近年、女性タレントがアパレルブランドをプロデュースするビジネスが話題になることが多い。タレントとしては、自らのステータスを高めると同時に、副業としての利益も見込める。
タレントが企画やイメージキャラクターを務め、実際の製作・販売はアパレルメーカーが担当する「名前貸し」的な関わりから、タレント自らが社長となって会社を立ち上げるなど、さまざまなケースがあるが、タレント側とメーカー側の需要が合致した結果、続々と新たなブランドが生まれている。
●ブランドプロデュースで成功した女性タレントたち
タレントブランドの成功者といえば、まず名前が挙がるのが神田うのだろう。
「彼女が1999年に立ち上げたブランド『コスタ・モーダ・ウノ』は、東京・新宿に路面店を出すほど鼻息が荒かったのですが、すぐに撤退しました。しかし、その後にグンゼと組んで開発したストッキング『Tuche'UK』が大ヒットし、現在は数種類のブランドを運営しています。南青山に建てた豪邸は“パンスト御殿”と呼ばれています」(ファッション業界関係者)
一児の母である千秋が手がけた子供服ブランド「リボンキャスケット」は年商40億円といわれ、「後に続け」とばかりに、辻希美、hitomi、渡辺満里奈、MEGUMIなどが続々とキッズブランドを立ち上げている。
モデル界でも、毎月のように新ブランドが立ち上がっており、梨花の「MAISON DE REEFUR」は代官山に店舗をオープン、客が押し寄せるなど成功例といわれている。また、ギャル系ブランド「rienda」のショップスタッフだった松本恵奈は、モデル兼ディレクターとしてファッションブランド「EMODA」を立ち上げ、年商70億円規模に拡大させている。今や、モデルのブランドビジネスは、アパレル業界になくてはならない業態となっているのだ。
●佐々木希、篠田麻里子、紗栄子……死屍累々のタレントブランド
とはいえ、タレントブランドの世界は「有名人の名前がついていれば売れる」という甘いものではない。タレントのイメージに加え、デザインや価格帯が消費者から支持されず、うまくいかないケースも多く存在する。
「むしろ、失敗に終わったブランドのほうが多いと思います。
最近、ファッション通販サイト「ZOZOTOWN」を運営するスタートトゥデイの前澤友作社長との交際が報じられた紗栄子も、自身のブランド「Pepii.Kitty」を営業不振で閉店させている。新たに立ち上げた「miraville」も「プロデューサーとしての契約期間が満了した」として、現在は携わっていない。
●最大の問題は女性タレントの経年変化
事業を継続するだけでも至難の業といえるが、やっとの思いでブランドを確立させても、また新たな問題が浮上してくる。タレントの経年変化とブランドのコンセプトやターゲットがずれてしまうことだ。
ファッションという特性上、その溝を埋めるのは難しい。そして、最も簡単な対処法として、タレントはまた新たなブランドを立ち上げることになる。
「梨花も結婚、出産を経て、ファッションの傾向が様変わりしてしまいました。そういった事情もあり、新たに『リーファー』というブランドを立ち上げましたが、かつてのファンは戸惑いを見せています。松本も『EMODA』を辞めて、新たに『CLANE』を立ち上げ、ターゲット層を30代女性にチェンジしました」(同)
ブランドビジネスが失速した時、タレント側は「卒業」というかたちで離脱することができるが、スタッフや消費者は取り残されてしまう。どんなに訴求力のあるブランドをつくり上げても、「タレント=人間」を看板に掲げているだけに、いつ何が起こるかわからないのが、このビジネスのリスクといえる。
共存共栄に思えたタレント側とメーカー側だが、結果的にはお互いを「使い捨てる」関係でしかないのかもしれない。
(文=ソマリキヨシロウ/清談社)