「めざせ普門館!」と高校生の僕は、吹奏楽部の仲間たちと励まし合いながら朝練はもちろん、昼休みそして放課後とクラリネットを吹き続けていました。その吹奏楽団を、学園祭イベントで指揮したのが僕の初めての指揮体験だったのですが、そんな話はさておき、普門館というのは、1970年に日本フィルハーモニー交響楽団がこけら落としの公演を行い、1977年には世界の音楽界に君臨していた指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンと世界最高峰のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団により、今もなお語り継がれているベートーヴェンの『第九』の大名演を経験したホールです。
残念なことに、2011年の東日本大震災後の検査で、この普門館が耐震基準を満たしていないことがわかり、昨年12月から解体が始まりました。解体そのものよりも、日本全国の吹奏楽団員に大きなショックを与えたことのほうが大きなニュースになりました。
さて、僕は京都の高校で3年間、どっぷりと吹奏楽に浸かっていました。吹奏楽部というのは、音楽を奏でる文化芸術系の部活ではありますが、毎年夏になると、ほとんどの吹奏楽部が全日本吹奏楽コンクールに出場します。このコンクールの歴史はとても古く、第2次世界大戦開戦直前の1940年に始められ、戦中の中断を経て1956年に再開されて現在に至ります。それも非常に大掛かりで、中学校の部、高校の部、大学の部、職場・一般の部を合わせると参加団体は1万を超え、都道府県別の予選を皮切りに地区大会、支部大会、そして全国大会となります。その中学と高校の部の全国大会会場が、この普門館なのです。つまり普門館は日本全国の吹奏楽部員のあこがれの聖地で、いわば吹奏楽の「甲子園」だったのです。
実はこの普門館は、宗教団体の立正佼成会が本部の敷地内に建てた約5000名収容のホールです。そのため、教団行事も行われていたようです。そのほかに、貸しホールとしてバレエなどの舞台芸術や、講演会などにも使用されるので、本当の意味での音楽専用コンサートホールではないのですが、その客席数の多さが、プロモーターにとっては大きな利があったのでしょう。単純計算ですが、5000円のチケットを完売したとして、通常の2000席程度のホールだと1000万円の売り上げですが、普門館だと2500万円に上ります。
立正佼成会は、プロの吹奏楽団も創設しています。その名も「東京佼成ウインドオーケストラ」。同楽団は、普門館を本拠地として発展を遂げ、世界的に見ても高水準の楽団となり、現在も日本最高峰の楽団として、僕も度肝を抜かれるほどの素晴らしい演奏をしています。
●宗教と音楽の関係
宗教団体が音楽イベントを展開することに違和感を持った方がいるかもしれませんが、宗教と音楽というのは、古くから深く結びついています。日本では、神社の神楽の音楽などが代表的ですが、仏教がインドから中国を経て日本に伝わると同時にインドの宗教音楽も中国経由で日本に伝わり、独自の進化を遂げてきました。これまでは宗教儀式として考えられていた天台声明や真言声明などが、現代作曲家たちによって音楽的にも興味深いと見いだされ、優れた日本音楽としてコンサートホールで演奏される機会も多くなってきており、日本の音楽のひとつとして再評価されています。
実は音楽には、多くの宗教団体に利用されながら大きく発展してきた側面があります。
現存している一番古いヨーロッパ音楽は、グレゴリオ聖歌です。9世紀から10世紀にかけて生まれたといわれていますが、つまりは初期の聖歌。ミサで歌われた音楽でした。教会の中でカトリック教徒たちは、グレゴリオ聖歌を神の声とオーバーラップさせながら、宗教的感動を得ていました。
●国内最高峰の音楽専用ホール
さて、普門館が取り壊されるのは、やはり寂しいですが、現在、東京には多くの音楽専用ホールがあるので、これも時代の流れといえるのかもしれません。数ある音楽専用ホールのなかでもトップの座に君臨しているのは、赤坂アークヒルズ内にあるサントリーホールです。ホール使用料金もホールリハーサルを含め約200万円と“最高峰”ではありますが、その音響の良さが世界的な指揮者の高評価を受け、日本のオーケストラのみならず、世界中のオーケストラの来日公演においても、ホールを予約するのは至難の業となっています。
ちなみに、このサントリーホールの音響設計を担当したのは、永田音響設計事務所の豊田泰久氏。同氏は、今では世界中の新コンサートホールの音響設計を一挙に手掛けるほどの活躍をなさっています。15年前にロサンゼルス・フィルハーモニックの本拠地、ウォルト・ディズニー・コンサートホールの音響設計において、同氏のセンセーショナルな大成功が世界中に轟いた時、僕は同フィルの副指揮者を務めていました。
(文=篠崎靖男/指揮者)