●お題目で終わってしまう、カスタマーセントリック(顧客中心主義)
「お客様は、神様です」と公言する企業は一昔前より大分減ってきたものの、「お客様第一の会社です」「カスタマーファーストの会社です」と、カスタマーセントリック(顧客中心主義)を掲げている日本企業は多い。
しかし、その内情はというと、社長の掛け声と“掛け軸”の中に納まった言葉で終わり、実際の会議となると、自分たちの商品やブランド、技術、組織のことばかりで、「顧客」がすっかり蚊帳の外に置かれてしまっているということが多い。
カスタマーセントリックを威勢のいい掛け声だけでなく、「顧客(の声)を中心に経営のかじ取りをし、組織がそれに呼応して動く仕組みを持っていること」ととらえると、それに当てはまる企業は一気に少なくなるだろう。
その視点で見ると、「リゾート運営の達人」を標榜し、「星のや」や「リゾナーレ」「界」などの旅館やホテルを運営する星野リゾートの取り組みは、カスタマーセントリックの教科書といえるかもしれない。星野リゾートの星野佳路代表は、つねづねマイケル・E・ポーターの『競争の戦略』、デービッド・A・アーカーの『ブランド・エクイティ戦略』などの経営理論の名著を教科書として徹底的に実践していることを公言しているが、その星野リゾートは、翻って「カスタマーセントリック」という観点から他社の教科書になり得る存在だろう。
また、おもしろいことに、この星野リゾートの企業理念には、掲げられているはずの「お客様第一」や「お客様中心」のようなキャッチコピーは入っていない。代わりに入っている言葉は、「日本の観光をヤバくする」だ。
●データをもとに、「全員」が顧客と向き合う
カスタマーセントリックな組織になるにはいくつかポイントがあるが、その出発点は、いわずもがな「顧客を知る」ことだ。顧客が、どのようなニーズを持ち、何に満足し、何に不満を抱えているか。また、顧客がどのようなプロセスで自社の商品と出会い、決定したかといったカスタマージャーニーを正確に把握することが求められる。
星野リゾートでは、20年以上も前の1994年から顧客満足度調査を実施し、顧客の声を定量的に把握している。以前は宿泊客に対してアンケート用紙での調査を行っていたようだが、今では宿泊者がチェックアウトした際に受付スタッフからURL記載の紙を渡されるか、後日アンケートの電子メールが届くため、宿泊者はネットで回答できるようになっている。
ここで集まったデータは、顧客満足度の評価結果として、経営層だけでなく現場のスタッフも確認することができ、経営層の意思決定や現場スタッフの日々の改善活動にすぐさま活用されていく。
●顧客満足度と「利益」を紐づける
星野リゾートのように顧客満足度を測り、それを高める活動を開始したものの、コストと労力ばかりがかさみ、ほどなくやめてしまったという企業も多いだろう。
一般的には、顧客満足度が上がればリピート化が進み売上が向上し、また値引き等の販促費も抑えられるため、利益も上がるというようなことは想定される。ただし、これは一般的な傾向にすぎないため、どの活動がどれだけ貢献するかは、企業によって千差万別である。この千差万別のなかで、自社に固有の売上・利益に及ぼすインパクトを明らかにすることによって、経営としてどれだけ注力すべきかの道筋が見えてくる。
星野リゾートの場合、「全体満足度」に関する質問が全体の4分の1ほどあるが、これらの質問があるポイントを維持しないと「利益」にも「リピーター」にもつながらず、残りの4分の3の質問は、お客様が「不満がなければいい」という評価であれば「利益」や「リピーター」にさほど影響が出ないといったことまでわかっている。
だからこそ、20年以上にもわたって調査が継続できているのであろう。星野リゾートでは、調査は「成績表」ではなく、日常業務を改善するための「健康診断」として浸透している。
●できない言い訳をつくらせない「マルチタスク化」
顧客ニーズを知り、どれが利益につながるかが見えてきても、実際に望ましい行動に移せるかは別問題だ。人によっては、それは自分の仕事ではない、他のスタッフがやるべき業務だということになり、課題に気づいても改善されずに放置されたままになることもよくある。企業規模が大きくなればなるほど、組織の専門分化が進み、このような状態になりやすい。いわゆる、組織の縦割り問題だ。
星野リゾートの場合、どのようにこの課題をクリアしているのか。
さらにいえば、マルチタスクの範囲がサービス提供に留まらないことも大きな特徴だろう。スタッフはサービスを提供するだけでなく、新しく提供するサービスを決めるための調査や企画といった業務も兼務している。各旅館やホテル全体のコンセプトについては経営層が決めるが、そのコンセプトを体現する星野リゾートならではのサービスについては、スタッフが権限を与えられ、創造に携わる。このようにマルチタスクをこなし、顧客の高い期待値に応えることは容易ではないが、カスタマーセントリックな組織を実現する上では非常に効果的だ。
●カスタマーセントリックは、地道な仕組みづくり
カスタマーセントリックな組織になるためには、ビックデータやビックアイデアはなくてもよい。必要なことは、調査で顧客の声を集め、何が利益に結びつくかを把握し、顧客に必要なことを実現する組織をつくるといった地道な活動である。しかし、この地道な取り組みを続けることが、カスタマーセントリックな組織を実現させ、企業の持続的な成長へとつながっていく。
星野リゾートの場合、1994年から「健康診断」として実施してきた顧客満足度調査が、カスタマーセントリック実現の屋台骨となっているのは間違いない。
2002年、日産自動車社長のカルロス・ゴーン氏は、社会調査研究所(現在のインテージ社)のある女性が書いた論文を目にした。その論文は、「マーケティング・サイエンス」という領域に関する内容で、消費者の動向について調査結果をもとに科学的検証を加え、客観的な知見やインサイトを導き出すといったものだった。この内容に感銘を受けたゴーン氏はこの女性をヘッドハントし、売上のV字回復を実現した。その後も、この女性は日産のマーケティング力の向上に大きく貢献し、今では日産初となる女性専務となった。この女性こそ、星野社長の夫人でもある星野朝子氏。
星野リゾートのカスマーセントリックの実現は、この夫人の功績が案外に大きいのかもしれない。
(文=村澤典知/インテグレート執行役員、itgコンサルティング 執行役員)