●破壊的イノベーションへの誤解

「破壊的イノベーション」という概念は誤解されている――。

 最近の「ハーバードビジネスレビュー」(オンライン・英語版)で、「イノベーションのジレンマ」を唱えたハーバードビジネススクールのクレイトン・クリステンセン教授らの論文『破壊的イノベーションとは何か(原題:What Is Disruptive Innovation?)』は、このように述べています。



 イノベーションのジレンマというアイデアが最初に発表されたのは1995年でしたので、この概念が産まれてちょうど20年になります。この論文においてクリステンセン教授たちは苛立ちを隠していません。この概念があちこちで使われるようになったものの、もともと提唱された概念と違っていい加減に使われているからです。

 クリステンセン教授たちは、どのようなイノベーションでも破壊的イノベーションであるわけではなく、どのような状況に適用できるものでもない、と語っています。ことに近年タクシー業界で話題を呼んだUberは破壊的イノベーションではない、と喝破している点に注意しなければなりません。その理由は後述しますが、あらためて破壊的イノベーションとは何であったかを、クリステンセン教授と彼の理論の日本における紹介者である関西学院大学の玉田俊平太教授の著作から考察してみましょう。
 
 破壊的イノベーションとは、まずもって、限られた資源しか持たない小企業が大企業に挑戦していくプロセスのことです。負け知らずの大企業は、自社の最も手強い顧客相手に彼らのニーズを満たそうとして製品やサービスを提供します。こうした顧客は、自社にとって最も収益率の高い顧客でもあります。

 すると、こうした市場を支配する大企業は、顧客セグメントの要求に過剰にこたえて、他のセグメントの要求を無視するようになります。これは通常の企業が自社の大事な顧客に奉仕するわけですから、なんら非難されるようなことではありません。しかし、このようなとき、破壊的イノベーターは、無視された顧客セグメントに対して、より優れた機能の商品を提供します。
それも往々にして、より安い価格で提供するのです。

 こうして破壊的イノベーターは、大企業によって無視された顧客セグメントにおいて橋頭堡を築きます。そして破壊的イノベーターは次に、大企業にとって大切な中核の顧客層に対して進撃を開始し、それらの顧客層が破壊的イノベーターの製品を採用し始めます。

 破壊的イノベーションは、こうして実現することになります。

●既存大企業の「正しい」意思決定

 玉田教授によれば、破壊的イノベーターに対して既存の大企業は「合理的な」「正しい」意思決定を行ってしまいます。つまり、大企業は破壊的イノベーションが浸透しているプロセスに対して、リスクを避け、破壊的イノベーションを無視する行動に出るのです。

 典型的失敗例は1879年の電信会社ウェスタン・ユニオンの行動です。同社はグラハム・ベルが申し出た電話の特許買い取りを断ってしまいました。この当時、電話は電報に対する破壊的イノベーションであったのです。ウェスタン・ユニオンの決断は、なぜ信頼性の高い電報に代わって欠点だらけの電話を採用しなければならないのか、という判断に基づくものでした。その後の電話の発達はいうまでもありません。

 破壊的イノベーションの概念をよりよく理解するためには、「持続的イノベーション」概念も参照する必要があります。
持続的イノベーションとは、市場を支配する大企業が既存顧客の満足を満たすために行う、漸進的改良のことです。つまり商品の基本的性能は変わらないが、細かい性能のブラッシュアップを絶え間なく行い、激しい競争はこうした局面において行われているのです。例えば、冷蔵庫や洗濯機の改良はこれに当たります。

 日本の電話会社は、スマートフォン(スマホ)が普及する以前、今ではガラケーと呼ばれる従来型携帯電話の機能を改善することに全力を傾け、ここから「おサイフケータイ」などの革新が産まれたことは確かです。これは持続的イノベーションでした。

 しかし破壊的イノベーションとしてのスマホが普及すると、ガラケーの進化はなんの意味もなくなってしまったのです。

●Uberの革新の意味

 Uberは09年に産まれ、スマホの普及とともに世界60カ国に浸透した新しいタクシーのアプリによる配車サービスです。東京では少し通常のタクシー代よりも高いけれども、ハイヤー並の清潔で心地よいタクシーがスマホで簡単に配車できるということで一部のユーザーの人気を呼んでいます。

 ここで注意すべきは、Uberはあくまでもアプリによる配車サービスであって、タクシーそのものの経営をしているのではないことです。日本のタクシ-会社がUber専用の車を用意しています。

 クリステンセン教授たちによれば、Uberは破壊的イノベーションなどではありません。破壊的イノベーターは、まず低価格帯の市場、あるいは新市場から参入します。
Uberの動きは、こうした参入の仕方と一致していません。また、市場を支配してきた大企業は、既存顧客に対して過剰な適応を行い、余計な機能を提供してしまっていますが、タクシー業界ではそのような事態は起こっていませんでした。

 コピー機市場においてゼロックスと日本企業との間において繰り広げられてきた攻防は、新市場をつくりだした破壊的イノベーションの例です。日本企業は中小あるいは個人のユーザー層という新しい「無消費者」層をコピーの消費者に変化させることで、破壊的イノベーションを成立させたのです。この点でもUberの成し遂げたこととは意味が違っています。Uberはタクシーの「無消費者」を消費者に変えたわけではないからです。

 もうひとつ、クリステンセン教授らが主張しているのは、もし破壊的イノベーションであるならば、多数を占める既存顧客層には、Uberは支持されないはずです。既存顧客層は最初からUberを評価していました。破壊的イノベーターの製品ならば、当初、既存顧客からは評価されないはずです。

 その後、理論によれば、破壊的イノベーターの製品品質を既存顧客層に見合う水準にまで向上させるというプロセスが続くはずです。これもクリステンセン教授の理論とは異なっている点です。結局のところ、Uberは持続的イノベーション、つまり既存の製品・サービスの改良であり、破壊的イノベーションではないということができます。

 
●ブランドと破壊的イノベーション

 実はマーケティングの世界では、このクリステンセン教授らの理論は長い間、そして今でも、あまりまともに扱われてきませんでした。その理由はおそらく、顧客ニーズに奉仕するのがマーケティングの立場であり、収益をもたらしてくれる顧客が最重要だ、とする「暗黙の仮定」が存在していたからと考えられます。また、ブランドとイノベーションのジレンマとの関係も、定かではありませんでした。

 普通に考えれば、ブランドはまずもって既存の大企業のために存在し、既存顧客と企業とを結びつける役割を果たしていると理解できます。少なくとも「ブランド・エクイティ」という概念が唱えられた90年代の初頭には、「強いブランドを持てば長期的に企業は繁栄することができる」という論調が支配的でした。

 では、そのブランドはどのように産まれるのでしょうか。

 筆者は以前から「ブランドはイノベーションから産まれる」と考えてきました。筆者がより詳細にブランドの歴史をたどったところ、破壊的イノベーションによって産まれたブランドがあることは確かです。

 たとえば、破壊的イノベーションの典型例のひとつとされている米アップルのiPhoneはそのひとつです。クリステンセン教授は、iPhoneは製品自体は漸進的改良にすぎないものの、ビジネスモデルを革新することによって破壊的イノベーションを成し遂げた例として記述しています。

 しかしブランドの誕生は、破壊的イノベーションだけがその起源ではありません。たとえば、GMの場合、破壊的イノベーションというよりは、大量生産を可能にした垂直的統合ビジネスモデルによって誕生しています。
またディズニーブランドも、破壊的イノベーションというよりは、ウォルト・ディズニーがアニメーション映画とテーマパークとを結びつける事業構想によって誕生したブランドです。

 従って、すべてのブランドが破壊的イノベーションによって産まれたというよりは、むしろそうしたブランドは少数であるというべきでしょう。

 ただし、注意すべきことは、破壊的イノベーションによって産まれたブランドは、iPhoneに見られるように、既存ブランドよりも強力に働く可能性が大きいのです。なぜならば、こうした破壊的イノベーションはまず「無消費者」と呼ばれる既存の消費セグメントではない、新しいセグメントによって支持されます。徐々に従来市場の核となってきたセグメントによって採用されていくのです。こうして市場のなかで時間をかけて納得性をもって形成されていったブランドは、消費者によって理解され、強い愛着をもって維持されるでしょう。

 また、破壊的イノベーションが浸透した後、そのブランドは市場で支配的位置を占め、次の破壊的イノベーションによって取って代わられるまで存続します。こうした持続的イノベーションの時期、強力なブランドがそれを支えているといえるでしょう。

●主流派ブランドが取り得る選択肢

 ここまで考察してきたことをまとめてみましょう。ブランドは破壊的イノベーションの普及過程で消費者が自分で理解し、納得して自分の意思で買うブランドとして存在します。一方で、持続的イノベーションの時期には、ブランドはこうした持続的イノベーションを可能にする土台として機能するのです。

 マネジメントの観点からいえば、破壊的イノベーションの時期には、たとえばアップルがそうであったように、チャレンジャーとしてのイメージ、あるいは革新者としてのイメージが有利に働くと考えられます。
逆に、持続的イノベーションのステージには、本物イメージ、あるいは信頼イメージがより重要となるでしょう。

 一番の問題は、持続的イノベーションを続けてきた主流派ブランドが、破壊的イノベーターによってチャレンジを受けたときです。このときの主流派ブランドが取り得る選択肢はふたつあります。

 ひとつは、破壊的イノベーションは低価格帯から市場に参入することが多いので、主流派は自らが得意とする高額な価格帯に絞って、より高級ブランドとしての体裁を整えることです。しかし、こうした防御策を取ったとしても、既存ブランドはいずれ破壊的イノベーターに取って代わられてしまう運命にあります。

 もうひとつの選択肢とは、破壊的イノベーターに正面から対抗して、破壊的ブランドのそっくりブランド、つまりチャレンジャーブランドを発売することです。こうすることで、破壊的イノベーションの勢いを削ぎ、あわよくば自社ブランドがチャレンジャーに取って代わることができるかもしれません。

 いずれにせよ、こうしたイノベーションのジレンマをめぐっては、まだブランド戦略の面からは、考察すべき課題が少なくありません。これからの研究や実践の進展が待たれます。
(文=田中洋/中央大学ビジネススクール教授)

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