アイドルグループの欅坂46が、ハロウィーンのイベントでナチス親衛隊(SS)の制服を想起させる衣装を着ていたことで批判を浴びた問題。アメリカの有力ユダヤ系人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(SWC)が抗議声明を出すに及んで、所属レーベルの親会社ソニー・ミュージックエンタテインメントと、プロデューサーの秋元康氏が謝罪した。



●繰り返された過ちと気になる擁護の声

 秋元氏自身は、事前には知らずチェックできなかったと弁明しつつ、ニュースで知って「ありえない衣装でした」と述べている。彼は知らなかったとしても、このイベントにはそれなりの数の人たちが関わっていたはずである。10代が多い同グループのメンバーはともかく、関わった大人たちの中に、「これはありえない」「衣装が問題になる」と思った人はいなかったのだろうか。

 2011年にロックバンド「氣志團」がナチスを連想させる衣装でテレビに出演し、SWCから抗議を受け、所属するソニー・ミュージックアーティスツが「深く謝罪するとともに、深く反省いたします」とするお詫びを発表した。同社は、ソニー・ミュージックエンタテインメント傘下のマネジメント会社だ。5年前に子会社がしでかした失敗から、何の教訓も学んでいなかったことになる。

 また2年前には、韓国のアイドルグループ「PRITZ」が、やはりナチスを彷彿とさせる衣装を着たことで批判を浴びた。このときは、赤地に白い円、その中に黒地のバツ印が描かれ、それがナチスの親衛隊などがつけていたハーケンクロイツ(かぎ十字)を思い起こさせるとして、問題になった。

 そういう事例からも、何も学んでいないのだろう。数年前の同じ業界の出来事から学んでいない人たちが、戦前戦時中の歴史に無頓着なのもむべなるかな。イスラエル大使館が声をかけ、ソニーミュージックと「ホロコーストの歴史についての対話をする機会」を持つことになったそうだが、この際、自分たちの無知、無神経さをよくよく自覚し、しっかり学習してほしい。

 ただ、今回の謝罪に反発している人が少なくないのが気になる。


 ツイッターなどのSNSでも「悪意はないのに」「めくじらをたてる必要はない」「ここは日本だ、ドイツではない」「ナチスに似てるって言われてるらしいが『だから何なんだ』」などと、批判や謝罪を疑問視する声をずいぶん見た。

「イスラエルがパレスチナでやっていることを考えろ」といった、話をすり替えるツイートも目にした。イスラエルの現在のパレスチナ対応を批判することと、ナチスのシンボルを安易に扱うのを批判することは、当然ながら両立する。

 そればかりか、過去にもナチスを擁護し、「アウシュビッツも捏造」などといったコメントをいくつも出していることで知られる高須クリニックの高須克弥氏が「心の狭い人権団体の圧力に屈しちゃだめだよ」「ユダヤ人にペコペコするな」とツイートすると、「そうだそうだ」「その通り」「素晴らしい」など、絶賛する声がいくつも挙がったのには唖然とした。

 インターネット上のアンケート(J-CASTニュース)では、「欅坂46が謝罪した『ナチス風』衣装は『アリ』だと思いますか?」との質問に、次のような選択肢が用意された。

(1)ありえない。日本人が鈍感すぎる。謝罪は当然。
(2)不快な思いをする人が一部にいるかも知れないが、表現のひとつとして許容されるべき。
(3)かっこいいし、製作者もナチスを念頭に置いているわけではないので問題ない。
(4)そのほか、分からない

 一番多く、4割以上の票を集めたのが(2)だ。(3)を選んだ人も2割強に上った。
回答した人は、11月6日の午前中で約8200人であり、世論調査と違って統計学的な裏付けはなく、これがネット利用者の意見を忠実に反映しているとは思わない。それでも、今回の衣装を問題視すべきでないという回答が過半数というのは、やはり気がかりだ。

●欧米における共通認識

 海外でも、ナチス絡みで「悪意はないのに」問題になったケースはいくつもある。

 05年には、当時20歳だったイギリスのヘンリー王子が、友人の誕生日の仮装パーティーにナチスの制服姿で参加し、その写真が報じられて謝罪に至った。父親のチャールズ皇太子は、歴史を学ぶためにアウシュビッツ強制収容所を訪問するよう同王子に命じた。

 12年には、ドイツのバイロイト音楽祭に“さまよえるオランダ人”の主役として出演予定だったロシア人歌手エフゲニー・ニキーチンが、かつて胸にハーケンクロイツなどの刺青をしていたことが報じられ、降板になった。ニキーチンは、ロック・ミュージシャンだった若い頃に体中にさまざまな刺青を入れており、ハーケンクロイツはそのひとつだった。その後、ほかの模様の刺青で塗りつぶされ見えなくなっていたが、出演は許されなかった。ニキーチンは「若気のいたりで無知だった」と述べた。

 13年には、ギリシャサッカー連盟が、国内の試合で決勝ゴールを決めた後に観客に向かってナチス指揮の敬礼で喜びを表現したヨルゴス・カティディス選手(当時20)を、同国代表チームから永久追放処分とすると発表した。チームの監督は、「彼はまだ子どもで、政治的な思想など何も持っていない。恐らくインターネットか何かで(ナチ式敬礼を)見て、意味も知らずに真似をしたのだろう」と弁護したが、受け入れられなかった。


 サッカーでは同じ年に、ワールドカップ(W杯)欧州予選プレーオフでクロアチアが勝った試合の直後、同国のシムニッチ選手が観客席にナチス傀儡政権時代のスローガンを呼びかけたとして、同国の検察当局から3200ユーロ(約37万円)の罰金を受けたほか、国際サッカー連盟(FIFA)から3万スイスフラン(約320万円)と10試合の公式戦出場停止処分を受けた。このため、彼は14年のW杯ブラジル大会に出場できなかった。

 ナチスを礼賛する意図はなく無知から出たとしても、人々のロールモデルともなる立場の人たちの行為には、とりわけ厳しい。そうした人たちがナチスのプロパガンダに利用され、また人々が危険性に気づかないまま、ナチスを受け入れ称賛した歴史を2度と繰り返さないという共通認識が、このような厳しさになって表れているのだろう。

 だからこそ、ナチスのシンボルを肯定的に、あるいは安易に扱えば、欧米では強い嫌悪感を招く。とりわけドイツでは、今もナチスのマークや制服、ナチス式の挨拶などは法律で禁じられている。移民や難民の流入に伴い、それに反発するような排外主義も広がっているが、だからこそナチスの扱いには、より敏感で、神経を配るべきといえるだろう。

 しかも、ネットでさまざまな情報が瞬時に世界中を駆け巡る、情報グローバル化の現在。こんな衣装を見れば、ギョッとされ、その人格を疑われるだろう。日本は、アニメやアイドルなどの大衆文化を「クールジャパン」と位置づけて対外的にアピールしているというのに、そのアイドルがナチスの制服に似た衣装を着れば、反発は免れない。

 確かに、日本はイスラエルではないしドイツでもない。ドイツとは軍事同盟を結んでいたが、日本がユダヤ人虐殺を行ったわけではなく、杉原千畝のように命を救うためのビザを発給した外交官もいた(日本政府は、その杉原の行為を評価せず、戦後は外務省から退職通告を受けて追放されるなど、不遇の晩年を送ることになったのは置くとして)。


 けれども、少なくとも欧米における共通認識となっているナチスに対する態度を無視し、無神経にこの話題を扱えば、今回のように批判を受ける。「日本人だから、ドイツ人じゃないんだから」という感覚で押し通せば、多くの場合、自分の人格を疑われたり、周囲を困惑させたり、不快感を与えるだけだろう。

●原爆被害、原発事故が笑いにされたら

 日本にいると、その感覚はわかりにくい。では、こんな事例も併せて考えてみたらどうだろうか。

 11年にイギリスのBBCがコメディトーク番組の中で、戦争末期に広島と長崎で原爆の被害に遭った二重被爆者の山口彊さんを、ジョークの話題にしたことについて、番組を見た在英日本人が在英日本大使館に連絡し、大使館がBBCに抗議した。BBCは謝罪したが、イギリスの中では「なぜ謝罪するんだ」「何が問題なんだ?」という声が少なくなかったという。

 日本では、「二重被爆者を嘲笑」「被爆者を愚弄」「二重被爆者を笑いのタネ」などと報じられたが、ジャーナリストで現在はBBC.jp編集長の加藤祐子さんは、「嘲笑や愚弄というよりは、日本人が被爆体験に抱き続けるヒリヒリした痛みと悼みに対して無理解で無神経だったことによる、過ちだった」と書いている。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故に関する表現が問題になったこともある。

 12年には、フランス国営テレビ「フランス2」のバラエティ番組が、サッカー日仏戦で活躍したゴールキーパーの川島永嗣に腕が4本ある合成写真を映し、司会者が「福島(第1原発事故)の影響としても驚かないね」などと発言。スタジオ内で笑いと拍手が起きたという。日本政府の抗議に対し、テレビ局側がパリの日本大使館にお詫びを表明。日仏外相会談でも日本側(玄葉光一郎外相)が、「残念な報道だ」と遺憾の意を示し、仏側(ファビウス外相)が「申し訳ない」と述べた。


 13年には、フランスのカナール・アンシェネは、国際オリンピック委員会(IOC)総会で、20年夏季五輪・パラリンピックの東京開催が決まった直後、福島第一原発事故と関連づけて、奇形の力士を描いた風刺画を掲載。手や足が3本ある力士が土俵で向き合い、防護服姿のリポーターが「すばらしい。フクシマのおかげで相撲が五輪競技になった」と中継している絵だった。

 これに対し、在仏日本大使館が「被災者の心情を傷つけるものであり不適切で遺憾」と抗議。これに対し、同紙は「ユーモアを示したからと言って、被災者たちを侮辱することにはならない」「もし憤慨する理由があるとすれば、それは日本政府が危機を扱ってきたやり方だ」「問題の本質は東京電力の管理能力のなさにあり、怒りを向けるべき先はそちらだ」などと反論した。

 他国のメディアとはいえ、政府が抗議することについては議論が分かれるだろうが、私自身は、原発事故に絡む“奇形ネタ”には(国の内外を問わず)非常に不快感を覚えたし、こうした情報の積み重ねが、福島に対する差別や偏見の固定化につながるのではないかと憂う。日本政府や東電の対応を批判したり脱原発を訴えるために、福島を揶揄したり差別につながる表現をする必要はない。自分たちにとっては面白い、あるいは有益な表現であっても、それがただでさえ震災と事故で辛い状況にある地域や人々の苦悩に追い打ちをかけるような場合には、「表現の自由」の行使に抑制的になるべきだろう。同じことが、ナチスのシンボルを巡ってもいえるのではないか。

「不快感を与えても、弊害をもたらしても、それによってどれほど批判を受けてもいいから、表現の自由を行使したい」という人たちならともかく、人々のロールモデルになりうるタレントやスポーツ選手、人々を楽しませたり、好感を持ってもらうのが大切なアイドル業界のようなビジネスでは、なおさら慎むのが当たり前ではないか。

 今回は、SWCの抗議があって謝罪することになったが、本当なら、このような“強面”の団体が出てくる前に対応してもらいたかった。もちろん、このような問題が起きないことが望ましいのは言うまでもない。

(文=江川紹子/ジャーナリスト)

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