3月17日、肺炎のため内田裕也が死去した(享年79)。4月3日にはお別れの会「内田裕也 Rock'n Roll葬」が東京・青山葬儀所で営まれ、約1700人もの関係者、ファンが参列したという。
口を開けば「ロケンロー」「シェキナベイベー」。その割には思い浮かぶヒット曲がなく、音楽活動をしていた時代の内田をリアルタイムで知らない人にとっては、「風変わりなおじいさん」としか見えないだろう。1991年には東京都知事選に立候補して政見放送で歌ってみせたり、2011年の東日本大震災では「石巻は英語にするとロックンロール」という理由で宮城県石巻市にバナナとみかんを690(=ロック)個ずつ配布したりと、音楽以外の伝説は枚挙にいとまがない。
故人を偲び、横尾忠則は「もともとこの世というより、最初からあの世から来たような人」、シーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠は「日本で第1号のロックンローラー。裕也さんこそがロックヒストリー」、堺正章は「私たち後輩にとって、あなたは良き手本でもあり悪しき手本でもあった。悪しき中に魅力がたくさんつまっていた」と語った。
内田裕也のどこに、そうした魅力があったのか。そもそも内田裕也とは、いったいどういう人物だったのだろうか。
●“芸能界のドン”が写真付きで登場
その素顔に迫る内田の著書が、『ありがとうございます』(2014年/幻冬舎アウトロー文庫)である。出版した幻冬舎社長・見城徹は3月18日、次のようにツイート。
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原宿警察署に逮捕された内田裕也さんから借金申し込みの手紙が来たことがある。
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本書は、内田がこれまでに会った各界の偉人たちとの交流を述懐するという内容なのだが、まあとにかく登場する人々がすごい。ジョン・レノンとオノ・ヨーコ、ミック・ジャガー、松田優作、矢沢永吉、勝新太郎といったスターはもちろん、冒頭で述べた田邊昭知、川村龍夫、周防郁雄のほか、長良じゅん(長良グループ元会長)、ジャニー喜多川とメリー喜多川(ジャニーズ事務所社長と副社長)といった、現代の芸能界を裏で作り上げてきた泣く子も黙る重鎮たちについても、サラリと語られている。長良、川村、周防らについては写真まで掲載されており、周防の写真には「Special Thanks to Mr.SUHO 筆者も舌を巻く行動力」との説明文が付されている。
●新しい地図のあの女性マネも登場
ビートたけしも頭が上がらなかったという“演歌界のドン”長良じゅんに対しては、内田は親しみを込めて「長良のおやじ」と呼んでいたそうだ。長良は休暇には必ずといっていいほどハワイを訪れていたが、2012年、そのハワイのゴルフ場でカート運転中に溝へ突っ込み事故死した。
本書では、ハワイのクラブで「裕也ちゃん、聴いてくれよ」と、長良がデビュー前の氷川きよしのデビュー曲「箱根八里の半次郎」のデモテープを店内に流した様子が語られ、「やだねったらやだね~」に「ハワイのクラブだよ。場違いな音楽にオレは2回ばかりずっこけそうになったが、長良さんだけがうなずいている」と綴っている。
「日本の芸能史に残る姉弟だ。尊敬している」と讃えているのは、ジャニー喜多川とその姉のメリー喜多川。2004年、内田は木村拓哉を映画に使いたいとメリーに相談し、「SMAPのことはすべて飯島(三智)という子に任せているの。紹介するから飯島に当たってみて」と言われたという。
飯島は内田に会うなり「本木(雅弘)さんのデスクをやらせてもらった飯島です」とあいさつ。内田は「機先を制された気分だった」という。その後、飯島はなんと2年も内田を待たせたあげく、最終的に取った行動は……。本書が書かれた後のSMAP解散、飯島独立という展開を知ったいま読むと、飯島の豪腕ぶりがよくわかる、ひやっとするエピソードが語られている。
●ショーケンは“スピリチュアル”
“芸能界のドン”と恐れられているバーニングプロダクションの周防郁雄との思い出もおもしろい。1979年、キョードー東京元会長の故永島達司、内田を含めた3人でカメリア・レコードという会社を立ち上げたという。
3月26日に亡くなった、ショーケンこと萩原健一との思い出も語られている。内田は萩原をベタ褒め。
「それにしてもショーケンは突然変革したね。ドラッグでつかまったこともあったけど、そのままジャンキーになることもなく、それを糧にして“いい顔”になった。経験をうまく取り込んだっていうか、スピリチュアルな世界と融合したっていうかさ」
萩原は1983年の大麻所持以外にも、1984年に飲酒運転で人身事故、1985年には週刊誌のカメラマンと編集者に暴行し書類送検。2004年には映画スタッフに暴言を繰り返し途中降板、翌年、そのギャラの支払いを巡る恐喝未遂で逮捕され懲役1年6カ月、執行猶予3年の判決を受けるという数々のトラブルを起こしている。後先顧みない行動は、内田的にはロケンロー。別の世界と融合した誇るべき成果なのかもしれない。
本書では、内田がその人物について一方的に語るという形が取られているため、実際のところその相手がどう思っているのか、そして話は盛られてはいないかが気になるところではある。
(文=編集部)