僕は2001年から04年まで、米ロサンゼルス・フィルハーモニック管弦楽団の副指揮者を務めていました。アメリカに渡る前、当時の英ロンドンのマネージャーが、たった一言だけアドバイスをくれました。



「アメリカで指揮者として仕事をするのは、ヨーロッパとはまったく違う。アメリカでは音楽だけやっていればいいってわけではないからね」

 その意味は、アメリカで仕事を始めてから、深く理解することになりました。

 僕が仕事をすることになったロサンゼルス・フィルは当時、「世界のオーケストラベスト20」に選ばれ始め、急成長を遂げていたオーケストラでした。その後も成長を続け、現在の年間予算額は1.4億ドル(約154億円)で全米1位(2016年データ)です。全米2位のニューヨーク・フィルの1億ドル(110億円)と比べても、突出して多い額です。日本でもっとも資金が潤沢なオーケストラであっても年間予算は30億円くらいですので、その差がよくわかります。

「オーケストラの音はお金の音」と、よく言われます。優秀な奏者は、資金が潤沢なオーケストラに入団しようとします。給料が高く、最高の指揮者やソリストと共に、お金を存分に使ったやりがいのあるプログラムを演奏できるオーケストラに就職したいわけです。したがって、アメリカでは「予算額が高いオーケストラ=良いオーケストラ」となります。もちろん、それと「心に響く音楽を演奏する」ことは別の話ですが、アメリカでは基本的な評価基準となります。

 さて、どうやってこれだけ大きなお金を集めるのでしょうか。
本連載前回記事でも述べましたが、オーケストラは基本的に赤字団体です。チケット収入には限界があり、それ以外の方法で資金を集めなくてはいけないという事情は、世界中のどこのオーケストラでも同じです。

●アメリカのオーケストラは寄付金で運営

 ロサンゼルス・フィルは夏の2カ月間、ハリウッドボウルという2万人以上入る野外ホールで行う音楽祭がドル箱になっているので、総収入のうちチケット収入は4分の3もありますが、これは例外です。たとえば、ニューヨーク・フィルなどは、チケット収入が総収入の4分の1しかありません。では、足りない86億円をどうやって集めるのでしょうか。

 実は、国や市がほんの少ししか援助してくれないアメリカでは、ほとんど個人や企業の寄付金に頼っているのです。このような寄付金のシステムは、アメリカならではだと思います。税法上の優遇もありますが、それよりも、アメリカ人の歴史に深く関わっています。

 アメリカに最初にイギリスから渡って来た清教徒たちは、厳格なキリスト教徒です。そのストイックすぎる態度により、本国に居づらくなりメイフラワー号でやって来ました。そして、まずは教会を建設することが彼らにとっての最重要課題でした。しかし、当時はイギリスの植民地で、新天地アメリカにはもともと王侯貴族のようなパトロンはいません。
そのため、自分たちでお金を出し合って教会を建て、その後も寄付をし合いながら教会を存続することが当然の流れとなりました。

 そんななか、事業に成功した人たちが学校や病院をつくり、人々に尊敬と感謝をされるようになります。“成功した人物は、寄付をして社会貢献する”という考え方が、成功者としての名誉に結びついたのです。ちなみに、19世紀以降のフランスなどに「ノブレス・オブリージュ」という似たような考え方はありますが、これは「地位の高い者は、それに応じた義務を負う」というもので、社会的責任としてとらえられる傾向があります。ただ、アメリカが特殊なのは、もともとノブレス(貴族)がいないので、社会貢献することにより社会的地位が向上する点なのです。アメリカでは、名誉は与えられるものでなく、自分で掴んでいくものなのです。

 大学、病院、文化団体などにかなり多額の寄付をした結果、その団体のボードメンバーのような名誉職を得る人も出てきます。もちろん、文化に対する貢献は強く問われるわけで、特に、ロサンゼルスやニューヨークのような世界的なオーケストラに寄付しているとなれば、大変な名誉になります。そして、それによって、アメリカ版ノブレスになるわけです。それがないことには、銀行の頭取などにはなれないともいわれています。

 米国の一流オーケストラの事務局には、寄付金集めのための職員が30~40名勤務しています。その手法は実に周到です。
もちろん正攻法で集めることもありますが、たとえば死後に遺産の一部を寄付することを約束すると、生前の寄付と同様の名誉が与えられ、税法上の優遇まで得ることができる“トラストカンパニー”を、オーケストラが雇った弁護士に無償でつくらせるといったことも珍しくありません。

 大学や病院はもっとすごいようです。大きな大学になると、ひとつのビルが寄付金集め専用の部署だそうです。毎日、卒業生リストを見ながら、その後の出世状況まで正確に把握し、取れそうな金額のリストをつくって、片っ端から電話をかけまくっているのです。

●100億円寄付した人も

 最後に、僕が実際に体験した話を紹介します。ある日、オーケストラの幹部に頼まれ、オーケストラ主催のパーティに出かけました。会場は、映画『プリティ・ウーマン』(ブエナ・ビスタ・ピクチャーズ)にも使われた最高級ホテルです。そこに、タキシードとドレスの紳士淑女がドンドン入ってきます。あっという間に大きなパーティ会場が一杯になり、政財界の社交場のようでした。まるで、名士たちにとっては、「この場に入ることができなければ、恥ずかしい」とでもいう感じです。そのとき、オーケストラの寄付金集めの責任者が僕に耳打ちしてきました。

「やすお、このゲストは、最低でも毎年100万円寄付している人たちだよ」

 1000万円以上寄付している個人もざらにいます。
02年には、財政難のサンディエゴ交響楽団に対して約100億円の寄付をした人が現れ、大きな話題になりました。さらに、企業の寄付となれば、驚くような額となりますが、「このオーケストラに寄付することは、これほど素晴らしく名誉なことなのです」という演出をしているわけです。
(文=篠崎靖男/指揮者)

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