遺産など狙ったとされ、4人の男性への殺人罪と強盗殺人未遂罪に問われた筧千佐子被告(70)に対し京都地裁は11月7日、「遺産目的などの連続毒殺で非常に悪質」と死刑判決を下した。筆者は公判の大半を傍聴した。
「被告人を死刑に処す」という裁判官の言葉にも、筧被告は淡々としていた。審理中も「死刑にしてください」と話したが本意かどうか、認知症でわからない。「毒を飲ませた証拠はない」「認知症で犯行時の責任能力も訴訟能力もない」と主張した弁護側は即日控訴した。
起訴状によると、筧被告は2007年から13年の6年間で、夫の筧勇夫さん(死亡時75)、内縁の夫の本田正徳さん(同71)、日置稔さん(同75)を毒殺、遺産や死亡保険金など約4000万円を手にした。交際相手の末広利明さん(79)は寝たきり生活の後に死亡した。
4件は個別に審理された。被告人質問は黙秘戦術のはずが、検事から「毒を飲ませたのは間違いないか」と問われると「はい、私が殺めました。前の女性にはたくさんお金をあげてたのに私にはくれない。別嬪と差別され憎かった」と認めた。しかしその後、「殺してない」「殺してもメリットはない」など一転、二転した。毒殺については「経営していた印刷会社で、失敗印刷を消すために購入、保管していた薬品を健康食品のカプセルに詰め替えて飲ませた」とした。だが冒頭陳述で検事が「被告の供述を除けば直接証拠はない」と断った通り、状況証拠の積み上げだった。
13年12月に京都府の自宅で不審死した夫・勇夫さんの体内から青酸が出て逮捕され、先立つ12年3月、大阪府で筧被告と別れた直後にバイクで転倒し亡くなった本田さんの保存血液からも青酸が出た。だが日置さんと末広さんには残されていない。入手先や保管状況も不明だ。4人とも筧被告と接触した直後に倒れ、金が引き出された。筧被告は内縁の妻でも遺産相続できるように公正証書を本田さんにつくらせ、約1900万円を手にしたとされる。
●「そんな恐ろしい女に見えますか」
「青酸中毒死」立証のため証人尋問は医師が多い。「アルツハイマー型の軽度の認知症」と診断した精神科医も証言した。
拘禁生活で被告人の認知症が進行し、誰の事件の審理かわからないことも。午前中の審理内容も忘れ、弁護人が「お昼は何を食べましたか」とまで訊いた。事あるごとに「会社勤めの頃、上司に『人間は聞いたことをすぐ忘れる忘却の動物。お客さんの話はどんなことでもメモを取りなさい』と厳しく言われた」「娘に『物忘れが激しい』と言われて大阪の国立病院で診てもらった。保険が利かず、びっくりするほどお金をとられた」を何度も繰り返した。
弁護人に「勇夫さんが亡くなったら財産は?」と訊かれると、「そりゃ奥さんの物になる。先生の奥さんかて、そう思ってますよ」。検事に「結婚相談所でお見合いした時から、ゆくゆくは殺そうと思ってたの?」と訊かれると、「先生、私、そんな恐ろしい女に見えますか?」と言うなど饒舌だった。
検事の「被害者やご遺族には?」という問いかけには、「一日も早く死刑にしてください。それだけです」と答えた。また、「慰謝料払うとかは」という質問に、「年金生活で払えますか? また人殺せというのですか?」と怒ってみせた。男性との出会いを訊かれると「覚えてません。先生も昔の彼女のこと覚えてますか?」、「結婚相談所では?」との問いには、「わかってるんやったら、なんで訊くの」と返した。
中川綾子裁判長が供述書の署名の人定確認をすると、「私しかありません。訊くだけ野暮です」と言い、検事や裁判官に「愚問です」「知ってるのに、なんで訊くのか」などと神経を逆撫でした。女性裁判員が「反省は?」と聞くと「あなたのような若い人に言われたくない。失礼です」とまで言った。
結婚相談所で筧千佐子被告と知り合い、付き合ったある高齢男性は「デートの後、駅でハイタッチして明るく別れたから、また会えると思ったらそれきりでした」と証言。別の男性は弁護人に肉体関係を問われて「ありました」と証言した。彼女は資産家を狙っていない。会社が傾き借金で苦労した彼女は平凡でも安定した生活を求めた。ある再婚男性について「いい人で一番、幸せな時でした」とも振り返った。
●「裁判員に負担をかけない」省エネ裁判
法廷では医学、化学の用語も駆使され、判決後、ある裁判員は「理解が追い付かず質問も浮かばなかった。素人にもわかりやすい言葉で説明してほしかった」と会見で語った。裁判員裁判史上、2番目の長期となった審理(135日)で、8割が辞退し、選ばれた6人中5人は女性だ。審理が延びると今後、裁判員の引き受け手が不足することを恐れたのか、裁判所は「予定進行」を最優先。取り調べの録音、録画を記録したDVDの証拠採用も却下された。認知症の鑑定は1年前なので弁護側は再鑑定を求めたが却下されるなど、証拠は絞られた。
裁判員からは「認知症の専門家が公判を傍聴し、意見を聴く機会もあれば判断は変わっていたかも」「審理時間がかかっても出せる証拠はすべて出してもらい、判断したかった」などの声が出た。
(文=粟野仁雄/ジャーナリスト)