牛丼でおなじみの吉野家ホールディングス(HD)が、ここへきて人件費の高騰に直面している。
吉野家HDはデフレ経済(広範な物価が持続的に下落すること)下での勝ち組企業だ。
しかし、足許、人件費の増加が同社の収益を減少させている。吉野家HDの牛丼低価格戦略は限界を迎えたともいえる。今後、同社は高価格帯の外食事業の展開など構造改革を進めなければならないだろう。
経営のリスクが増えるなか、吉野家HDは強みを生かしていくことに注力するとよいだろう。そのひとつが立地だ。同社は“吉呑み”のサービスを始めているが、駅前店舗などを活かして、“ひとり呑み”の需要を取り込むことはひとつの着眼点だ。ひとり焼肉の登場にあるように、ひとりで食事をしたい人は多い。
●牛丼に的を絞った吉野家HD
吉野家HDは、牛丼に代表される低価格のメニューを提供する飲食店事業を中核とする企業である。デフレ経済が進行するなか、この価格の低さが多くの消費者の心をつかんだ。その点で吉野家HDは、物価が持続的に下落する経済環境のなかで人々が価格の低さをより重視するようになる、という変化に目をつけて需要を取り込むことに成功した。それが同社を“デフレの勝ち組企業”と評する理由だ。
吉野家HDは外食産業のなかでも特異な存在だ。なぜなら、同社は提供するメニューをほぼ牛丼に絞ってきたからだ(現在では、うどんの「はなまる」、ステーキのアークミール、寿司の京樽も傘下に保有)。一般的には、多様な消費者の好みに対応しようとしてメニューを多角化したほうが良いとの考えが支持されやすい。それはプロダクト・ポートフォリオ(提供する商品の組み合わせ)の分散を重視することにほかならない。
吉野家HDは、プロダクト・ポートフォリオの分散よりも、集中を重視した。同社は牛丼のうまさ、提供のスピード(早さ)、安さにこだわったのである。
また、牛丼を軸にした商品開発は、客の回転を高めるためにも重要だ。複数のメニューを提供するよりも、数を絞ったほうが効率は良い。「吉野家」を利用する消費者が求めることは、いつも同じ味で、早く、安く牛丼を食べることだ。「吉野家」に、ゆっくりと時間をかけて食事を楽しむ環境の提供を求めている人は少ない。限られた店舗を最大限に活用して収益性を上げることを追求した結果、吉野家HDは牛丼にこだわり続けた。それがデフレ環境下での高収益の実現を支えた。
●非正規雇用労働者の取り込み
もうひとつ吉野家HDの成長を支えた要素がある。
1997年、わが国では金融システム不安が発生した。金融システム不安の発生は、男性であれば大学を卒業して有名企業に入社し、年功序列に従ってより多くの賃金を手にし、定年まで勤めあげるという従来の成功のモデルの行き詰まりを象徴していた。それは、わが国の“幸福のモデル”がワークしなくなったことと言い換えてよい。
それに呼応して、97年ごろから非正規雇用労働者の割合が増え、正規雇用労働者の増加は頭打ちとなった。これは、企業が人員調整のために派遣社員やパートタイマーの確保を重視し始めたことを示している。
そのなかで、吉野家HDは有力な非正規雇用労働者の受け皿になってきた。同社は非正規雇用労働者を中心に店舗運営を行うことで人件費の膨張を抑えてきた。マクロレベルで賃金の増えづらい状況が続いたことを自社の強みに変えたのである。
それは2001年以降の牛丼の値下げを支え、吉野家のファン獲得につながった。当時、吉野家の売上高営業利益率は10%程度の高水準を維持した。
そのほかにも重要と考えられる取り組みがある。同社が非正規雇用労働者から正社員への転換を積極的に行ってきたことは、多くの人を引き付けた一因だろう。この制度は、現場で得られた店舗運営のノウハウを収集し、よりよい接客や消費者の欲する商品開発を進めることに重要な役割を果たしたと考えられる。また、同社の成長の基盤を整備した安部修仁前社長、同氏の後を引き継いだ河村現社長もアルバイトとして同社で働いた経歴を持つ。経営者が店舗運営の現場を理解していることが同社の成長を支えたとの見方もある。
●限界迎えるビジネスモデル
しかし、国内経済の回復が進むなかで吉野家HDは競争力を失いつつある。牛丼に的を絞った商品戦略と、非正規雇用労働者の活用によるコスト抑制だけでは、外食産業市場のなかで優位性を発揮することが難しくなっている。それは同社のビジネスモデルが限界を迎えていることといってよい。
背景には、景気回復を受けて人々の心理に余裕ができてきたことがある。つまり、多少の贅沢をするゆとりができたということだ。同社よりも多様なメニューをそろえる「すき家」(ゼンショーHD傘下)などが人気を集めているようだ。
さらに吉野家HDの経営の重石となっているのが人件費の上昇だ。足許、わが国の有効求人倍率は1.63倍に達し、労働市場はひっ迫している。中小企業のなかには、必要な労働力を確保できず、倒産に追い込まれるケースもある。
そのなかで労働力を確保するためには、賃金を積み増さなければならない。それが同社の販売費及び一般管理費を増加させている。その結果、18年3~8月期、吉野家HDの営業利益は5500万円だった。これは前年同期に比べ約21億円少ない。最終損益は8億5000万円の赤字となった。
同社は傘下の「吉野家」と「はなまるうどん」などと共同した値引きチケットの販売や、配膳のセルフ化によって挽回を目指している。ただ人件費の上昇圧力が残るなか、そうした取り組みが消費者の満足感の充足と低価格戦略の維持・強化に寄与するとは考えづらい。当面、同社の業績懸念は高まるだろう。
先行きに関する懸念を払しょくするために、吉野家HDは新しい取り組みを進めなければならない。価格帯の高い事業への取り組みはそのひとつだ。メニューの拡充も従来以上のスピードで進められるべきだ。
吉野家HDはデフレ経済のなかでも成長を実現してきた。それは多くの人がリスクテイクに過度に消極的になるなか、低価格の実現にこだわったからだ。足許、人々の食生活にも変化が現れている。健康志向の高まりや、ひとりでの食事などライフスタイルは変化している。その変化に注目しつつ、駅前店舗などの好立地を生かすことで吉野家HDが需要を生み出すことはできるだろう。
(文=真壁昭夫/法政大学大学院教授)