2018年11月18日、兵庫県篠山市が市名変更の賛否を問う住民投票を実施。市名変更に対する賛成票が過半数を得たことで、新たに「丹波篠山市」へと改称する条例の制定作業に入った。
篠山市は、1999年に篠山町・今田町・丹南町・西紀町の4町が合併して誕生。当時、政府は市町村合併を奨励しており、その意向を受けて篠山市は全国に先駆けて合併した。これまで、日本の市町村は明治・昭和と2度の合併期を経験してきたが、平成の市町村合併は明らかな政府主導だった。そのため、市町村関係者からは“大義なき合併”と批判的な声が多数を占めた。ゆえに、当事者である市町村の動きは鈍かった。
政府は、そうした重い腰の市町村に合併を促すべく、アメとムチを用意。合併した自治体には地方交付税を10年間据え置くとともに、国が7割を肩代わりする合併特例債の発行も認めた。また、合併によって職を失う議員から不満が出ないように、2年間という期間限定ながら議員の任期を無条件で延長する在任特例も認めた。
一方、合併をしない自治体には地方交付税の削減というムチを用意。一部の自治体を除けば、市町村は多くの財政を地方交付税に頼っている。少子高齢化で財源が先細りすることが確実視されている昨今、市町村にとって地方交付税削減は死刑宣告に等しい。政府の合併奨励策は効果てきめんで、各地で合併に向けた協議会が次々に設立された。
各地の合併協議が暗礁に乗り上げるなか、合併のトップランナーとして兵庫県篠山市が誕生。篠山市は合併特例債を活用し、ハコモノを建設した。多くのハコモノが建設されたことで、人口5万人に満たない篠山市には、市内各所に目を見張るような豪華なハコモノが乱造された。
合併特例債を活用してハコモノをつくりまくった篠山市を、政府は“合併の優等生”と喧伝。ほかの市町村に早期に合併するよう囃したてた。ある地方自治体職員はいう。
「それまでは、役所内でも市町村合併のことを口にすることはタブーでした。しかし、篠山市が合併の優等生と喧伝されるようになってから、風向きが変わりました。むしろ、『合併特例債が使えるうちに』とか『地方交付税を削減されないように』といったメリットだけが強調されるようになったのです。これで、合併協議が進むようになったのです。
合併特例債は政府が7割を肩代わりするとはいえ、3割は自主財源で返済しなければならない。起債額が膨らめば、それだけ篠山市の返済額も大きくなる。ハコモノを乱造した篠山市は負担に耐えられなくなり、市政運営は躓く。
●丹波市の誕生という大誤算
そうした財政的な危機もさることながら、04年に篠山市に暗雲が立ち込める。隣接する氷上郡6町村が合併。新たな市名を丹波市にしたのだ。篠山市は江戸時代に城下町として栄え、今でも古い町並みを残す。そうした情緒あふれる雰囲気が観光客を引き寄せている。また、市の名産品である黒豆は、全国で「丹波の黒豆」として人気で絶大なブランド力を誇っているが、丹波市の誕生で観光客が奪われる事態にまで発展。丹波の黒豆は丹波市の名産品と勘違いされるようになった。総務省の職員はいう。
「地名によるブランドイメージが農産品や観光を大きく左右することはあります。
全国各地にある市町村は、町村ならばすでに存在するものと同じ名称を用いてもよいとされている。一方、市の場合は原則的に同名市が認められていない。唯一の例外は、東京都と広島県に存在する2つの府中市だ。どちらの府中市も1954年に市制を施行。ほぼ同着での市制施行のため、例外的に両者を認めることになった。府中市のケースを除けば、原則的に先に名乗っている市が存在する場合は、その市にお伺いを立てて許可を得なければならないとされる。
周辺5町が合併して2006年に誕生した福島県伊達市は、先行した北海道伊達市から許可を得ることに成功した。しかし、そうしたケースは稀で、沖縄県平良市・城辺町・下地町・上野村・伊良部町は合併で誕生する新市名を島の名称から「宮古市」にしようとしたが、岩手県宮古市から拒まれたことで断念。宮古島市として発足した。
丹波ブランドを収奪された篠山市は、このほど市名を改称する住民投票を実施。その結果、篠山市から丹波篠山市に市名を改称することが決まった。篠山に丹波を冠することで、丹波市と重複しない。
“合併の優等生”と持て囃された篠山市は、合併後に合併特例債の重荷に苦しみ、そして今、市名争奪戦でも苦しい立場にある。
(文=小川裕夫/フリーランスライター)