熊本地裁が、31年前に熊本県下益城郡松橋町(当時、現在は宇城市)で起きた殺人事件、松橋(まつばせ)事件で宮田浩喜さん(83)の請求を認め、再審開始を決定した。自白以外に事件と宮田さんを結びつける証拠はなく、再審請求審には、その自白と決定的に矛盾する証拠が提出された。
●物証が破綻を明らかにした自白調書の内容
本件の被害者は、町営住宅に一人暮らしの男性Aさん(59)。1985年1月8日朝、刃物で首を中心に15カ所も滅多刺しにされた遺体で発見された。宮田さんは、同月5日夜に知人のBさんと一緒にAさん宅で飲食していたが、ささいなことから口論となり追い出された。原審判決によれば、帰りがけに「Aさんに対する憎悪の念を急激に高め」た宮田さんは、家に戻ると小刀に古いシャツの一部の布を巻き付け、軍手を二重にはめるなどの支度をしてAさん宅に向かい、途中、自宅に戻るBさんを送るAさんの後をつけるなどした後、同月6日午前1時半頃、自宅に戻ってテレビを見ていたAさんを襲った。その後、宮田さんは軍手や小刀に巻き付けた布などを燃やし、血のついたジャンパーを洗濯するなどして証拠隠滅した、となっている。
ところが、再審弁護団が調査したところ、熊本地検に保管されている証拠品の中に、スポーツシャツを切った布片5点があり、それを組み合わせると完全な形でシャツが復元された。
この布片のうち3点は、宮田さんが逮捕された翌日の1985年1月21日に領置され、1点は2月5日に押収されたもの。そして、宮田さんの2月6日付警察官調書には次のような供述が記されている。
〈ここでつなぎ合わせて貰いましたところ4片に分かれており、切れ目も合ってほぼシャツの形になりましたが、左側袖が肩口から全部ありませんでした。私がこの左袖を切り開いてウエスとして使っていたものを切り出し小刀の柄の部分に巻いたり、自転車のハンドルを拭いたりしたもので、あとで風呂焚き口に燃してしまったのです〉
宮田さんが殺人罪で起訴されたのは、2月10日。もう1片の布片は、その4日後に領置されている。
それにもかかわらず、布片はいずれも裁判に証拠提出されることはなく、一審判決を読む限り、裁判でその提出が争われたこともなかったようである。その間、左袖部分はどこに保管されていたのだろうか。警察が隠していたのか、それとも検察が隠していたのか。物証によってストーリーが破綻しているにもかかわらず、その事実が伏せられ、「自白」に基づく有罪を主張し続けたことについて検察は、深い反省とともに自らを厳しく検証しなければならないはずである。
郵便不正事件で無実の村木厚子さん(前厚生労働事務次官)を逮捕・起訴し、主任検事が証拠の改ざんまで行っていたことが明らかになった後、最高検は倫理規定「検察の理念」を策定した。そこには、このような文言も記されている。
〈あたかも常に有罪そのものを目的とし、より重い処分の実現自体を成果とみなすかのごとき姿勢となってはならない〉
〈自己の名誉や評価を目的として行動することを潔しとせず、時としてこれが傷つくことをもおそれない胆力が必要である〉
〈権限行使の在り方が、独善に陥ることなく、真に国民の利益にかなうものとなっているかを常に内省しつつ行動する、謙虚な姿勢を保つべきである〉
〈無実の者を罰し、あるいは、真犯人を逃して処罰を免れさせることにならないよう、知力を尽くして、事案の真相解明に取り組む〉
今回の再審開始決定を不服として即時抗告した対応からは、検察はわずか5年で、この「検察の理念」を投げ出してしまったのだろうかとの疑いを生じる。
●問題の多い「任意」での取り調べ
再審請求では、凶器に関する新たな法医学鑑定も、弁護側から提出された。
〈自白のみで確定判決の有罪認定を維持し得るほどの信用性を認めることは、もはやできなくなった、といわざるを得ない〉
再審開始という結論はともかく、そもそも「自白」を支える物的証拠は何もないのに、「自白」に全面的に依拠して宮田さんを有罪にした原判決の判断が適切だったのかも、大いに問われなければならない。
しかも、その「自白」のつくられ方が大いに問題だ。
宮田さんは、Aさんの遺体が発見された1月8日から逮捕される20日までの間に、9日間の「任意」での取り調べを受けている。その合計時間は74時間に及ぶ。出頭していない3日間も、自宅待機を命じられており、そのうち一日は刑事がやってきて、任意捜査の一貫として家の中を見るなどして帰った。取り調べの中で、ポリグラフ検査で陽性反応が出たという追及も受けた。1月20日は、出頭を拒否したのに警察官3人が押しかけて「任意」の取り調べを行った。いつ終わるかわからない「任意」での取り調べに、追い詰められた宮田さんが「否認のまま逮捕してくれ」と訴えたことは担当刑事も認めている。
こういう取り調べを、果たして「任意」と呼べるだろうか。
原審では、「自白の任意性に疑いを抱かしめる程の強制的なものであったとは、到底認めがたい」としている。取り調べの任意性に関しては、今回の再審開始決定を出した熊本地裁も、「原審を支持できる」とした。「任意性」に関する認識は、今に至るまで裁判所はなんら進歩がない。
これまでの冤罪事件でも、「任意」の取り調べによって、虚偽の「自白」がつくられたケースがいくつもある。しかも、今回の決定を見る限り、裁判所の「任意性」に関する認識は昔と少しも変わっていないようだ。それをふまえれば、冤罪を防ぐためには「任意」捜査の段階でも、取り調べの可視化が行われなければならない。
先の国会で成立した刑事訴訟法等の改正により、殺人など裁判員裁判対象事件では、逮捕した被疑者の取り調べは、すべて録音・録画を義務付けられた。しかし、「任意」の段階は対象に入っていない。また、逮捕されたら当番弁護士を呼ぶことができ、勾留されれば国選弁護人を頼むことができるが、「任意」の段階で弁護人を頼むとすれば自分の費用で弁護士を雇わなければならない。
そのため、資力のない被疑者の場合、松橋事件と同じように長々と「任意」の取り調べを行って「自白」に追い込むという“捜査手法”が取られかねない。その際に無理な取り調べがあっても、証拠がなければ裁判所はなかなか「任意性」を否定しないのは、捜査側にとっては好都合だ。
そんな中で冤罪を防ぐためには、犯人としての嫌疑をかけている者を取り調べる以上は、「任意」であっても、警察署や検察庁に出頭させた場合は録音・録画を義務付けるべきだ。
●被告人の無実の訴えを否定した国選弁護人
ただ、本件で原審裁判所が「自白」を信じてしまった背景には、裁判が始まった当初、宮田さんが「自白」を維持していたという事情があったことも、指摘しておかなければならない。
宮田さんは初公判で、起訴事実を概ね認めている。第4回公判になって、犯行の状況について「はっきり記憶にない」と延べ、第5回公判で明確な否認に転じた。それには、次のような経緯があった。
当初の国選弁護人だったT弁護士は、裁判が始まる前に2回しか宮田さんに接見していない。しかも、2回目は初公判を翌週の月曜日に控えた週末だった。宮田さんによれば、その際「否認して争いたい」と述べたが、すでに起訴事実を認めて情状酌量を訴える方針を固めていたT弁護士は、「無罪で争うのは困難。それを了解できないのであれば、私選弁護人を頼むように」と応じた。「金銭的にも時間的にも余裕がなかったので、やむを得ず認めてしまった」と、宮田さんは述べている。
初公判で、T弁護士は起訴事実を前提に、飲酒による心神耗弱の主張をした。
日本弁護士連合会の問い合わせに対して、T弁護士は「弁護人として全面否認でいくのが正しいとは思えないので、そうするのであれば別に私選弁護人を依頼し、その弁護人に最初から説明をやり直したほうが良いと述べたと思う」と回答しており、経緯は宮田さんの説明と符合する。
被告人が無実を訴えても、それを弁護人が聞き入れない。絶望した被告人は、裁判でも起訴事実を認めてしまう。これは、足利事件で菅家利和さんや氷見事件での柳原浩さんなど、ほかの冤罪被害者の経験とよく似ている。
松橋事件の裁判官は、なんら強制をしていないのに被告人が自分の目の前で有罪を認めたことが強く印象づけられ、その後の無実の訴えには、ほとんど耳を貸さなかったのではないか。それを考えると、弁護人が役割をきちんと果たさなかった影響は極めて大きく、冤罪を招いた一因ではないか。T弁護士が辞任した後の弁護人は無実を争って証拠開示も求めているし、また再審開始決定は、本件に取り組む弁護士たちの誠実な努力の成果といえるが、T弁護士の対応が及ぼした影響については、きちんと検証されなければならない。
宮田さんはすでに83歳。認知症を患っているという。一日も早く、再審でさまざまな事実が公開の場で示されることを望む。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)