2年前の2017年、欧米では奇妙な予言者の登場が話題となった。彼の名前は「ノア」。



 自称「2030年からやってきたタイムトラベラー」である。何しろ、「人類に警鐘を鳴らすのが目的」と語り、ユーチューブ上で次々と「2030年社会の常識」を披露した。

 例えば、「2020年11月のアメリカ大統領選挙でトランプ氏は再選された」とか「2030年のアメリカの大統領はイラナ・レミキーという男になった」といった具合だ。「2021年までに自動走行車が普及し、あらゆるモノが仮想現実と人工知能の力で一体化する」ということは十分ありうるだろうが、「自分は50歳だが、若返りの薬のお陰で25歳になった」と言われると、これはにわかには信じがたくなる。

 しかも、「2028年には人類は火星に到達する」と同時に「タイムマシーンも完成する」というのだが、「ロボットによって世界は支配されることになる」らしい。そうした危機を回避する対策を訴えるために「身の危険を顧みず、現代に飛んできた」というのだが。
その真偽のほどを試そうと、うそ発見器が持ち込まれたが、いとも簡単にクリアしたという。とはいえ、今のところ彼の未来予測をそのまま信じるのは再選を狙うトランプ大統領だけのようだ。

 実は、アメリカでは未来研究が学問として定着している。ハワイ大学を筆頭に未来研究学部が歴史を重ねている。世界未来学会も活発に啓蒙活動を展開中である。国防総省やCIA(米中央情報局)などの専門家が集められ、「世界のトレンド分析:2030年への選択肢」と銘打った報告書もまとめられているほどだ。
未来を先取りし、新たなアイディアや技術を駆使することで世界のリーダーとして君臨し続けようとするアメリカの強い意志が感じられる。

 確かに、ITやAIの研究開発のスピードは加速する一方である。ビジネス面での応用はもちろん、軍事面での応用にも拍車がかかっている。アマゾンではあらゆる商品を注文から30分以内にドローンで宅配する実験を行っているが、同じ技術を戦場でも活用しようとする動きもあるため、グーグルでは軍事応用研究に反対する社員たちが反旗を翻すことになった。ロボットシェフの登場に危機感を抱くラスベガスの料理人たちは「ロボット反対」のデモを繰り広げている。

 その一方で、人口減に直面するサウジアラビアでは世界初のAIロボットに市民権を与えた。
アメリカではロボットが正式に弁護士資格を取得し、中国ではロボット記者が活躍している。まさに人間が人工知能ロボットに凌駕される「シンギュラリティの時代」の到来を予感させるばかりといえそうだ。

 2030年まで、あと11年。どんな世界になっているのだろうか。経済力では中国がアメリカを抜き去るとの予測がもっぱらだ。そうなれば、軍事力や政治力の面でも中国が世界を牛耳ることになるかもしれない。
北朝鮮の暴走を防ぐにも、アメリカは中国の力を借りざるを得ないのが現状である。アメリカの一極支配耐性は終わりを迎えている。人口という武器は市場という最終兵器を構成するからだ。世界最大の人口大国・中国は、同じく人口の大きさで肩を並べるインドとの間で国境紛争を乗り越え、戦略的関係を強化しつつある。

「中国の夢」と称する「一帯一路」計画はインド、ロシア、中央アジアはいうに及ばず、アラブ中東からヨーロッパ、アフリカをカバーする巨大な「中華経済圏」構想にほかならない。ロシアの進める「ユーラシア構想」と一体化すれば、「アメリカ第一主義」を掲げるトランプ政権とは真っ向から対峙するものになるだろう。
現在進行中の米中間の関税闘争は貿易通商戦争に発展する危険性を秘めている。どちらに軍配が上がるのか。2030年の世界を占う上で、アメリカから中国に覇権が移行することになるのか、注目すべき動きは枚挙にいとまがない。

●トフラー博士の予言

 さて、アルビン・トフラー博士といえば、世界の未来研究をリードしてきた存在で、ハイジ夫人との二人三脚で数多くのベストセラーを生み出してきた“知の巨人”である。筆者にとっては8年近くのアメリカでの研究生活のなかで出会った最も衝撃を受けた人物だ。80歳を過ぎても、ロサンゼルスを本拠に地球を隈なく飛び歩く行動派であったが、2016年冥界に旅立った。


 しかし、今でも彼と交わした未来への思いの数々は忘れられない。2030年を予測するに当たっては、自称タイムトラベラーより、はるかに地に足のついた視点を提供してくれているからだ。

 若い頃からアメリカの自動車メーカーGMの工場でベルトコンベアーの流れ作業を体験したり、偵察衛星の盗聴器を自分で組み立てたり、崩壊直後のソ連に出かけたかと思えば、改革開放経済に歩み出した中国に足を踏み入れるといった具合で、知的好奇心と実証的な探求心の塊であった。日本の政界の奥の院にもアプローチをかけるといった裏技にも長けていた。会うたびに、その想像力に圧倒された。

「フォーチュン」誌の副編集長時代から鋭い分析眼には定評があったが、同時にあらゆる現象を一刀両断に切りさばくパワーは伝説的にさえなっていた。相手を射抜くような視線の時もあるが、話題が家族のことになると途端に表情が和らぐ愛妻家でもあった。とはいえ、障害がある一人娘の将来には心を痛めていた。

 行く先々で多くの愛読者に囲まれ、さながらロックスターか人気映画俳優と同様の扱いを受けるような人気者でもあった。トフラー氏は冗談交じりに「ブラット・ピッドかアンジェリーナ・ジョリーになったようだ。でも、自分のほうがピットよりは男前だな」と語ったことがある。すると、横からハイジ夫人が「ピットはあなたほど歳を取っていないことも確かね」と茶々を入れる。

 何しろ二人の共同作業は年季が入っていた。トフラー氏がGMに籍を置いていた頃、ハイジ夫人は全米自動車労組で働いていたとのこと。そうした共通の体験を重ねながら、二人は世界の未来を分析する作業に従事するようになった。とはいえ、単なる経済的なデータを積み重ねるのではなく、人間の心理や病理にもメスを入れ、社会現象の背景や行く末を綿密に思考するのが、彼らの特徴的な手法であった。

 なかでも1970年に発表された『未来の衝撃』は、彼らの名前を世界に知らしめる上で最も大きな影響をもたらした作品である。オリジナルのタイトルである「フューチャー・ショック」という言葉はたちまち世界的な流行語となった。異文化との出会いがもたらす「カルチャー・ショック」という言葉はその以前からあったが、未来との出会いを想像させる「フューチャー・ショック」という造語は多くの読者の心を一瞬にしてわしづかみにした。

 今では「個人、集団あるいは社会全体が変化の波に飲まれた時に経験する方向感覚の喪失、混乱、意思決定機能の停止」を定義する用語として広く定着している。『未来の衝撃』に次いで、トフラー氏は『第三の波』と『パワーシフト』を相次いで世に問うことに。それぞれ独立した著作だが、3冊が一貫した内容で、トフラー氏の追求する「変化論」の三部作を形成している。

 トフラー氏の言葉を借りれば、「中心テーマは変化」である。すなわち、社会が急激に予想もしなかった新しい姿に変容する時に人々に何が起きるのか。『未来の衝撃』は変化のプロセス、つまり変化が人々や組織にどのような影響を与えるかに焦点をあてたもの。『第三の波』の主題は変化の方向性であり、今日の変化が人々をどこに連れていくかにスポットをあてている。また、『パワーシフト』では、今後起こり得る変化のコントロールについて、言い換えれば、誰がどうやって変化を形成するかを扱っている。

 トフラー氏の三部作は変化そのものの実態と、変化がもたらす多くの課題や問題を綿密に分析しているだけでなく、未来への希望に満ちた内容にもなっている。一連の作品群から読み取れる未来へのメッセージとは何か。それは「いかに大きな変化とはいえ、見かけほど混沌として無秩序なものではなく、変化の陰には一定のパターンや識別できる力が作用している」ということだった。

 これらのパターンやパワーを理解することによって、変化に怯えることなく戦略的に対応できるようになり、何かが起こるたびに場当たり的な対応をしなくても良くなる。そんな自信を読者に与えているのが、彼らの著作の魅力でもあった。単に未来で待ち構える変化の渦を恐れさせるような際物ではない。

●『未来の衝撃』の驚くべき正確さ

 トフラー氏の名を世界に刻みつけた『未来の衝撃』は、発表されてからすでに半世紀近くもの時間を経ている。今読み返してみると、彼の予見能力の精度を測ることができ、トフラー夫妻が驚くべき正確さで未来を見通していたことには改めて驚かされる。

 同書のなかでトフラー氏は「核家族の崩壊、遺伝子革命、使い捨て社会、教育の最重要性、社会やビジネスにおける知識の重要性の拡大」を見事に予測していた。特に注目すべきは「一時性」という価値観である。急速に変化する情報化社会ではモノに対してのみならず人間関係においても、そうした傾向が増大するのが未来社会の特徴だと看破。

「この一時性の連続によって、すべての分野において“使い捨て”傾向が加速する」との指摘にはうなずかされる。結婚しかり、家族しかり、はたまた職場や生活の場所、そして身の回りのあらゆる商品にも当てはまるというわけだ。

 それらに伴うストレスの増加は人間の肉体的、精神的苦痛をもたらし、社会の不安定化を増す。こうした変化を乗り越えるには経済的な対策では不十分であり、社会学、心理学、医学、生物学など関連領域を総動員する必要があることにも言及。また、「マス・マーケティングがニッチ・マーケティングやミクロ・マーケティングに道を譲り、大量生産が時と共にカスタム生産に取って代わられ、大企業が小さな自律的単位に分かれる」という時代の変化にも鋭い目を向けていた。

 さらには、政治や国家という概念でさえ、諸般の事情に精通するようになった個人の意識の高まりと、果てしないほどの情報技術の発展によってもたらされる「非大量化」の波にさらされるだろう、とトフラー氏は考えていた。そうした未来展望はことごとく的中しているといっても過言ではない。

 とはいえ、50年以上も前になされた未来予測のなかには間違った点もある。当然と言えば当然であろう。トフラー氏曰く「予測するのが一番難しいのはタイミング」。「あることがいつ起こるのか予測することは一番難しい」とのこと。たとえば、彼らは1970年当時に「人類は動物のクローンを造るだろう」と予測していた。これはすでに現実のこととなっている。

 実は、「人間のクローンも造られるだろう」とも予測していた。筆者とロサンゼルスで食事をしながら語り合った今から20年近く前でも、なおその可能性はあると思っているようだったが、そのタイミングについては間違っていたと素直に認めていた。なぜなら、「それらが1985年までに起こるだろう」と述べていたからである。トフラー氏によれば、「1985年というのはノーベル賞を受賞した世界のトップレベルの生物学者の見解に基づき予測したのだが、たまたま彼が必要以上に楽観的に構えていたためだと思われる」という。

『未来の衝撃』のなかでは「使い捨て社会の到来」を予測しており、そのなかで「やがて紙でできた衣服を身につけるようになる」との記述があるが、2019年の時点で現実にはそうはなっていない。とはいえ、そうした試みがファッション業界で日夜研究が続いていることは間違いなく、遅かれ早かれ、現実のものとなりそうだ。この一例に限らず、多くの予測のなかにはタイミングを逸したものや、まったく見当はずれだったものもある。しかし、二人はよく次のように言って、聴衆の笑いを誘うのが常であった。

「私たち未来学者には魔法のボタンがある。予測の間違いを述べるような時には、『今のところはまだ』と付け加えておく」。免罪符ではないだろうが、いくら知の巨人とはいえ、森羅万象すべてを正確に予測することはできない話。ユーモアのセンスも未来学者には欠かせない才能に違いない。

●「2000年委員会」

 ところで1970年代に一世を風靡した『未来の衝撃』は大ベストセラーとなり、全世界で3000万部も売れたという。そのなかで提唱されていた「社会的未来主義」には筆者自身も大いに感銘を受けた。2019年を迎えた今、改めて読み返しても、その発想の斬新さや先見性の素晴らしさには驚かされる。

 その趣旨に賛同した多くの人々が各地に「2000年委員会」を発足させ、科学的未来主義の展望と技法を学ぼうという社会運動の波が起こった。アメリカだけでも、何百万という人々がかかわった歴史的な動きであった。しかし、あれだけ大きな盛り上がりをみせた運動が定着しなかったのは不思議でならない。その点をトフラー博士本人に問いかけたところ、次のような答えが返ってきた。

「当時はそれぞれの国、都市、地域社会などで実に広範囲にわたって人々が20世紀の残された期間を最も効果的に生きるため、どのような社会的目標から優先的に取り組むべきかを大いに議論した。つまり未来はどうあるべきかを上から教えられるのでなく、皆が自発的に自らの課題として討論する場がたくさん生まれた。各地に志のある人々が集まっては、私を講師として招いてくれた。1年の半分以上をそのような人たちとの対話に費やした時期もある。

 その結果、私も想像以上に啓発されたものだ。その当時から有権者の多くは自分たちの選んだ議員とほとんど接触がないことに不満を募らせていた。しかも選ばれた議員たちが議会で討論している内容といえば、あまりにも技術的な話で、とてもついていけないし、自分たちの望んでいるものとは違い過ぎると辟易していた」

 真剣な眼差しで語るトフラー氏の話を聞けば聞くほど、アメリカも日本も恐らく世界中のどこの国でも共通の政治的課題が存在していると思わざるを得なかった。大方の政治家にとっては、時間の概念は「次の選挙まで」といった場合がほとんどである。未来を長期的に真剣に考えるなどということは贅沢なことなのかもしれない。

 いずれにせよ、トフラー氏によれば、「社会的未来主義」の運動が定着しなかった最大の理由は、組織として維持発展させていく上で必要な資金面を専門に扱う人がいなかったからというものであった。

 また、続けて「40年前、自分はまだ若く、当時これはと思った政治学者や経済学者の言葉を過大評価していた。実際にはうまく機能するはずのないような経済理論に振り回されてしまった気がする。一流と目されていた政治、経済をはじめ、あらゆる分野の専門家を集めた超産業主義的ユートピア社会をつくり出すことができるだろう、少なくとも新しい価値観を創造できると思い込んでいた。正直なところ、その見通しは甘かったと言わざるを得ない」と、正直に語ってくれた。

 さらに言葉を重ね、「今から振り返ると、いくら当時ベストと言われていた頭脳を集めてもしょせん“寄せ集め”に過ぎなかった。他人の頭脳に頼るのではなく、自分が確信する独創性をもっと突き詰めて発展させていくべきだったという気がしてならない」と心情を吐露。

 極めて謙遜したものの言い方であるが、決定を下してから実行に移す間に決定自体を無意味にしてしまうような社会的変化のスピードの速さにトフラー氏自身が謙虚に向き合っていることがわかる。政治にとっても、経済にとっても、政策決定時に得ていた情報が実行時には現実とあまりにも違ってしまっているようなことが日常茶飯事になっているからだ。

 特に政治の世界ではこのタイムラグが大きな問題といえよう。欧米でも日本でも政治家はコンピューターでいう「バッチ・システム」という旧式の情報力に頼るという時代感覚で動いている。

 他方、政治に影響を与えようとしているロビー団体は一日24時間、一年365日リアルタイムでたゆみなく働きかけを行っている。つまり、「オンライン・システム」で働いているわけだ。その結果、実行に移された政策が現状にそぐわないという状況が起こってくる。こうした状況はアメリカだけではなく、日本でも世界でも見られる共通の現象であろう。

●新たな自然エネルギーへの移行

 個人でも組織でも先を読むだけでは足らず、「先の先を読む」必要が常にあるわけだ。要は、情報といっても「未来に生きる情報」と「過去を確認する情報」とを区別しなくてはならない。そんな時代の流れのなかで、情報の意味をチェックしなければ、21世紀の情報戦士にはなれない。そのことを改めて再確認させてくれるのが『未来の衝撃』である。

 同書の冒頭、トフラー氏は日本の読者に宛てて、次のように語っていた。

「日本経済は強力なジェット・エンジンに似ている。エンジンを酷使すると、飛行機の機体を危険な状態にさらしはじめる。振動はひどく破壊的な力となり、機体の接続部分を壊し、ばらばらにしかねない。社会秩序とは、その国の経済活動が行われている枠組、つまり飛行機の機体みたいなものである。もし社会的秩序がばらばらになってしまったならば、エンジンもまた破壊されてしまう」

 2011年の「3・11」東日本大震災を受け、原子力の安全神話が崩壊したにもかかわらず、脱原発に踏み出せない日本のエネルギー政策。メタンハイドレートのようなクリーンなエネルギー源が日本沿岸に大量に眠っているにもかかわらず、既存の原発や輸入天然ガスから脱却できない。朝鮮半島の非核化や南北朝鮮の融和・統一に向けての動きがありながら、高額なアメリカ製のミサイル防衛システムを買い増す日本の防衛政策。2060年には人口が半減し、税収も大幅に落ち込む見通しが明らかになっていても、大盤振る舞いの予算編成に走る日本の国会。このままでは「未来から取り残される」という運命になりかねない。

 今こそ、わが国のみならず世界全体として「未来の衝撃」に直面しているとの危機感を共有し、新たな社会的価値観と秩序の創造に立ち上がる時であろう。未来学の真髄とは「目標とする未来を具体的に想像でき、そこから今何をなすべきかを決断すること」。そんな未来学的発想の指導者が求められている。

「アメリカ第一主義」を標榜しつつ、軍事産業第一主義に走るアメリカとの同盟関係に固執するのか。あるいは、そのアメリカを追い抜き、「一帯一路」計画という巨大な経済圏を生み出そうとする中国と連携するのか。日本の未来をどこに委ねるのか。

 大事なことは、そんな他力本願の選択ではなく、両者の強みや弱みを冷静に把握した上で、地球規模での資源と人材の開発戦略を独自に打ち出すことであろう。「燃える氷」と呼ばれ、燃やしてもCO2の排出量が極端に少ないクリーンエネルギーであるメタンハイドレートひとつをとっても、開発技術に関しては日本が世界の先頭を走っている。

 しかし、既存のエネルギー源に固執する業界の抵抗もあり、その実用化のめどは立たない。実にもったいない話だ。アメリカも中国も、そしてロシアや韓国も熱い関心を寄せている「未来のエネルギー」である。領土問題や利権争いを乗り越え、国際的な共同開発への道筋を日本が示せる、またとないチャンスのはず。頻発する自然災害の嵐に再び原発が飲み込まれる前に、新たな自然エネルギーへの移行を図るべきではなかろうか。

 残された時間は少ない。オリンピックや万博に浮かれるのではなく、2019年は人類の未来に欠かせない新エネルギー源の開発レースに挑戦する時代の幕開けにしたいものだ。
(文=浜田和幸/国際政治経済学者)