■山形県に伝わる「あの世での結婚式」の絵馬
世の中に死者を悼む方法はさまざまある。山形県村山地方から最上地方にかけて江戸時代から伝わるムカサリ絵馬の風習がある。
ムカサリとは、土地の言葉で、「結婚」や「花嫁」を意味する。
遺族が結婚することなく生涯を終えた故人の冥福を祈り、その親などが絵師に依頼して結婚式の様子を絵馬に描き、地域の寺院や観音堂に奉納する文化だ。「絵馬」と言っても、神社やお寺で見かけるものではなく、大きいものでは1辺が1メートルほどにもなる「絵」だ。
例えば、山形県天童市にある若松寺には1300体以上のムカサリ絵馬が奉納されている。そのひとつひとつからは「せめて来世では幸福になってほしい」という親や親族の深い願いが込められているようだ。
この文化はいまでも続いている。未婚のまま生涯を終えた者の冥福を祈り、死者の結婚式の風景を描く絵師がいる。
故人の隣にいるのは、架空の人物。
■なぜムカサリ絵馬師になったのか
ムカサリ絵馬師として20年間のキャリアを持つ高橋知佳子さん(52)は、「現在でも、生前に結婚をすることがなかった故人様のことを思って、主に親御様などがご依頼にいらっしゃることは多いです」と話す。
そんな彼女がこの世界に足を踏み入れたのは、「絵が好き」という極めて単純なきっかけだったという。
「親族に彫刻家がいたり、父も絵が上手だったりと、昔から芸術は身近でした。私自身、将来は画家になるものだと思って学生時代を過ごしていました。ちょうど私が大学生になる頃、東北芸術工科大学を建設するところでした。高校時代の油絵のコンクールで入賞したことで、芸工大から声がかかっていた私は、進学する気でいました」
だが芸術方面に進むことの厳しさを痛感している両親は、高橋さんのこの選択に異議を唱えた。
「結局、親の勧めで、地元の農業協同組合に就職することになりました。安定した場所へ就職したことによって、親はかなり満足そうでしたね。ただ私は、『あれ、画家になるはずだったのに』という思いで過ごしていました。そんなマインドなので、仕事にはあまり関心が持てず、農協も数年で退社。
■制作費は7万円
やがて結婚して、配偶者のおかげで生活水準が安定すると、絵に携われるという理由でムカサリ絵馬師をはじめた。
「正直、始めた当初は、ボランティア感覚でした。大好きな絵を描かせてもらえるならそれでもいいと思っていました。ムカサリ絵馬は下書きに使用する道具、画材、額縁などすべてひっくるめての値段になります。
私が引き受けた当時は、1枚2万円でやらせていただいたと記憶しています。昭和に活躍した有名なベテランのムカサリ絵馬師が1枚3万円だったので、自分はほとんど利益も出ないような金額でやっていたはずです」
だが昭和と令和は景気も物価も異なる。多くの顧客を抱え、知名度が徐々に高まってくるにつれて、価格も現在の7万円に見直さざるを得なくなった。とはいえ、ムカサリ絵馬を描く時間は死者との対峙。精神的にすり減るため、量産をするのは困難だという。
「だいたい月に5~7件をお引き受けするのが精一杯です。仕事の流れとしては、近場であれば直接お目にかかって、遠方であればリモートもしくは通話などによって、ご遺族とお話をさせていただきます。ご遺族からみた故人様の人生、どのようなお亡くなり方だったのか、どんな幸せを手にしてほしいか――というようなお話をきちんと伺います。
それらと誠実に向き合いながら筆を進めていくため、さっと描くことは不可能です。だいたい、1日に2~3時間集中して描くのが関の山で、それですらどっと疲れてしまいます。故人様の亡くなり方が無念であればあるほど、正直、疲労感はあります。そうした事情ですので、現在、1年半先まで予約が埋まってしまっている状況です」
■どんな人が依頼してくるのか
高橋さんが話す、ムカサリ絵馬を依頼する遺族の共通点はいかにも興味深い。
「非常に優しく、繊細で、人の感情の機微に敏感な方が多いように思います。ムカサリ絵馬は、故人様の冥福を祈る際に必ずやらなければならないことではありません。
細かいことですが、絵馬代とは別に、奉納にもお金はかかります。そうしたものに、少なくない金額と時間をかける選択をする方は、心根の温かい方だと感じます。もちろん、経済的に恵まれた方もいらっしゃいますが、一方で、ムカサリ絵馬を描いてもらうために貯金をしてこられる方もいらっしゃいます」
高橋さんの仕事は、ただ依頼された絵馬を描くだけに留まらない。依頼主たちがどのような心境でいて、その後どのような人生を歩んだのか、という点にも目配りをしている。
「縁があって依頼してくれた方ですので、私が描いたムカサリ絵馬によってどのように人生が変わったのか、気にしています。
スピリチュアルな意味ではなく、絵を手にしたあとに人生が好転するケースは珍しくありません。
■忘れることのできない依頼主
高橋さんには、いまでも忘れることのできない印象的な依頼主がいるという。
「依頼主は、故人様の妹さんで、50代後半くらいの方だと思います。保育園でパートをされている女性です。20代で亡くなったお姉様のムカサリ絵馬を描いてほしいというご依頼でした。ご病気で亡くなったお姉様は、生前、結婚がしたいとおっしゃっていたそうで、妹さんはそのことがずっと頭の片隅にあったようでした。
絵馬が完成して数カ月した頃、その方とお話をする機会がありました。すると、『ムカサリ絵馬を描いてもらってから、急に保育園の園長が別の仕事をすることになって、次の園長に抜擢された』と驚いていたんです。通常、パート職員からいきなり園長ということはないと思います。けれども依頼主様の責任感の強さなどを見込まれて、託されたのだろうと私は思いました」
依頼主は必ずしも故人と身近な親族とは限らない。あるとき、高橋さんのもとを訪れた姉弟の不可思議な依頼もまた印象的だ。
■お妾さんの供養
「おふたりは『ここ最近、よくないことが続いている』と俯いていました。おふたりのご両親は離婚し、おふたりとも、それぞれ離婚を経験されていました。
おふたりの“心当たり”を聞くと、ご先祖のお妾さんだと言います。もともと、ご先祖はかなり裕福で、妾やその子どもと一緒に暮らしていたこともあるとか。
おふたりは、私のところに来る以前に、とある霊能力者のところに相談に行き、『妾のことには触れてはいけない。かなり強い悪霊だから』と釘を刺されていたました。しかし、ごきょうだいは『妾さんの供養をしてあげられないだろうか』と相談にいらっしゃったんです。
顔もわかりませんが、私はそのお妾さんが結婚をしている風景を描くことにしました。それから数カ月してご様子を伺うと、ごきょうだいはとても晴れやかな顔で日々楽しく過ごしていることを報告してくれました」
高橋さんにとって、ムカサリ絵馬とはどのような意味を持つものか。また、依頼主にとって、どんな象徴であり続けるか。
■肩の荷を下ろしてあげることができる
「ムカサリ絵馬は、私にとって生き甲斐です。それは、依頼主が人生で背負い込んでいた肩の荷を下ろしてあげることができる、癒やしの方法になりえるからです。
私の描いた絵に力があるとは思っていません。
デジタルに溢れたこの世界で、どこまでもアナログで線をつないで絵を描くということ。多様なライフプランが浸透し、結婚すら必ずしも人生の必須イベントではなくなったいま、故人の幸せを誠実に祈ることでしか依頼主の心を軽くする方法はない。
人生はどこまでも地続きであり、わずかな後悔が永劫抜けない杭として残存し続けるからこそ、どこかで区切りを設けることによって、それまでの生き様を昇華させる必要があるのかもしれない。
----------
黒島 暁生(くろしま・あき)
ライター、エッセイスト
可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。
----------
(ライター、エッセイスト 黒島 暁生)