夏の全国高等学校野球選手権大会開幕前の甲子園練習において、グラウンドで練習補助を行った大分高校の女子マネージャーが大会関係者から制止された一件が、物議を醸した。

 危険性を理由にした日本高等学校野球連盟(高野連)に対して「時代錯誤だ」との声がある一方で「硬球の危険性」を指摘する意見もあるが、「部員たちを甲子園に連れていく」ことを夢見て、日ごろからノックの手伝いをするなど、マネージャーが部のために尽くしてきた心情を思えば、練習でグラウンドに立つことぐらい許可してあげてもよさそうなものだ。



 危険性を理由にするのであればヘルメット着用を義務付ければいいし、「女性の命である顔に当たったら……」との意見には、キャッチャー用のマスクを義務付ければいい。万が一そうなっても、自己責任だろう。

●全高校に対して絶大な権力を握る高野連

 今回の件もそうだが、高野連の考え方ややり方には、首をかしげざるを得ない点が多々見られる。

 2001年、ある甲子園出場校の女子マネージャーが大会期間中に新聞紙上で手記を連載したところ、高野連が「取材・報道の良識の範囲を超えている。こういうことが選手にまでエスカレートすると収拾がつかなくなる」との理由から、連載を止めさせた。高野連が学校側に即刻注意したことで、連載中止に至ったのである。

 学校側から連載中止を申し出された新聞社は「普段、表に出ない女子マネージャーに光を当て、違った視点を読者に伝える記事だった。学校側に責任はない。取材・報道の良識の範囲とは何か説明してほしい」とコメントしていた。

 高野連が学校側にのみ注意をしたのも、高野連が全国の高校に対して絶大なる権力を握っているからにほかならない。

 過去には「ユニフォームに学校名、地名、校章以外の刺繍を禁ずる」として「文武両道」と刺繍した代表校を注意したり、「スタンドでの応援は平服に限り、奇抜な衣装は高校野球の応援にふさわしくない」として、民族衣装を着た沖縄県の応援団を締め出したりするなど、さまざまな干渉を行うのも高野連の体質だ。

 06年、早稲田実業学校高等部対駒澤大学附属苫小牧高校の決勝戦後、大会中の選手の様子をバラエティ番組で語った旅館を「選手のプライバシーを暴露した」として定宿指定から外した一件では、番組出演者のナインティナインが「球児を傷つけたつもりはなく理解に苦しむ。
意味がわからない」と高野連を批判している。

●カット打法を封印、審判批判も許さず

 また、高野連のグラウンド上における裁定についても、疑問を感じることがある。

 13年、花巻東高校・千葉翔太選手の「カット打法」が話題になった。これは、ファウルで粘ることによって相手投手に球数を投げさせるものだが、高野連は準々決勝の試合後、「ファウル狙いのスイングはバントとみなす」として事実上の封印をさせた。

「わざとファウルを打っていると審判が認めた時にはバントとみなす」という高校野球ルールの是非はともかく、地方予選、甲子園大会でも途中までは問題視していなかったプレーについて、準決勝からいきなり封印させた対応には違和感を持った。「取材が増えて、クローズアップされたために手を打ったのでは」と感じる一件だった。

 さかのぼること9年前の07年、佐賀北高校対広陵高校の決勝戦。広陵の野村祐輔投手(現・広島東洋カープ)が投じたストライクゾーンの1球が「ボール」と判定されて押し出しとなり、動揺した野村はその後逆転満塁本塁打を打たれて優勝を逃した。試合後、広陵の中井哲之監督が審判批判を行った際、高野連は「審判の判断は絶対」として中井監督に厳重注意処分を下した。

 打者でさえ「ストライクだと思った」投球をボールと判定されたら、もう投げる球はない。確かに審判も人間であり、間違うことはあるだろうが、抗議を禁じると「審判によるゲームメイキング」も可能となり、結果として「逆らったら、今後は不利な判定をするよ」という暗黙の脅しもできてしまうだろう。

 このほか、不祥事に対する裁定や特待生問題など、高校野球にはさまざまな問題が生じてきた。
その都度、多様な対処を行ってきた高野連の運営努力は認めるが、その権力や権限が絶大すぎるため、批判の声も大きくなる。

 少なくとも、時代にそぐわない規則は変えていくべきではないだろうか。

「日本学生野球憲章」にある「学生野球は、学生野球、野球部または部員を政治的あるいは商業的に利用しない」という一文は、もはや有名無実化しているのではないだろうか。
(文=後藤豊/フリーライター)

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