱が誕生している。その33人中、一度も優勝していない横綱が1人だけ存在する。

 第60代横綱双羽黒(大関時代は北尾)だ。86年夏場所。大関北尾は12勝3敗で、優勝した千代の富士(13勝2敗)に次ぐ優勝次点だった。続く名古屋場所では14勝1敗の好成績。本割で横綱千代の富士を破り優勝決定戦に持ち込んだが、千代の富士に敗れた。

 横綱昇進の基準は「大関で2場所連続優勝、もしくは準ずる成績」。当時は横綱が千代の富士一人だったこともあり、横綱審議委員会は多数決で昇進を決定した。大関時代を含めて、優勝なしの横綱昇進は初めてだった。

 期待された双羽黒だったが、昇進後8場所の成績は3勝4敗(休場)、12勝3敗(本割で千代の富士に敗れ優勝次点)、12勝3敗(優勝決定戦でまたも千代の富士に敗戦)、7勝3敗(休場)、10勝5敗、8勝7敗、9勝6敗、13勝2敗(優勝次点)。横綱9場所目となるはずだった87年初場所、親方ともめて廃業処分となり、プロレスラーに転身した。

 いくつかの歴史を紐解いてきたが、実力がなければできないのが優勝であり、そこには運もからんでいる。御嶽海の来場所に注目したい。

(文=小川隆行/フリーライター)

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