2016年度の大学入試センター試験が1月16・17日に行われ、これを皮切りに本格的な入試シーズンが始まった。「日本の最高学府」と呼ばれ国内最難関大学とされる東京大学の2次試験も、2月25・26日の2日間にわたって実施された。
東大の入試問題といえば、難解で多くの人にとっては無関係な存在のように思えるが、実は最近ひそかに注目を集めているのをご存知だろうか。ここ数年、『今なら解ける!大人のための東大数学入試問題』(齋藤寛靖/講談社)、『歴史が面白くなる 東大のディープな世界史』(祝田秀全/中経出版)など、受験生向けというよりは大人が楽しむための“東大入試問題本”が数多く出版されている。
政・官・財、そして司法の世界に多数の人材を輩出してきた東大の入試問題には、どんな特徴があり、どれほど難しいのか。自身も東京大学を卒業し、約30年もの間英語講師として大手予備校・代々木ゼミナールで東大英語の授業を行っている富田一彦氏に話を聞いた。
●知識量ではなく思考力が問われる
――東大の入試問題と聞くと、とても難しそうに思えますが、たとえば英語科目では実際にどのような問題が出るのでしょうか。
富田一彦氏(以下、富田) 東大の英語試験では、難しい知識を問う問題はほとんど出ません。どれも「基本をどれだけ柔軟に使いこなせるか」を問うものなので、英語の基本構造を本当に理解していれば解ける問題ばかりです。しかし、英語の原理について深く掘り下げて使える学生は多くないので、そこに東大入試問題の難しさがあると思います。
たとえば、“How are you?”という疑問文に対する答えは“I am fine”です。この言葉の流れだけならば多くの人が言えます。しかし、東大の入試では、疑問文と答えには同じ主語と動詞を使わなければならないことや、“How”という疑問詞で質問されたら“fine”という形容詞で答えることなど、基礎的なことに潜むルールをきちんと理解し、説明できなければならない。これは「難しい知識をたくさん覚えてもダメ」という東大からのメッセージだと思います。
――なぜ東大は、入試を通じてそんなメッセージを発するのですか。
富田 詰め込み教育に対するアンチテーゼという意味があるのかもしれません。最近の各大学の入試問題では、知識があれば解けるようなものが増えてきています。本来なら、どんな大学も知識を暗記しただけの学生をあまり歓迎しないはずなのです。受験生に考えさせる問題が減っているのは、とても憂うべき流れです。
――東大の入試問題には、ほかにどのような特徴がありますか。 たとえば昨年は、「下の絵に描かれた状況を簡単に説明したうえで、それについてあなたが思ったことを述べよ」としたうえで、「片目をつむって舌を出す自分が映った手鏡と、それを持って驚いた表情を浮かべている自分」のイラストを示した英作文の問題が話題になりました。
富田 東大の英作文には、「二項対立」の問題が出ます。二項対立とは、ひとつの問いに対する結論が複数ある問題のことです。昨年のイラストの問題を例にすると、人間は自分にはコントロールできない「何か」をとても不気味に感じますよね。それをなんとかして説明したい、というのがこの問題の出発点です。理解しがたい状況に直面したとき、どう対処するのか。
実際の受験生たちの解答をみると、「兄弟が仕掛けたイタズラだった」という合理で説明するものもあれば、「我々の知らない自分が裏の世界にいて、何かのはずみでそれが出てきた」という不合理を受け入れるものもあります。もちろん、採点の基準は英語がしっかり書けているかどうかなので、いってしまえば内容はあまり関係ありません。
ただ、この問題は、近年よく耳にする「答えのある問題よりも、答えのない問題が大切」という世の中の意見に対し、「では答えのない問題を出されたら、あなたはどうしますか?」という問いを投げかけているとも受け取れます。他大学に比べて、社会的メッセージ性が強いのも東大入試問題の特徴です。
●東大からのメッセージ
――東大の入試問題がそうした特徴を持つ背景には、何があるのでしょうか。
富田 過去に小学校の教科書で円周率が「3」になることが社会的に注目されていたとき、東大数学の入試で「円周率が3.05より大きいことを証明せよ」という問題が出され話題となりました。東大がこのようにメッセージ性の強い問題や、応用力を問う問題を出題する背景には、物事を研究したり考える人間を養成したいという目的があるはずです。これから流動化していく時代のなかで、固定観念や目先の利害にとらわれず、目で見たものを疑い掘り下げて考える学生を求めているのは、私が受験生だったときから変わっていないと思います。東大の問題にある程度太刀打ちできるようになると、「なるほど、こういうことを考えさせるのか」と、面白さを感じるようになります。
――「考える力」が試されるとすれば、東大合格を狙う受験生たちにはどんな指導をされているのですか。
富田 基本を大切にし、覚えるだけでなく、「なぜそうするのが合理的なのか?」を考えることを教えるのが私の基本姿勢です。
――世間には「東大生は頭が固い」というイメージも強いですが、東大入試問題に太刀打ちするためには、柔軟な思考力が必要なのですね。
富田 もちろん、東大生のなかには頭が固くても合格する子がいます。3000人の合格者には、普通に世の中に出て社会の歯車になって生きていく人もいれば、残りの人材にはずっと大学にいたり、就職しても企業の研究室で金儲けにならないことを研究したりしている鼻つまみ者もいる。それは個人の自由です。
ただ、後者のなかからすごく新しい発想が生まれることが多いのも事実。その確率が日本一高いのが、東大といえるでしょう。
(取材・構成=谷口京子/清談社)