東京医科大学が今年2月に行った医学部医学科の一般入試で、女子受験者の得点を一律に減点し合格者数を抑えていた問題が毎日のように報じられている。同大出身の女性医師が結婚や出産で離職すれば、系列病院の医師が不足する恐れがあることが背景にあったとされるが、大学入試で点数を異常に重んじる日本の入試制度にも問題があることを指摘する声は少ない。



 医学部入試というと、かなり前の事件だが、アメリカで起きたバッキ訴訟が有名である。これは1974年、33歳の白人男性アラン・バッキが、カリフォルニア大学デービス校医学部を受験したが、2年連続で不合格になり、それに対して自分を不合格にしたのは逆差別であると訴えた。大学は100人の定員枠にうち16人をマイノリティ枠として設けていたため、白人よりも成績が悪いマイノリティが合格することがある。

 バッキは、一審では敗訴になったが上告し、最高裁では大学側の入試制度が憲法の規定する「平等保護条項」に反するとして違憲となり、バッキの入学が認められることとなった。

 最近では、ハーバード大学に対して起こされた訴訟がある。ハーバード大学の入学審査指針が、アジア系の入学志願者に対し、不当に不利な内容であると大学側が認識していたとして、証拠と共に訴状がマサチューセッツ州の連邦地方裁判所に提出されたのだ。

 訴状を提出したのはStudents for Fair Admissionというアジア系アメリカ人の団体で、「ハーバード大学が優秀なアジア系志願者の入学を減らして白人、黒人、ヒスパニック系の志願者を優先して入学させている」という。この団体の主張によると、他の人種と比較してアジア系志願者は相対的に学業成績が高いにもかかわらず、ハーバード大学の指針はアジア系志願者を冷遇していることが明らかだという。

 2013年の入学者の場合、アジア系の学生は、人種を無視すれば全体の26%、学業成績だけで判断すると43%を占めるはずのところが、ハーバード大学の指針に基づいた結果、わずか19%だったという。

●レガシー制度

 レガシー制度とは、ハーバード大学などアイビーリーグの大学に存在する制度で、卒業生の親族・子孫が優先的に入学できるシステムである。アイビーリーグでは新入生の10~15%がこれにあたるともいわれているが、実際に入学してみると、誰がその制度を使って入ったかはわからない。

 たとえば、元米大統領のジョージ・W・ブッシュは、祖父も父親もイエール大学出身で、ブッシュ(Jr.)はイエール大学にレガシー制度を利用して入学したといわれている。
日本でいえば、東京大学や京都大学に、成績が悪くても親がその大学の出身であれば優先的に入学できるようなものだ。私が留学したアイビーリーグのひとつ、コーネル大学でも同制度はあるといわれている。

 この制度は100年ほど昔から続いているが、多様性を阻害しているという批判もある。白人や富裕層だけに有利な制度で、多くの大学がいまだに制度を維持しているためだ。しかしながら、成績だけで入学を決めることが大学にとっていいかどうかは意見が分かれる。

 アメリカの大学入試は、SAT(共通テスト)の点数だけでは決まらない。満点でもアイビーリーグに不合格となることは珍しくない。面接では将来のビジョンを聞かれるが、日本の受験生によくあるような「この大学に行きたいから」という理由はまったく通用しない。将来のビジョンが魅力的でない場合、いくら成績がよくても落とされるのだ。ボランティア活動をどれだけ行ったかなど、課外活動も重視される。勉強だけできても合格できないため、いくら成績が良くても「課外活動が十分ではない」「リーダーシップが欠如している」という理由で、アジア系の学生が不合格になることもある。

 その人物が将来、社会にどれだけ貢献できるか、ということも重視するので、医学部の場合、「結婚したら離職する」と面接で正直に言えば不合格になる可能性も出てくる。
あるいは、面接官が、将来的に離職する可能性を感じたら不合格にするかもしれない。アメリカの大学入試のプロセスは長い。SATや高校の成績だけでは決まらない。推薦状もかなり重視される。日本の大学は、ある意味で怠惰である。点数だけで決める大学がほとんどだからだ。

●アファーマティブアクション

 アメリカでは、黒人、少数民族、女性など歴史的構造的に差別されてきた集団に対し、雇用、教育などで優遇する策として「アファーマティブアクション」という政策がある。これが、先述したバッキ訴訟のように、医学部の100人定員の中で16人をマイノリティにするというようなquota system(割当制度)をつくり出したのである。このために白人が逆差別を受けるケースが出てきていることは確かである。

 かつて有名大学で、学力で白人より優秀だったユダヤ系アメリカ人の入学数を制限するために、ユダヤ人の点数を下げていた。これは東京医大の女子受験者の点数を下げることと類似している。

 アメリカの大学入試では、人種枠ごとに割当があり、アジア系は他人種以上に成績を上げることが必要となるといわれている。
それは社会に出てからも同じである。同じ目的を達成するには、アジア系は白人の何十倍も努力しなければならない。また、アメリカは日本人が考える以上に男性社会であって、女性が男性と同じ目的を達成するには男性の何倍も努力しなければならない。

 成績だけで決めることが公正であるという日本人の考え方は、アメリカでは通用しない。日本では2020年度から大学入試が変わるが、本当に社会に貢献できる人を育成するのが大学ではないだろうか。成績だけを基準にすると、明らかに医師に向いていない人が医師になることがある。

 点数だけではなく、その人が本当に人を助けたいと思う純粋な気持ちがあるかどうかをもっと重視すべきではないだろうか。また、僻地に行きたがらない医師が増えているとの指摘もあるが、医師としては過疎地に進んでいく気持ちはすこぶる重要ではないだろうか。東京医大が女子受験者の点数を一律に下げていたことだけを取り上げると、誰もが許せない気持ちになるが、レガシー制度や人種別の割当が今でも存在するアメリカの入試制度から、日本の入試制度をみることも、考える糧になるのではないだろうか。
(文=大野和基/ジャーナリスト)

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