異色の“がん闘病本”著者インタビュー【前編】

 ある“がん本”が売れ続けている。仙台在住の菊地貴公さんが2018年10月に上梓した、『フガフガ闘病記 オシャレは抗がん剤より効くクスリ?』(TYPHOON BOOKS JAPAN)。

S状結腸がん、腹膜播種(腹膜に細かい腫瘍が広範囲にできる)が見つかり、ステージ4、余命2~3年と宣告されたおしゃれ好きの妻・ナオミさんの闘病を、夫の側から綴ったエッセイだ。

 抗がん剤治療と難易度の高い外科手術とに耐え、どんなときもおしゃれ心と希望を失わなかったナオミさんは、2017年10月5日、47歳で逝去した。夫である菊地さんは同年12月にブログ「思い出したら泣いちゃうのに。」を開設。回を重ね、その後加筆してこの本を制作するに至る。

 若くして妻を失った悲しみに貫かれた“慟哭の書”という意味では、この本には類書も多かろう。しかしこの本が他と一線を画しているのは、ナオミさんの徹底した“おしゃれ”へのこだわりのせいだ。ナオミさんが、宝島社の雑誌「CUTiE」に象徴される1990年代“渋谷系”の時代に青春を謳歌した世代であろうことが随所に垣間見える同書は、おしゃれに着飾ったナオミさんの写真がふんだんにちりばめられ、若くしてがんになった者にとってQOL(クオリティ・オブ・ライフ)とは何か、という問いを読む者に投げかけてくる。

 愛する者を失った喪失感とともに、がん闘病の実際、そして残された者の心の動きについて、著者であり夫である菊地貴公さんに話を聞いた。

●菊地貴公(きくち・たかひろ)
テレビ番組ディレクター、CMディレクター。1965年、宮城県生まれ。仙台を拠点にテレビ番組やCMのプランナー、ディレクターとして活躍している。1995年~1999年、仙台市にて家具ショップ「BUBBLE」を運営。
死別した妻についてのブログ「思い出したら泣いちゃうのに。」を2017年12月に開設。

●つらくて、死が頭をよぎった

――ブログ開設から、本の出版に至るまでの経緯を教えてください。

菊地貴公 妻の闘病中には、同じように闘病している方のブログを夫婦で読み、世間から孤立しているような感覚をごまかしていました。その後、妻と死別してからは、同じようにパートナーと死別された方のブログを読むようになりました。周りの友人、知人からのなぐさめの言葉はありがたいけど、やはり同じ経験をされた方の言葉のほうが響くんですね。

 その頃の私は常に、「妻に生き返ってほしい」「どうやったらまた会えるか」といったようなことを考えてばかりで、自分まで病気になったんじゃないかというくらいに混乱していました。そんな中、パートナーと死別された方のブログを読むと、「書くことにで気持ちが整理されて少し楽になりました」と書かれていることが多い。だから、「私も何か書けば、気持ちが楽になるのかな」と思って、四十九日が終わってすぐに、自分のためにブログを書き始めたんです。闘病中は、妻を治すということに向かってエネルギーを出し続けていたけれど、急にそれが不要になってしまい、エネルギーを持て余してしまっていた……というところもあると思います。

 今回の本を出版してくれたTYPHOON BOOKS JAPANの代表がたまたま私の友人で、ブログを書き始めた当初から「本にできたら」という相談をしてはいました。今思えば、混乱しているときに勢いで書き始めたからこそ、できたのだと思う。少し経って落ち着いてきた頃だったら、つらすぎて、本をつくろうなんてとても思わなかったでしょうね。


 菊地さんは、仙台を拠点にテレビ番組やCMのプランナー、ディレクターとして活躍している。1995年から1999年までは仙台で家具ショップ「BUBBLE」を運営し、フリーペーパーを発行するなどの活動により、多くのクリエイターを輩出した。ナオミさんの死を知ったそうしたクリエイターたちと再び親交が始まり、本の制作にも協力。2018年11月には、「BUBBLE」20周年のYouTube10時間生配信イベントも行ったという。

――ブログへの反響はどうでしたか?

菊地貴公 「ナオミちゃんのファンになりました」といったコメントが、多いときで日に10個ほどは付きました。読者はやはり、私と同じようにパートナーと死別された方が多かったですね。ただ、そういう方の多くは、私が「なんとか立ち直っていきたい」なんてことを言うと、「立ち直るなんて無理だよ」「本当に立ち直るってことは、何年経ってもないんだよ」といったようなことをおっしゃるんですね。もちろん人それぞれですし、そうした言葉も最初の頃にはすごくなぐさめにもなりました。ただ私は、いつまでも“ここ”にいるのではなくて、ちゃんと走り出したかったんです。

 その結果2018年は、ブログを書いて本を作ってBUBBLEのイベントをして……と、ナオミちゃんと一緒にものを作り上げているような気持ちになり、一瞬、悲しみを忘れることができた。けれど、それらがすべて終わった瞬間に忙しさがサーッと引いていって、つらい気持ちだけがそのまま残り、改めてそのつらさと向き合うという結果なりました。ナオミちゃんの思い出がたくさんある家にいることがつらくて、遠くに引っ越そうとも考えたり、死が頭をよぎったり。
自分が想像していた“1年後”よりも、実際はもっとつらいですね。「何年経っても立ち直れない」というのは、確かに間違いではないのでしょう。でも私は、今日よりも明日は、少しでも楽になりたいという思いが強い。そして実際、少しずつですが、楽になっているとは思います。

――2018年10月に本を出版してから、周りの人に変化はありましたか?

菊地貴公 いや、大きな変化はないですね。「読みました」と言ってくださる方は多いですが、「声をかけたいけど、なんて声をかけていいかわからない……」という方もいるようです。そういう意味では、気を遣わせてしまって申し訳ないなと思いますね。ただ、私としては本当は、もっといろんな方にナオミちゃんのことを話したいんですよね。もちろん話したら泣いてしまうし、私が泣いたら相手は、「やっぱり聞いちゃダメだったか、申し訳ない……」と思うかもしれない。けれど一方で、泣くことで心が癒されるような気もしますし。

●がんを取ったらウエストが細くなった!

 ナオミさんの4年間の闘病生活には、何度かターニングポイントがあるという。

 第1期は、2013年にがんが発覚してから大腸の腫瘍を摘出、抗がん剤治療を行った標準治療の約2年間。
第2期は、もはや手術ができないと地元の医者に言われた腹膜播種を摘出するため、2015年秋に滋賀県の病院で大手術を行い、腹膜播種、卵巣、子宮、脾臓、大網(腹膜の一部)、大腸の一部を摘出してからの時期。そして第3期は、2017年10月5日に亡くなるまでの、最期の1週間……。

――抗がん剤治療の副作用、そのつらさについては、さまざまな人によって語られています。おしゃれ好きのナオミさんの場合、“第1期”に開始された抗がん剤治療は実際のところ、どのような影響がありましたか?

菊地貴公 副作用の出方はひとりひとり違うので、これはあくまでもナオミちゃんのケースだということが前提なのですが……彼女の場合は、抗がん剤を半日くらい病院で点滴したあとに、体内につながったチューブが付いたタンクをもらって、引き続き自宅で2日間ほど注入。これが、そのまま治るのかなと思うくらいよく効きました。

 副作用も少なく、手足が少ししびれる程度。脱毛もありましたがウィッグを付けるほどではなく、ごはんも普通に食べられました。大好きなおしゃれに関してもまったくモチベーションが下がらず、逆に「こういう状況だからこそ、もっと楽しくしたい」と、より深くはまるようになったくらいで。

 2013年11月の大腸の腫瘍摘出手術に関しても、実はその腫瘍が長年の便秘の原因となっていたようで、手術後はその便秘が見事に解消。ウエストがスリムになって、「いままではけなかったパンツがはけるようになった!」なんて喜んでいました。「大腸の切除後、ストーマ(人工肛門)が付くとジーパンがはけなくなるらしい」「腹水が溜まってきたら、あのパンツがはけなくなるかも」などなど、生きるか死ぬかの話よりも、洋服のほうが気になっていた感じです(笑)。ちなみにおしゃれへの気力は、亡くなる1週間前に友人たちと食事に行ったときに「やっとあの服を着て外出できる!」と語ったくらいで、最期まで変わらずにありました。


 ネットショッピングがある時代でよかった。闘病しながらでも、ネットを通じていつでもきらびやかな世界に行って買い物ができましたから。本のタイトルに「オシャレは抗がん剤より効くクスリ?」と副題を入れましたが、本当にネットショッピングは、冗談ではなく、治療に一役買っていたと思います。

 ただ、病状が悪化して選択できる治療がなくなってしまった頃には、いよいよ覚悟をしたのか、ほしい服を見つければ以前は『これを着るためにがんばる!』なんて言っていたのが、「買っても着ないかもしれないし……」という言葉に変わっていきましたね。
(構成=安楽由紀子

編集部おすすめ