今年でデビュー20周年を迎える宇多田ヒカル。6月27日にリリースされた宇多田にとって7枚目のアルバム『初恋』(ERJ)が大ヒットしている。
国内では発売初週には20.4万枚の売り上げを記録し、オリコン週間ランキングと週間デジタル・アルバム・ランキングの両方で第1位を獲得。女性ソロアーティストとして初の快挙を成し遂げた。それと同時に1stアルバム『First Love』から7作連続で1位を獲得し、オリジナル盤による1stからの連続1位獲得作品数では、女性ソロアーティストとして歴代単独2位となった。
宇多田旋風が巻き起こっているのは日本だけではない。アメリカのビルボードでは週間アルバム・セールス・チャートで第1位、全米iTunes総合アルバムチャートで最高4位を獲得。さらに日本を含む32カ国のiTunesでランクインを果たすなど、世界中に宇多田ヒカルファンを拡大させているといえる状況となっているのである。
なぜ宇多田の最新アルバムがここまで人を魅了するのか、そして『First Love』と『初恋』にはどういった関連性があるのか。京都精華大学ポピュラーカルチャー学部で非常勤講師も務める音楽評論家、岡村詩野氏に話を聞いた。
●よくある青春ソング、人生応援ソングにはない哲学性が大人にウケる
宇多田ヒカルの人気の理由について、岡村氏は「宇多田ヒカルにしか書けない歌詞」の存在を指摘する。
「今回のアルバムに限らず宇多田さんの書く歌詞には、“別れはいつか必ず訪れる、そもそも人間はひとりで生きていくものだ”といったような、ある種の諦念や終末観が漂っているように思えます。しかし達観して終わり、というわけでもありません。
宇多田さん自身、母である藤圭子さんを衝撃的なかたちで亡くされたりと、さまざまな事情を背負って生きているわけです。そのような彼女なりの人生経験をもとにした哲学が根底にあるからこそ、凡庸な青春ソングや人生応援ソングとは違う、強く深い包容力が存在しているのではないでしょうか。
そんな宇多田さんの人間性そのものや、それを表現した歌詞に対して強い共感を覚えている方が、『初恋』を含めた彼女の作品を熱心に聴いているように感じられます。もちろん10代や20代の若いファンもいますが、彼女の曲によって力づけられるのは、酸いも甘いも噛み分けた人生経験を持ち合わせる30代以上の方が特に多いのではないでしょうか。ただ、単純に彼女の曲は本当にサウンド面だけ取り出してもカッコいい。そこに惹かれる若いファンも多い。だから彼女のファンは年齢層がすごく広いのだと思います」(岡村氏)
宇多田ヒカルの歌詞の世界観は、いくつかの人生の岐路を経験してきた30代、40代以上に特に響き、それが大ヒットの要因になっているというわけか。今回話題となっている『First Love』との関連性にも、宇多田ヒカルの哲学が関係しているのだと岡村氏は続ける。
「前作の『Fantome』(編注:正式表記はフランス語表記)は亡くなったお母様に捧げられた作品で、『花束を君に』や『忘却』といった、“別れ”などの重いテーマを扱った曲が多いアルバムでした。それを踏まえて考えると、今回の『初恋』は、別れの後の新しいスタートを意味しているのではないでしょうか。
ただそれは、あくまで終わりの後には始まりがある、という感覚でつけたタイトルであり、『First Love』を意識したというわけではないと思います。
彼女をデビュー当時から知る30代、40代以上のファンたちのなかには、原点回帰的な意味で『初恋』と冠せられたと考えていた方もいるだろう。ただ、岡村氏の見解によると、その予想もあながち間違ってはいないかもしれないが、それ以上に宇多田ヒカルの新たな境地に達したアルバムであったことが、ジワジワと人気が拡大している理由なのかもしれない。
●日本語詞でも海外で支持されるのは、曲の作り方が世界基準だから
宇多田ヒカルの持つ深い哲学性が歌詞に現れ、我々の共感を呼んでいるということだが、彼女の曲は日本語の通じない海外でも大きく支持されている。海外でウケる要素は一体何だろうか。
「いわゆるJ-POPというものは世界的に見ても独自性の強い音楽で、楽曲づくりにおいてもJ-POP特有の方法論が用いられています。しかし、宇多田さんの楽曲というのは、メロディへの言葉の乗せ方からアレンジの方法まで、極めて自然に世界基準でつくられているんです。1stシングル『Automatic』がヒットした当時、“カラオケで歌いにくい”“言葉の乗せ方が独特”などと言われていたことを覚えている方もいるのではないでしょうか。それは宇多田さんの楽曲がJ-POPではなく、最初から世界基準の方法論でつくられていたからこそ、そのように感じられていたのかと考えます」
洋楽的な楽曲のつくり方をしているからこそ、たとえ日本語で歌っていても海外で受け入れられるということか。さらに岡村氏は「宇多田さんは音楽の最先端をキャッチする嗅覚が非常に鋭い人です」と続ける。
「ここでいう世界基準というのは、R&B、ヒップホップ、ソウルミュージックといった、世界規模で流行しているブラックミュージックのこと。昔でいうところのマイケル・ジャクソンのようなポピュラーな存在、現代ならビヨンセやカニエ・ウェストなどが代表的なアーティストでしょう。
世界に通じる音楽をつくることができるうえ、常に流行の最先端をキャッチする嗅覚を持っているため、海外のアーティストと肩を並べることができている。日本のアーティストにおいて非常に稀有な存在だと思います」(同)
●“宇多田ヒカルという音楽メディア”は30代、40代以上にも必要
さらに岡村氏は、宇多田ヒカルは音楽界において、アーティスト以上の役割を担っていると分析する。
「今回、アルバムの関連企画として、Superorganism(スーパーオーガニズム)という、イギリスを拠点とし、日本人の女の子をボーカルに据える多国籍バンドが、アルバム内の『パクチーの唄』という曲をカバーしました。Superorganismは今最も期待される新人として世界中から注目されているバンドなのですが、『あのバンドに声をかけたとはさすが!』と驚いた人も多いと思います。
また、『Too proud』という曲にはJevon(ジェヴォン)というイギリスのラッパーが参加していますし、前作『Fantome』の『忘却』という曲には、KOHH(コー)という日本人ラッパーが参加していました。宇多田さんは、このように次世代のアーティストや、まだあまり知られていないアーティストと一緒に活動することで、“世界にはこんなかっこいい音楽家がいるんだよ”と、その存在を日本のリスナーやファンに伝えようとしています。言わば、宇多田さん自身がメディアとしてアーティストを紹介する役割を果たしているわけです。ともすれば、宇多田さんが自身の嗅覚でキャッチして、作品や言動、ラジオ番組などを通してリリースするアーティスト情報は、既存のメディア以上の信頼性を持っているかもしれませんね。
宇多田ヒカルさんの楽曲というのは、音楽好きな人でも唸るような音楽性と、そこまで音楽に明るくない人にも深く響く歌詞を併せ持っています。それでいて彼女自身も高いメディア性を持ち合わせているうえ、テレビやラジオなど媒体を選ばず出演し、さまざまなところで情報を発信されています。
30代、40代以上となると、自身が10代、20代だった頃と比べて世界の最先端の音楽に触れる機会が少なくなってきたという方も少なくないだろうが、そういった方々に対してこそ“宇多田ヒカルという音楽メディア”の存在価値は大きいのかもしれない。
(文・取材=A4studio)