●古代の驚きの石造品

 いったい古代の人々は、どうやってこんなものをつくり上げたのだろうか? そう思えるものは数多い。たとえば、巨石を利用した数々の遺跡や砂漠の地下を数十キロも走る水路(カナート)はまさに驚異的である。

これらの作業には、共通して、石を削って加工する技術が求められるが、そんな技術を極限まで高めたものが古代エジプトでつくられた石の器だろう。

 不思議とあまり知られていないようだが、紀元前4000年頃から紀元前4世紀頃まで、エジプトでは石の器が多くつくられた。粘土を焼いて作った器ではなく、さまざまな種類の硬い石の内部を注意深く削ってくり抜いた器である。中には、向こう側が透けて見えるぐらい、厚みの薄い器もある。また、複雑な曲面で構成された工芸品もある。

 あらためて疑問が生じる。どうやってつくられたのだろうか?

 もちろん、粘土による成形と違って、一回の不注意でも石は簡単に割れてしまい、器の機能を果たさなくなる。鏨(たがね)のようなものを加工面に当て、叩いて削っていくわけにはいかない。また、線対称の美しい外形を生み出すには、ただフリーハンドで削っていくには無理がある。

 そこで、古代エジプト人が利用したのがドリルという工具であった。

 大きな瓶(かめ)をつくり上げるには、棒の先端に硬い石の刃を取り付け、上から負荷をかけながらぐるぐると回転させて削っていった。口がつぼんだ壺の場合、途中で刃の向きやサイズを変えるか、挿入する棒の角度を変えるなどの工夫が必要だったと思われるが、内部はほぼ均等に上手く削られている。
使用された石は、比較的柔らかいアラバスター(方解石)や石灰岩だけでなく、硬い花崗岩や玄武岩のような石も使われていることは注目に値する。

 だが、驚くべきことはそれだけではない。完成状態の器だけでなく、くり抜かれた円柱状の石も残されているのである。つまり、パイプ状の刃が存在したのだ。パイプ状の刃が存在すれば、削りかす(岩粉)が少なくて済むと同時に、無駄に多く削られる領域が減り、より精巧な器をつくり出すことができる。

 具体的には、青銅製パイプ刃の軸に紐を巻きつけ、それを弓に渡し、その弓を前後させることで軸に回転を与えて削っていったと考えられている。

 実際に検証実験が行われており、石英の粉末を研磨剤に使用し、銅製パイプ刃を付けた弓錐を毎分60往復させると、1kg/平方センチの力で花崗岩を1時間で5.2立方センチ削り、20時間で6センチの長さの円筒形の穴を開けられることがわかっている。

 だが、これでも気の遠くなるような作業のように思える。決して強度が十分とは思えない青銅のパイプ刃は頻繁に交換され、負荷をかけすぎて器を割らないよう細心の注意が払われたはずである。

●削り速度が現代の500倍だった背景は?
 
 実は、エジプトでは石に開けられた円筒形の穴やくり抜かれた芯はいくつも発見されており、その技術は重要な建造物や工芸品に利用されてきた。穴の直径は小さいもので6ミリ、大きなもので70センチに及ぶ。そして、パイプ状ドリル刃の厚みは、1~5ミリであったことがわかっている。


 古代エジプト人たちは穴あけに熟練していたことが窺われ、実際のところ、その作業にそれほど時間を要していなかったとする考察もある。というのも、穴が開けられた掘削面を見ることで、さまざまな情報が読み取れるからである。
 
 英国人で最初のエジプト学者のサー・ウィリアム・マシュー・フリンダーズ・ピートリー(1853-1942)は、円柱形の芯の側面に刻まれた螺旋状の溝を調べ、6インチの円周を1回転で0.1インチ下降していることを発見している。そして、この60分の1という送り量(削り速度)は驚愕すべきものだと指摘していた。これは、先に触れた検証実験で得られた溝の間隔を桁外れに超えている。

 研究家のクリストファー・ダン氏は、1983年に花崗岩の加工を行うオハイオ州デイトンのラーン・グラナイト・サーフェス・プレート社のドナルド・ラーン氏に問い合わせたところ、花崗岩の穴あけは毎分900回転のダイヤモンド刃ドリルを用いて、5分間で1インチのペースで行われるとの回答を得ている。これは、1回転あたり0.0002インチの送り量に相当する。つまり、古代エジプト人の穴あけの際の送り量(削り速度)は現代の500倍だったことが判明したのだ。

 となると、古代エジプトにおける穴あけドリルは、高回転型ではなく、高トルク型だったといえそうである。

 しかし、精巧な仕上がり具合を見ると、疑問が生じてくる。高トルク型で送り量が大きければ、その分、切断面は荒くなり、器が割れるリスクも高まるのが普通だからだ。

 1883年、ピートリーは古代エジプトの工芸品を精査して、洗練された旋盤が使用されていたのは明らかだと評した。
確かに、ドリルが存在した以上、旋盤と同等のものがかつて存在したのかもしれない。だが、仮に旋盤が存在していたとしても、薄く複雑な形状の工芸品にまで応用できたのだろうか?

 現代の我々が知るテクノロジーにおいて、それを可能とする方法といえば、限られてくる。我々は、ドリルの刃の回転だけでなく、振動を加えて硬い素材に穴を開ける。だが、それでも繊細な工芸品には向かない。もっと滑らかに、振動の衝撃も少なくする必要がある。そう考えると、市販の振動ドリルよりもはるかに高速で小刻みな振動を与えながら削っていく方法が考えられようが、それでは送り量の大きな高トルク型ドリルの必要性を説明することが難しくなってしまう。もちろん、やすりで擦り続けたとしたら、そんな溝も残さずにさらに滑らかに加工できてしまう。

 残される可能性は、現代人すら思いつかない特殊形状の刃、すなわち、加工面に与える衝撃を最小限に抑えながらも鮮やかな切れ味を発揮する刃が存在したのか、いっそのこと石を特殊な液体で溶かしながら削っていく方法だろう。

 しかし、古代エジプト人にそんなことは可能だったのだろうか? 前者について、筆者に思いつく手がかりは何もないものの、実は、後者については有力な情報がある。かつて南米アンデスの山中には背丈30センチほどの深紅の葉をつけた特別な草が生育し、その草から得た汁はミネラルを溶かし、石を柔らかくすることができたと現地の人々は知っていたのである。そして、インカの人々は、その草の汁を用いて石を加工し、カミソリの刃すら入らぬような精巧な石組みをつくり上げてきたと伝えられていたのだ。

 そんな話を参考にすると、想像力は掻き立てられる。
筆者独自の仮説だが、かつてナイル川周辺(上流域含む)においても、同じような草が生育し、古代エジプト人もその草の汁を用いて石の器を加工していた可能性はないだろうか? もし石を柔らかくできたら、送り量の大きな高トルク型のドリルでも石の器を割ることなく加工できたことが説明される。だが、残念ながら、100年近く前のアンデスにおける生育情報を最後に、その草の現存状況に関しては、確認はおろか調査すらされていないようである(詳細はケイ・ミズモリ著『ついに反重力の謎が解けた!』<ヒカルランド>参照)。
(文=水守啓/サイエンスライター)

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