天皇陛下は4月30日に退位され、皇太子さまが翌5月1日に即位される。代替わりに伴う一連の行事は3月12日から始まった。大がかりな儀式としては、10月22日に即位を国内外に公式に示す「即位礼正殿の儀」があり、11月14日から15日にかけては、天皇が即位後最初に神々に五穀豊穣を感謝する「大嘗祭」が行われる。

 この即位礼、大嘗祭にかかる費用は、国費である「宮廷費」でまかなわれる。これに対して、日本国憲法第20条の「信教の自由の保障・政教分離」に反するなどとして、日本聖公会主教会、日本キリスト教会、日本バプテスト連盟が安倍晋三首相に宛てた抗議声明を発表している。

 7世紀の皇極天皇の時代に儀式の形が決まったとされる大嘗祭は、神道に則ったものであり宗教的色彩の濃いものだ。そのため国事行為ではなく皇室行事として行われる。国費を支出する理由を、政府は「極めて重要な伝統的皇位継承儀式で公的性格がある」と説明している。平成の即位礼では、装飾用の旗から日本神話において神武天皇を大和国に導いたとされる八咫烏(ヤタガラス)を入れないなどして宗教色を取り除く配慮をした上で、国事行為として行われた。今回の即位礼も同様に国事行為として行われる。

 憲法第20条で、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」とあり、憲法第89条には「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」とある。

 代替わりの儀式に国費が投ぜられることは、憲法に反することなのだろうか。 憲法学が専門の麗澤大学教授、八木秀次氏から聞いた。

「憲法で定めた政教分離の理解については、厳格分離説と相対的分離説という2つの対立した考えがあります。厳格分離説は、国や地方自治体と宗教を厳格に分離するという考え方です。相対的分離説というのは、憲法は国や地方自治体の宗教的中立性は求めているけれども、宗教とまったくかかわらないということは現実的には不可能なので、緩やかな分離を憲法は求めているという理解です」

 1965年に三重県津市で私立体育館建設の際に地鎮祭が行われ、市の公金から挙式費用として7663円が大市神社に支払われた。これに対して津市議会議員が政教分離に反するとして訴えた裁判があった。77年に最高裁判所が示した判断は以下の通りであった。

「本件起工式は、宗教とかかわり合いをもつものであることを否定しえないが、その目的は建築着工に際し土地の平安堅固、工事の無事安全を願い、社会の一般的慣習に従つた儀礼を行うという専ら世俗的なものと認められ、その効果は神道を援助、助長、促進し又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるものとは認められないのであるから、憲法二〇条三項により禁止される宗教的活動にはあたらないと解するのが、相当である」

 81年から86年にかけて、当時の愛媛県・白石春樹知事が、靖国神社の例大祭などに玉串料、献灯料、供物料などを県の公金から支出していたが、政教分離に反するとして浄土真宗の僧侶が訴えて裁判となった。97年に最高裁が下した判断は、靖国神社という特定の宗教団体に対しての、援助、助長、促進になるとして政教分離に反するというものだった。

「国や地方自治体が行う目的と効果を考えてみて、その目的が宗教的な意義を持っておらず、その効果が特定の宗教団体を利したり損させたりというものではないものについては、宗教色がいささかあったとしても問題ないというふうに考える、相対的分離説が司法の世界では定着しています。憲法の第2条に『皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する』とあります。世襲の天皇制を日本国憲法は制度として持っているわけで、代替わりにあたって行う儀式を憲法で想定しているわけです。確かに宗教色はあるけれども、代替わりにあたって行われる由緒ある儀式であるので、そこに国がかかわってもよいという考え方になります。

 大嘗祭については皇室の行事ですけど、代替わりという憲法が想定しているものであって、そこに公費を充てること、あるいはそこに公務員がかかわることについては問題ない、というのが平成の大嘗祭の時に政府側が出した考え方です。これは合理的な説明ですので、裁判になったとしても、最高裁は同じような考え方をとるでしょう」(八木氏、以下同)

●国によって宗教の意義はさまざま

 日本キリスト教会靖国神社問題特別委員会の声明は、安倍首相による天皇への内奏(2月21日)、皇太子への訪問(2月22日)を「象徴である天皇は政治に一切関わってはならないとする現憲法に対する重大な違反である」と批判している。内奏とは総理大臣をはじめとした国務大臣が、天皇に国政の報告を行うことである。

「内奏の内容によりますが、代替わりにあたっての儀式の概要、あるいは元号を決める手続きなどの説明が行われたと考えられます。その時に天皇、あるいは皇太子からなんらかの発言があり、それによって政府が動くということがあったならば憲法第4条1項にいう国政に関する権能を天皇、皇太子が行使したということになるので、そうなれば憲法違反ということになります。そういうことがなくて、ただ報告を受けているだけであれば、それはなんら問題はありません」

 日本バプテスト連盟性差別問題特別委員会の声明は、「天皇制が性差別、セクシャルマイノリティ差別あらゆる差別をつくり出しています。また天皇の皇位継承にも、男性天皇、男系天皇しか認めない性差別が顕著です」と批判している。

「憲法には皇位継承の原理までは書かれていませんが、皇室典範では伝統的に行ってきた男系継承を原理とするとされています。天皇は憲法の第1章で規定されている存在です。一方、憲法第14条で法の下の平等が謳われています。この2つの整合性を考えた場合、天皇の存在は第14条の例外だと考えられるわけです。皇位継承の原理についても、第14条の例外と理解すべきです。

 天皇制や天皇の存在自体が性差別の根拠だという意見は、憲法の第1章を否定して、天皇制自体を廃止するということでしか成り立ちません。現在の憲法は天皇の存在を大前提とし、国家の統治機構をそれで構築しているわけですから、そうした主張は、今の憲法のもとでは成り立たないということになるかと思います」

 日本聖公会主教会正義と平和委員会の声明は、「『大嘗祭』を公的な行事と位置付けることにより、天皇が特別な存在であること、さらに神格化のイメージを植え付けることを危惧いたします。かつて、天皇を中心とした国家神道のもとで、植民地支配と侵略戦争をした反省の上に作られた憲法を守ることは、わたしたちの責任だといえます」と批判している。

「まさに過去の歴史の反省から作られた今の憲法のもとでは、国家神道になっていくということはあり得ないわけです。今回の代替わりは、今の憲法の下で2回目で、昭和から平成の代替わりをそのまま踏襲します。彼らがいう理屈であれば、平成への代替わり以降、天皇が神格化されて国家神道的な道を日本が進んでいなければおかしいわけですけど、現実にはそうなってないわけでしょう」

 アメリカでは、これまで例外もあったが、大統領の就任の宣誓は聖書に左手を置いて行われるのが慣例だ。トランプ大統領は就任演説で、聖書からの一節を用いた。議員の就任や公務員の就任の際も聖書が用いられる。法廷での宣誓でも、同様に聖書を用いることが慣例となっている。

「国の成り立ちとか国柄によって、そこにおける宗教の意義というのが、どの国にもあるわけです。アメリカは政教分離の国、国教の樹立を禁止した国ですが、キリスト教やユダヤ教など、そういう特別な宗教と国、政治との関係というのがあるわけです。日本の場合は伝統的に皇室は神道との関係があるということです。

 今回声明を出している聖公会は、そもそもイギリスのキリスト教です。イギリスは立憲君主制であって、その王位継承にあたっては、聖公会の宗教色で行うわけです。その時にイギリスにいる神道の団体が抗議するかといったら、しないわけですよ。それぞれの国の成り立ちと宗教の関係があるからです。

 今回声明を出した団体は日本にあるキリスト教団体の一部であって、キリスト教を代表しての意見ではないと思います。キリスト教も多様で、日本の伝統に寛容な人たちも多くいるわけです」

●日本キリスト教会靖国神社問題特別委員会の回答

 果たして即位礼、大嘗祭などに国費を用いることは憲法違反なのか否か。見解を問うたところ、日本キリスト教会靖国神社問題特別委員会・古賀清敬委員長から回答が寄せられた。

「私どもの声明をお読みくださり、ご質問をいただきありがとうございます。政教分離の問題は、それぞれの国や地域の歴史的経緯によって多様なあり方を示しており、平面的に比較して済まされない未解決の課題であると認識しております。日本においてはかつての戦争への反省を踏まえてより厳格に憲法で規定されており、それを緩和することは国家など公的権力の宗教への関与・介入を増大させ、信教の自由への侵害を引き起こします。事柄は宗教と文化の関係一般ではなく、政治的権力が特定の宗教を優遇であれ抑圧・禁止であれ特別扱いしてはならない、というのが政教分離原則の趣旨であると理解します。

 ちなみに、聖書に手をおいての宣誓はキリスト教の正規の儀式ではなく歴史的に創作されたものであり、英国教会のあり方をめぐっての論争や対立の中から、信教の自由こそが人権の中心であり、政教分離の重要性の認識が明確にされてきた歴史があります。また、ユダヤ教徒やエホバの証人等、キリスト教以外の宗教を信じる人々には、それぞれの正典を用いること、さらに信仰上の立場から宣誓誓約そのものを拒否するメノナイト教徒等には、宣誓誓約なしにその証言を『宣誓供述』に等しい法的拘束力を持つものとして扱う等、信仰の自由に対しては最大限の尊重が図られるのが世界的な流れとなっていることを申し添えます。

 代替わりの儀式は、宗教色が強いという言い方では不十分で、皇室神道儀式そのものであり、これへの国費支出と宗教系教育機関への補助金と同一に論じることはできません。教育機関への支出は、公の支配に属するかどうか、即ち学校教育法その他の法的基準を満たしているかどうかの厳しい審査と監査を経て行われているものだからです。

 現天皇の在位期間で神格化のイメージが植え付けられたかどうかは何を基準として判断するかによる議論になりますが、国家神道の中核である皇室神道が温存されていること、それが公的意味を有すると当然視してきた歴代政府の態度は、いまだ国家神道体制のもとで遂行された戦争と人権侵害への反省が不十分であり続けていると憂えております。

『内奏』や『訪問』の内容を探索できる権限も方法も持ち合わせていませんので、その内容を把握してはおりません。ここで問題にしていることは、代替わりに関することであれ、何であれ宮内庁を介して執行できるはずのことを、なぜ首相自身が行うのか、また『内奏』というのは大日本帝国憲法下での『上奏』と一対で用いられた極めて政治的な用語をなぜあえて使うのかということです。『内奏』それ自体が主権在民の憲法原理に反し、それをことさらに誇示する安倍首相の政治姿勢が問題であると抗議したものです。

 以上、多岐にわたるご質問ですので逐一詳細な回答にはなっていませんが、今後の議論のご参考にしていただければ幸いに存じます」

 掲載を前提とした回答ではなかったが、日本聖公会からも返信をいただいたことを申し添えておきたい。
(文=深笛義也/ライター)