郡司篤晃氏が『安全という幻想 エイズ騒動から学ぶ』(聖学院大学出版会)を出版した。薬害エイズ事件を総括する貴重な文献だ。



 郡司氏は1965年に東京大学医学部を卒業した医師で、東京女子医科大学日本心臓血圧研究所を経て、75年に厚生省(当時)に入省した。82年8月から84年7月まで生物製剤課長を務め、後任の松村明仁氏とともに、薬害エイズ対策をリードした人物である。85年に厚生省を辞し、母校である東大医学部保健管理学教室の教授に就任した。筆者は89年から93年に東大医学部に在籍し、学生時代にご指導いただいた。もっとも筆者は劣等生で、講義にはほとんど出席しなかった。講義や実習での郡司氏の印象はほとんどないが、同級生たちは「誠実な先生」と評していたことを覚えている。

 筆者が郡司氏の名前を知ったのは、薬害エイズ事件だ。この事件で、彼を有名にしたのは「郡司ファイル」である。郡司ファイルとは96年2月、菅直人厚生大臣(当時)が薬害エイズ訴訟原告団に見せた資料である。

 当時、薬害エイズ事件は、東京と大阪の民事裁判が結審し、裁判所から和解案が提示されていた。政府の責任を追及する原告団は座り込みを続けていた。菅氏は彼らを大臣室へと招き入れ、「こんなものが倉庫に隠されていました。
83年当時、厚生省内に非加熱製剤が危険だという認識がありました」と非を認めた。
 
 ところが郡司ファイルは、菅氏の主張したようなものではなかった。郡司氏は「新任の技官補佐が自分の勉強のために書いては私に見せたので、(中略)すぐ捨てるのも失礼かと思ってファイルしておいた」と述べている。
 
 この事実は、いまや世間も広く知るところとなっている。元共同通信社会部記者で、フリージャーナリストの魚住昭氏は、「週刊現代」(講談社)の連載で、当時の状況を紹介している。少し長くなるが、全文を引用したい。

「厚生省の新庁舎ができたとき、職員たちは『机の上に物を置くな。日常、使わない物は(新設の)倉庫に入れろ』と指示されていた。その倉庫から見つかったファイルの中身は雑多なメモや新聞記事だった。メモは、課内のスタッフが議論のために書いたのを直ちに捨てるのも気が引けるので、郡司篤晃課長がファイルしておいたものだった。つまり『郡司ファイル』は隠されていたのではなく、単なる『ごみファイル』だったのである」

 このような背景を考慮すれば、郡司ファイル事件は菅氏がつくり出した冤罪であることがわかる。その後、事件関係者がたどった運命は対照的だった。
管氏の人気は沸騰し、首相へと上り詰める第一歩となったが、その後の菅氏の行動を見れば、彼がポピュリストであり、薬害エイズ事件を自らの人気取りに用いたことは明らかだ。郡司氏や周囲の官僚は菅氏に状況を説明しただろうから、菅氏は郡司ファイルの性質について知っていただろう。菅氏は「悪意があったのではないか」と批判を受けても仕方がない。

 一方、厚生省関係者には過酷な運命が待ち受けていた。例えば、研究班の班長を務めた故安倍英氏、前出の松村氏は逮捕・起訴された。郡司氏は徹底的なメディア批判にさらされた。薬害エイズ事件は、こうやって幕引きされた。これでは被害者も浮かばれない。こんな議論で済ませれば、薬害はなくならないからだ。

●被害者救済と真相究明の分離

 このような事件があった場合に重要なことは、被害者救済と真相究明を分けることである。医療は誰かの過失がなくても、「被害者」が出てしまう。どんなに優秀な医師でも、副作用や合併症をゼロにすることはできない。
一方、当然ながら、重篤な副作用や合併症に遭遇した被害者は救済を求める。

 濃縮凝固因子製剤を利用した血友病患者がHIVウイルスに感染し、多くが亡くなったことは不幸の極みだ。役所や製薬企業に過失があろうとなかろうと、医療や補償というかたちでできる限り救済すべきだと思う。
 
 ところが、日本で被害者を救済するためには、誰かの過失を認定しなければならない。特に、被害者の人数が多く、補償額が高額になる場合はなおさらだ。薬害エイズ事件で菅氏が官僚の過失を認めて被害者を救済しようとしたのも、このような背景を考えれば理解できない話ではない。ただ、救済のために事実をねじ曲げてはならない。のちに禍根を残すからだ。

 では、どうすればいいのだろうか。

 まず、優先すべきは被害者の救済だ。今からでも遅くない。無過失補償制度の設立を検討すべきである。
無過失補償とは、訴訟に訴えなくても被害者を救済できる制度だ。一定の手順を踏んで医薬品を開発・販売した製薬企業は免責される。

 この制度は、予防接種の領域で発達した。きっかけは1976年、米国でインフルエンザワクチン接種後にギランバレー症候群という神経難病が多発したことだ。米国で国民的な議論の末に成立した。88年からワクチン一本当たり75セントが上乗せされ、補償の基金に充てられた。これ以降、米国ではワクチン接種率が高まり、公衆衛生レベルは飛躍的に向上した。血液製剤は薬害エイズ事件のように、未知の有害事象が起こり得る。無過失補償の導入を議論すべきだ。

 一方、真相究明はじっくりと冷静にやるべきだ。マスコミは被害者をジョーカーにしてしまうため、まともな議論ができなくなる。被害者を前面に立てて、自らの利益を追求する連中が出ている。


●血液行政と医療行政の構造問題

 では、薬害エイズ事件の真因はなんだったのだろう。郡司氏が注目するのは、日本の血液行政と医療行政の構造問題である。筆者も同感だ。
 
 前者については当時、血液事業を独占していた日本赤十字と、濃縮製剤のライセンスを持っていた製薬企業の連携が不十分だったことが大きい。このため、濃縮製剤を独自に開発できず、米国に依存した。そして、米国に広まったHIVを日本に蔓延させてしまうこととなった。もし、血液製剤を自給できていれば、事態は違ったはずだ。

 この点は、87年に「日赤から民間企業への委託製造」が始まることで改善された。ただ、米国のように民間血液バンクが存在しない日本では、日赤は依然として巨大独占企業だ。独占は利権を生み、停滞を招く。その象徴が不活化技術導入の遅れだ。問題は今も残っている。


 もう一つは医系技官制度だ。医系技官とは、医師免許をもつ官僚だ。現場経験に乏しく、またさまざまな部署をローテーションするため、どうしても専門性が維持できない。郡司氏もこのことを問題視していたようで、本書冒頭で「役所の中には『三か月専門家」』という言葉がある。先輩から、『異動で部署が変わったら、三か月間は必死に勉強しろ。三か月たったら、なんでも知っているような顔をしろ』と教えられた」と述べ、「素人集団」が巨大な権限を握っていることを明かしている。さらに、後半では「行政への大権の授与は安全対策か」と批判している。

 こうした状況は、むしろ悪化しつつある。その象徴が、今年4月に安倍政権肝いりで発足した「日本医療研究開発機構」(AMED)だ。そのホームページには、「機構は、医療分野の研究開発及びその環境整備の中核的な役割を担う機関として、これまで文部科学省・厚生労働省・経済産業省に計上されてきた医療分野の研究開発に関する予算を集約し、基礎段階から実用化まで一貫した研究のマネジメントを行います」とある。以前から、研究行政の縦割りが批判されてきた。これを受けてAMEDは発足したが、事務局を仕切るのは各省庁から出向する役人だ。

 専門家が切磋琢磨することなく、役所という「素人集団」に権限を集中させても進歩はない。むしろ、独占は停滞を招く可能性がある。ところが、医療界はもちろん、国民からの問題指摘は驚くほど少ない。

 薬害エイズ事件から30年。私たちは歴史から学ぶべきだ。そして、自分の頭で考えるべきだ。郡司氏の本は示唆に富む。一読をおすすめしたい。
(文=上昌広/東京大学医科学研究所特任教授)

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