【第3回】「大阪にカラスがいない説」は本当なのか?(後編)
大阪にカラスがいない(少ない)という説を確かめるために、はるばる現地までやってきた。そこでわかったことは「なーんだ。
しかし、カラス的グッジョブな出会いは動物だけにあらず。
それは、博物館だった。カラス観察地の近くに、生き物関連の資料館や博物館があれば、ぜひ寄ってみたい。かつて「カラスには方言があるのでは」と研究した学者さんがいたぐらい、カラスにも住む地方によって県民性(?)があるらしいのだ。東北の人と沖縄の人のキャラクターに違いがあるように、その土地の成り立ちは、カラスの個性にも影響を与えているはずだ。
●カラスの卵までグッズ化してしまう
「大阪市立自然史博物館」は、長居公園の敷地内。大阪市立長居植物園の門の奥にあった。展示物への期待もさることながら、雑貨好きなミーハー人間として気になるのが、やっぱりミュージアムショップ! 順路としては、展示で得た知識をたずさえて、ショップのアイテムに出合うというのが正統派なのだろうが、先にショップを見つけてしまったため、そこから攻めることに。
パッと見、こぢんまりとしてどこにでもありそうな店舗だったが、近くで陳列棚を観察すると“ニホンジカの頭骨の手ぬぐい”や、“リアルなきのこのトートバッグ”など、やたらとマニアックな商品が目につく。
マニアックってことは、もしかして……
女性の店員さんにおそるおそる「カラスの商品はありますか?」と尋ねると、「あー、ちょっと待っててくださいね。ねぇ、〇〇さん、この間のアレまだあったかな?」という感じで、あれよあれよという間にカラスグッズが召喚されていく。
ハシボソガラスの「ガァ ガァ」ステッカーと、ハシブトガラスの「ザ・でこっぱち」ステッカー(ラスポンチャス)。「え、カラスに種類なんてあるの?」などといわれかねないこのご時世において、ボソとブトをきちんと別キャラとして打ち出しているグッズは非常に貴重である。
そして、私が度肝を抜かれたのがコレ。
ハシブトガラスの卵をモチーフにした「たまご携帯クリーナー」! そうそう、カラスの卵はミントグリーンのベースに黒や茶色の斑点が乗っていて、まさにチョコミントそっくりなんですよ! 食べるな危険!!
パッケージ裏のクレジットには、この博物館の方のお名前が監修として書かれていた。つまりはオリジナルグッズなのだ。
●なにわホネホネ団、そしてカラス女史登場!
こんなものまでグッズにしてしまうとは――。カラス愛好家としては、感激のあまり涙腺と財布の紐がゆるみっぱなしだが、果たして採算は取れているのだろうか。大きなお世話だが心配になり、先ほどの店員さんに質問してみる。
「失礼ですが……、これを買っていく方っていらっしゃるんですか?」
「それがね、意外とカラス好きの方がいらっしゃって、売れていくんですよ。
店員さんがやけに生き物にくわしいので、ふだんの活動を聞いてみると、剥製や骨格標本(博物館などに展示してある骨の模型)の世界では超有名な「なにわホネホネ団」の団長さまなのでありました。お名前は、西澤真樹子さん。
「なにわホネホネ団」は、鳥や哺乳類の亡き骸から骨格標本をつくって、この博物館などに納めているグループだ。博物館には、こういった人たちがサークルのような形で所属していることがある。動物の死体を触るなんて気味が悪い……と思われがちだが、そのひとつひとつが後世に生態系の情報を残してくれる貴重なサンプルなのだ。多くの人が、動物の体の仕組みに魅せられて、尊敬と喜びを感じながら取り組んでいる。
ホネホネ団は、標本づくりの必要性を広めるために、ワークショップやオリジナルグッズづくりにも精力的に取り組んでいる。実はこのショップにも、ホネホネ団が手がけた商品がたくさん潜んでいるのだった。
西澤さんは、ニコニコと言う。
「そんなにカラスがお好きなら、会っていってほしい人がいるんですよ。今呼びますね」
内線をかけてから、しばらくするとバックヤードから一人の女性が。
なんと、カラスの帽子で登場。
もともと工作や手芸が得意な橘さんは、なんとカラスの帽子も手作り!
淡いブルーの瞳や赤いクチバシは、ヒナの特徴だ。「よくこのヒナそっくりのブルーを見つけてきたね」と西澤さんが感心すると、うれしそうに顔をほころばせる。
帽子は非売品だが、こちらの「ひながらすヘアゴム」(なにわホネホネ団)は、ショップで購入できる。驚くことに、こちらも一つひとつが手づくりだ。
大阪の自然史コーナーには、出入口のすぐそばにカラスのコーナーがあった。
出ました、ハンガー製のカラスの巣。だいぶ崩れてはいるものの、ヒナの体が触れる内側には、シュロなどの柔らかい植物が敷き詰めてあり、わが子への心遣いを感じる。ハンガーは、長居公園の外側の巣でよく使われているそうだ。
「ふっふっふ……、私に見とれるのはよいが、お前さんにはこれから何か使命があったのではないかい? 人生は一度きりだぞ。Never more」
カラスの剥製にそう諭されて、我に返る。
慌ててグッズや資料を買い込み、スタッフのみなさんにお礼を言って、電車に飛び乗る。
●縄文時代から、大阪には野鳥の住む緑が貴重だった
やれやれ。不覚にもミュージアムショップで盛り上がってしまい、1秒たりとも展示を見ることができなかった。とほほ……。仕方なく座席の上で先ほどの戦利品を広げていると、1冊のある冊子が、大阪独自の「鳥や森の歴史」について教えてくれた。2014年に開催された特別展『ネコと見つける都市の自然』の解説書である。
えー、突然ですが、クイズです。
東京23区と大阪市を比べたとき、土地全体の広さに対して「緑の面積の割合」が少ないのはどちらでしょう?
正解は東京!――と思いきや、実は大阪市なのでした。2013年に大阪府が出した資料によると、都市計画の区分のひとつである“市街化区域”では、東京23区が18%なのに対し、大阪市は9%と半分以下の緑しかない。
しかし、これは大阪という土地の古くからの個性ともいえる。時を遡って縄文時代。JR大阪駅がある梅田を含め、現在の大阪市のほとんどは海だったのだ。市の中心、大阪城のあたりから長居公園以南の台地だけがかろうじて陸だったという。時代が流れ、海が陸となっても、元“海”のエリアは湿地帯であったため、森や林が少なかったらしい。
東京23区に緑が残っている理由としては、「武蔵野台地」と「東京低地」という土地の高低差があったことも大きい。急な斜面の部分は、建物を建てるのに不向きだということで、林がそのまま残されたのである。ちょうどその境界線を走っているJR京浜東北線からは、線路の左右で高台と低地に分かれているのがわかる。大阪市はそういった種類の土地の起伏が少なく、多くの土地が開発されていったのである。
カラスは巣をつくったり休んだりする場所として、背の高い常緑樹を好む。茂った葉っぱが、敵から身を隠してくれるからだ。カラスにとって安心できる寝室が多い東京では、やっぱりそこに住みたくなるカラスも増えるように思う。
しかし、大阪にも大規模な常緑樹の森はある。それが、万博記念公園なのだ。万博記念公園は1970年の万博では6400万人もの来場者を受け入れたほどのキャパシティを持つ。広さも、代々木公園と明治神宮を足した面積のさらに約1.9倍!
カラスたちのゆりかごとなる母なる大地、万博記念公園へ。さぁ、急がねば!
●いよいよ、ねぐら入りが始まる!
息を切らせて、万博記念公園駅にたどり着く。渋滞がはげしい高速道路と、巨大な森のコントラストが印象的だ。
公園手前の地図で確認。中村先生のオススメは温泉施設のある西側のゾーンである。
入園料を払って門をくぐると、ハシボソガラスが太陽の塔の脇をガーガーと鳴きながら飛んでいく。太陽の塔も、夕日に顔をギラつかせてヤル気充分だ。(なんのヤル気だ)
何を隠そう、生みの親の岡本太郎氏は無類のカラス好き。カラスと一緒に暮らしていたことでも知られている。
岡本敏子著『太郎さんとカラス』(アートン)には、太郎さんについて書かれたこんな一節があった。
――あるとき、誰かが太陽の塔の話をしていて、
「どうしてあんなものを思いつかれたんですか」
と聞いた。彼は、
「太陽の塔? あれはカラスだよ」
「えっ?」
説明はしていなかったが。
(『太郎さんとカラス』「序文――岡本敏子」より)
いわれてみれば、塔からにょっきり生えている2本の腕(?)は、翼を広げてエサをねだるカラスのヒナと重ならなくもない。
同書の中で太郎さんは、人間に媚びるような愛玩動物を飼うのは好きではないが、カラスは違ったとも書いている。
――時に、猛然と嘴をふるって、アッと声をたてるほど強烈にかむ。フト生物同士の苛酷な闘争の気配がよみがえってくる。だがまたなにか血のかよいあった思い、共感がある。(『太郎さんとカラス』「暗い鳥」より)
孤高の表現者は、カラスの中に自分の姿を見たんじゃないだろうか。そんな太郎さんを慕って、今日もまたカラスがやってくる。
閉園時間が迫っている。人間が去っていくのと反比例して、カラスが樹上に集まり増えていく。昼は人間、夜はカラスの時間だ。
闇に飲み込まれていく公園を、西へ西へと歩く。気の早い奴らは、芝生の端の樹に集まって追いかけっこを繰り返していた。このあたりが、ねぐら入り前の集合場所ということか。集団下校の前に、元気がありあまってじゃれ合っている小学生みたいだなぁ。
ワーワーワーワー。林の木々にたくさんのカラスで鈴なりになって、鳴き声のピッチも早く慌ただしくなった。ふと一羽が飛び立つと、追随するように周囲のカラスも空に舞い、群になって頭上を旋回する。
このままねぐらに移動するのかと思いきや――、一周してまた元の枝に着地。え、じゃあ今はなんのために飛んだの? 寒いから体温上げるため? それとも、仲間じゃないヤツをふるいにかけるための演習とか?
ミステリアスな謎を残したまま、同じような旋回を何度も繰り返すカラスの群れ。
黙って眺めていると、意味なんてわからなくても美しい。どこか宗教的な儀式にも思えてくる。
太郎さんだけじゃなく、長詩『大鴉』を書いたエドガー・アラン・ポー、日本画の鬼才である河鍋暁斎たちも、カラスのこんな姿から創作のインスピレーションを受けたのかもしれない。
儀式めいた集団は、6~7羽の小さな小隊に分かれ、まるで闇に溶けていくように、別々のねぐらに帰っていった。おやすみカラス、また明日。
(文・写真=吉野かぁこ)
●吉野かぁこ(よしの・かぁこ)
カラス恐怖症だったはずが、ひょんなことからカラス愛好家の道を突き進むことに。カラス愛好家のための「カラス友の会」主宰。カラス雑誌「CROW'S(クロース)」発行人。広がれ、カラ友の輪!<twitter:@osakequeen>