人気サッカー選手で伊ACミラン所属の本田圭佑。その人気を武器に2012年には現役選手ながらサッカースクールを開校し、15年には自身のマネジメント事務所HONDA ESTILOがオーストリア3部リーグのSVホルンの経営に参入するなど、活躍はピッチ外にも及ぶ。



 そんな本田が先日、遡ること6年前に起きた事件について語った。それは、日本代表チームのアウェイ遠征、対オランダ戦の試合中に起きた“争い”だ。

 サッカーにおいて、誰がフリーキックを蹴るかは監督が指定することが多い。キッカーはたいてい、チームのエース。当時の日本代表には中村俊輔という絶対的なエースがいた。しかし、この試合に出場した本田はフリーキックの場面になると、中村に「(フリーキックを)蹴らせてください」と直訴したのだ。

 この事実について本田は、「後にも先にも僕が俊さんよりフリーキックがうまいなと思ったことは一度もない。(中略)それでも、あの時はフリーキックを蹴りたかった」と振り返り、「実は本田は俊輔をリスペクトしていた」と話題になった。

 だが、この論調にタレントの清水圭が釘を刺した。清水はブログに「な~んか『エエ話』みたいになってるけど、実際はそんなキレイ事ではおまへん」と綴り、「キッカーをあきらめきれない本田選手が中村選手に吐いた『ありえないセリフ』をワタシは知ってまんねん。この事はず~っと言わんつもりでいたけど、彼がこの事に口を開いた以上、美談になるのは『そんなアホな』なんで書いてしもた」と本田への嫌悪感を示した。

 一体何があったのだろうか? 

「本田は『俊さん、蹴らせてください』と中村に聞いたのですが、中村は無視。
海外のスタンダードが染みついている本田は、海外選手同様にそれでも諦めない。『ここはオレでしょ』と主張を続け、さらにフリーキックを蹴ろうとする中村に『俊さん、最近フリーキック決めてないでしょ』と言ったんです。この言葉に、中村は反応し、一瞬動きを止めました。清水さんが言っているのは、この最後の発言ではないでしょうか」(サッカー界関係者)

●「合わない」2人

 それにしても、なぜ清水はブログでこの件を蒸し返そうと思ったのだろうか。

「これは、サッカー界ではよくあることなんです。たとえば、2010年FIFAワールドカップ南アフリカ大会後に出版された『中澤佑二 不屈』(佐藤岳/文藝春秋)ですが、雑誌『Number』(同)の連載がベースなので、当初は連載同様に一人語り形式の予定でした。それが、中澤の意向で著書が親交のあるライターになった。この構成に読者たちは『選手の意見か、ライターの意見なのか、錯綜しすぎて混乱する』と戸惑いましたが、それが狙いでもあります。『不屈』は当時の監督である岡田武史氏への批判が書かれています。当時、ほとんどの選手が岡田監督を嫌っていたのはサッカー界関係者なら周知の事実。その選手の思いを代弁したのが、当時のマスコミの大バッシングであり、『不屈』でもあります。

 選手のコメントとしては書けないことが第三者の言葉となって報じられるのは、日本サッカー界ではよくあることです。
今回の清水の本田バッシングも、清水が親交のある中村から聞いた話を明かしたものだと思われます。結果として、本田と中村には確執があったことを清水が暴露してしまった格好になりました」

 ちなみに本田批判を受けて清水のブログは炎上し、現在その書き込みは削除されている。

 中村はスペインリーグにチャレンジした際に、ラテン系の選手たちから「あんなに暗い選手はみたことがない」「コミュニケーションをとらないから、何を考えているかわからない」と言われ、チームにフィットできなかった。また、06年に日本代表内で中田英寿バッシングが起きても、「ヒデさんは凄いよ」と先輩に敬意を表していたように、調子に乗ることはない。

 一方の本田は、海外チームでも他のメンバーと積極的にコミュニケーションをとり、激しく主張もすれば、日本的な年功序列は排除する。母校や関係者を大事にするなど礼儀正しい性格でも知られているが、ことサッカーにおいては譲らない。

 中村と本田を知るサッカー界関係者たちは「2人の性格が合わないのは、みんな知っている。でも、あのフリーキックを境にエース交代になっていったこともあり、特に触れない。それが清水さんのブログがきっかけで、再燃してしまった」とボヤく。

 清水のブログにより、サッカー界はとんだ迷惑を被ったようだ。
(文=TV Journal編集部)

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